このタイトルは春祭りのプロデューサーの佐藤康子さんが考えてくださったものですが、とても気に入っています。
これまで、鎌田鳥山の屋内での演奏で参加していましたが、今年は私からの希望で長沼公園の頂上園地で演奏予定です。
地層と石を見ながらの森のガイドは13時に京王線長沼駅集合です。森のガイドさんの話は、私が一番参加したいとは思いますが、演奏の準備もあるので、14時からの石と音のトークで、お待ちしていま〜〜す。
鎌田鳥山の隣、峠の美術館からすぐ。屋外での演奏は久々ですから楽しみ。
内容はじわじわと、、ちょっと普段と異なる屋外ライブ、自分も未知数なことが多い、って、それはどんどん開放していく心身に向き合うことでもあります。
ぜひご参加くださいますよう。
全体パンフレットにアクセスや、詳細があります。
後ほどアップしますが、送付ご希望の方はメールで連絡ください。
この時期には花粉症終わっていますように。ハクションっ🤧
演奏会場はこの広場です。↓
とにかく居心地がいいのです。
大きな綺麗なトイレも隣接、ご心配なく。
敷物あれば楽ちんですね。
1月も早かった、、2月はもっと早く終わってしまう。
あれよあれよと、ぐるぐる思い巡らしては、何をしたのだっけ?というくらいに。
その中でも、2月15日の伊丹アイホール、閉館前の一大イベントにて音楽制作、荷をおろしたばかり、、終演と同時に安堵感、アフタートークのことなどすっかり忘れていて、あ、そうだ、まだちょっと出番あり、と焦った瞬間。
13年ぶりのホールはそれほど古い感じもせず、まだまだ多くの演劇が行われてほしい匂い、空気を漂わせていました。ホール前の公園、樹木はそのまま、それだけが時が止まったかのように懐かしさに満ちました。
北村想さんと並んでのアフタートークは打ち合わせもないままでしたので、何をどう話したか、、もう忘れてしまったものの、なんだか楽しい時間でもあったことを思い出します。
ホール入りは前日で、ホテルから向かう空色を思い出します。これから行われるリハーサルや本番のこともあるけど、それより、自分のことを考えて歩いていました。随分と長い間、音楽に関わって創作して出番をいただいて、長い細い道を歩いているかのような、、それで、今この場所にたどり着いている。
なんでもない1日に過ぎないはずだけど、体は確かにこの地にいて、心身の準備はある、当たり前のことでありながら、この普通と思えることの大きさ、幸せ、道の先に何が起こるかさえわかっていない未知数の時間を生きながら、音楽を任されてそこに立つ、自分の軸とする棒を一本、携えて、ただそれだけの材料を道連れにして、こんな危うい道を歩いてきたものだ。
大袈裟でもその日の朝は、そんなことを考えていました。
この日、立ち上げた音、何処かから繋がって生まれてきたことに変わりはなく、この音をまた私は軸棒にして、いや、一度全て忘れて、、次なる景色を見たいと思うのか、、
そんな感触が湧き起こっていました。一回全てを忘却の彼方へ、、そうしたエネルギーを放つ、そんな瞬間瞬間が音楽にはある。どこかでそのことに救われてきたのかもしれない、、、
世界にこの物語「寿歌」のような荒野があるのか、あってはならないのか、すでにあってしまったのか、、結末を知ることより、希望で繋ぐ演劇、語り、そこに奏でる音楽は、何かにシンクロすることより、台本を尊重しながらも、真っ新な筋書き(音符)で繋ぎたいと思った次第です。
遠方からも多くのお客様、ありがとうございました。
「かたり寿歌とマリンバ」
演者の船戸香里さん(右)、演出の高橋恵さん(左)
ありがとう。刻めたこと、感謝
2月15日に伊丹アイホールで開催される「かたり寿歌」
私は音楽担当ですが、いつも終演後にセットリストを公開するとか言いつつ、ライブや公演などが終わった後というのは、なんだかやりきった充実感と、そして抜け殻のような時間もあって、それが最近は半端なく、正直思い返すという仕事がなかなか難しい、、ということに気づき、それならば、本番前の勢いのある時間に少しでも曲の紹介くらいはしておこうという気分にシフトしました。
この北村想の寿歌を一言で説明するには難しく、状況はかなり深刻なのに、その物語を深刻に仕上げていない創作物というか、台詞の掛け合いがお祭りのお囃子なのか、これは、、とか思う瞬間もあるし、、しかし、やはり人間の求めるもの、「美」「温和」というものに焦がれる渇望がずっと渦巻いては胸が苦しくさえなる、、というような、これ、音楽を作る側には、いやオリジナルはもちろんですが、今回は世界の名曲を借りたり、即興、衝動的要素にもかけてみたり、、かなりのアドヴェンチャーであります。
でも少し、選曲を紹介します。これらをどう演奏アレンジするか、決めたと思った内容も今朝にはまた手を入れています。
ジャケットアルバムなどで紹介していきます。
パットメセニーの「トラヴェルス」
泉谷しげるの「夜のかげろう」
北村想詞 新谷祥子曲「火の粉のごとく星に生まれよ」
新谷祥子「クレッセント」
バッハ、ゴルドベルク変奏曲
ウナセラディ東京
など、、この他にもたくさんの曲、音紡ぎます。
そうそう、ハチャトゥリアン、ヘンデル、バルトーク、、
この選曲たちだけでも、いったいどんな講談なんだい?と思われますね。ええ、もう本当に本番に立ち会っていただきたい思いでいっぱいです。
もちろん、どの曲も挿入的になることが多いので、フルバージョンではありませんが、ゆえにアレンジのやりがいは深いものがあります。
伊丹アイホールで40年前に初演したと言われる「寿歌」
私が2013年に音楽制作でやはりこのホールで関わった「寿歌Ⅳ」
そして2026年、講談として1人で3役を語る船戸香里さんと、私、新谷との二人舞台、ここには新しい意味での「寿歌」が蘇ると信じて取り組んでおります。ご期待ください。こんな時代に、この物語がリアルに響くのか、それとも異次元の世界と受け止めるのか、それは観る人に委ねられそうです。
2月15日 14時開演
アフタートークには作者北村想さんも登壇。私も予定ではそのアフタートークへ並びます。
当日券もございます。
通常のライブ、コンサートへの取り組みとはちょっと視点も意識も異なる時間、、におります。
なにしろ、あの印象的なアイホールに再び立つこと、そしてこれが閉館前の最後の「寿歌」であること、、
心込めて、、祝ぐ、寿ぐべき世界に立ち向かいます。
順番は遅れ遅れですが、1月9日、10日にホームでのライブを終えました。冬のお誘いにも関わらず、また天候も味方となってスムーズにお客様もお運びくださり、予定した曲、予想外の曲、サプライズゲストも迎え、終わってみると、うむ、悩む事なかれ、と胸を撫で下ろす。
こちらは1名様のお客さまがいたら続行は可能、と考えている。ほぼ口コミでの集客で、それでも開催を心から喜んで足を向けてくれる方々に支えられている。誰かが誰かをお誘いし、そしてまた新しいお客さまにも出会えている。何よりはリピートくださる方々の存在、
いい歌を作りたい、、そう思える場所にもなっているホーム。この冬に新しい曲を一つ生みました。
タイトルを悩みますが、このライブで初披露、Ring,,,1月2日の夕刻にみたあの月、そしてその輪っか。タイトルは決まりそうで、なかなか決まらない。名前をつけた途端にイメージが色濃くなるから、サラリと風のように流れるタイトルにしたいと思ってもう何日過ぎただろう、、
私の演奏の背景にこの輪っかの模様の幕。これは六本木の「布」というお店で店員さんに演奏場所の背景に垂らしたいと相談したら、おすすめということで部屋の奥から持ってきて下さったもの。輪っかの模様が大胆で、でも悩まずにこれだっ!と決めて数メールを購入。ずっしりと空間を埋めてくれる。
反対側、つまり私の演奏している立ち位置から向こうに、細長い窓が3つ。(音窓ARAYAの名前はここから)
そこに雪が降ったり、月、星を眺めながら練習する。小さいけど落ち着く窓辺の風景。冬の夜は寂しい風景になるけれど、安まる時間を導いてくれる。この幕はいくつかあって、今回は1面だけを垂らして演奏。
夜のライブをやってみたい。夕刻ではなく「夜」紡がれる言葉に寄り添う暗さも欲しくなる時がある。
昼間よりずっと木の音も研ぎ澄まされるから。
昼間のキャンドルもムードありだけど、、
東京に戻ってから、あの銀世界が幻のようにも思える。いや、そんなことはない、、現実としてこんなに温度差がある日本列島、季節季節を味わうとは言うが、北国の寒い朝のあの透明というか空の無情というか、人間の思考は当然のように異なる。四季のメリハリがなくなってきたようにも思う反面、冬が来れば明確な四季のうつろいを肌で感じる。それは、ある意味、思考の糧にもなっている、なってきたような、、
昨日は2つの演劇のはしご。たまたまお世話になった二人の劇作家の作品鑑賞が時間帯もずれて公演されていたので、新宿の花園通り(好きな界隈)のサンモールスタジオと座・高円寺で楽しみました。
はせひろいち作「夜の横顔」と世良啓作「home〜りんごさんのうた」
関連のない作品のはずが、どちらも劇の結びには同じセリフが紡がれていることに驚く。しかもそれは少女、娘の口から溢れていく。
また場所の想定も関連はないはずだけど、はせ氏の作品は宿泊施設という室内にいきなり霊場が構築され、それはちょこっと恐山の風ぐるまのようなシーンが登場することも相まって、、また世良氏の作品は津軽平野の中に立つ新築物件と窓の外に広がる山、平面図から立体図に変化したかと思うと、土という肌触りまで伝える。勝手なイメージとして、私は来月出演する北村想「寿歌」の荒野の場面に繋がっていった。
何よりびっくりするのは共通の舞台美術「暖炉」「薪ストーブ」の位置付け。
なんなの、今日は、と思うくらいの目眩
演劇というのは人間はどんな苦悩に直面しているのか、ということをセリフの綾でさまざまなタッチを使って表出させているようにも見える。でも苦悩以上に美の結びつきが見えてこないと、観客はやはり混迷したまま帰途に着くのではないか。。2つの作品を鑑賞して、やはり作家の凄さ、上映されているわずか2時間足らずの中に見せる技、役者の声の位置付け、仕草の妙、どれもこれも引き込まれた瞬間でした。
さあ、2月も近づきます。
かたり寿歌とマリンバの共演、2月15日伊丹アイホール、ぜひぜひお待ちしております!!マリンバ曲もジャンルを越えて、すごいことになっておりますぞ〜〜!!
新年明けましておめでとうございます。
始まりましたね、新しい1年
こういう季節に私は実家で過ごすことが多くなりました。
いろんな理由から冬場にはしっかり家と向き合っています。
そして昨年12月の青森県東方沖地震、家の中、画廊はどうなっているだろうという心配からいつもより年末は早めに帰省。
玄関を開けるのはドキドキしました。予想したくらいの影響はいくつか、でも予想外のこともいくつか。
どちらもお客様を呼ぶ空間としているので、やはり専門の方にいくつか点検をお願いしました。問題はないという結果で一安心、、
ということで、1月の新年ライブは決行とします。
2026年はいろんな計画があるため、1年の始まりをやはりホームから発信したいという希望が高まりました。
しかし、あまり遠くからお越しいただくのは雪道の影響もあるので、積極的なお誘いはできませんが。
午後早い時間でのライブです。
でもややっぱり聴いてほしい音楽数々、、
お気軽にちょっと生の波動を、、ご一緒に
1月9日、10日 14:30〜
音窓ARAYA
年末、窓掃除をしっかりやりました。冬には冬の風を取り込んで楽しみたい、(あ、窓は閉めて演奏します。ww)
ご予約お待ちしています。
otomadoyoyaku@gmail.com
ブログの窓に立ち寄っていただき、ありがとうございます。
皆様に佳い1年になりますよう〜
あまり使わない語句「がんばる」
でも今年は「がんばった」よ、、相当、、自分で言うな、とも思うけど、たまには褒め言葉としていいかな
新年が明けた1月、担った重さにまだ気づいていなかったような気もします。その一つ一つに直面しながら、さあ今後の生活設計はと考え始めた大雪の故郷、、
そこからの虫垂炎手術、入院していた数日間で考えたこと、考えなかったことの量は等分のようで、社会復帰するとすぐに責任ある演奏や講演が続いた春。そのどれもが実りあって、かけがえのない記録となりました。
夏は管理人として髙田galleryの企画展へ、、それを思えば、ねぶた囃子方への参加は確かに難題となってきたかもしれない。なにしろ、地元に住むメンバーの方々のように練習にきちんと参加できない。そのジレンマとこれからも戦うとすれば、これはもうしっかり立場を考えていかなくては、という状況。それでも受け入れてくれるねぶた囃子方の方々には頭が上がらない。来年からの課題、さて、、
ライブや演奏のことはこのブログで綴ってきたので、ここでは割愛します。
12月に入って、ワークショップの充実、来る伊丹での語りとマリンバの寿歌の練習開始、担当の学生たちとの年末会、
他にもあちこち彷徨ったけど、あまり写真も撮れていないのですが、自分の笑顔は
うん、ちょっとがんばった感です。笑
8年くらい継続で呼んでくださる学校、中高生とのセッション、何よりも生徒たちの喜びの声が嬉しいです。
小さな我が家の稽古場。振袖後段の船戸香里さんと、演出の高橋恵さんが関西から日帰り、、ありがたい。
馴染んだ部屋、いつかこの場所からもきっと移動、、そう、さよならする空間が愛おしい
大学生たちとようやく食事会。どんどん年齢差が広がるばかり。
若者情報を得ることも、元気の源か。
もうちょっと付き合ってね、ゾウ君
伊丹市立演劇ホール、閉館というニュースはとても残念でありました。
ここでかつて出演した演目「寿歌Ⅳ」、閉館前に船戸さんとの演目として何度か上演してきた「かたり寿歌」を2月15日再演、ご期待ください。
北村想戯曲として名作中の名作、演劇界では何度も上演されている作品ですが、20205年、2026年という現代に、この戯曲の意味するもの、示唆したものは大きいと思います。
核戦争後の荒野というのが舞台、喜劇仕立ての講談、作風ではあるものの、まてよ、ちょっとまってくれよ、と言いたくなるような筋の展開。
その中に、私はマリンバや打楽器や昭和歌謡などで切り込んでいく。
船戸さんという稀有なこの語り手、なんと表現したらいいかな、例えば、私が気にかけるような小さな埃のようなものを一掃する冷静さと、見つかった傷があれば、誰よりも先に透明な絆創膏でペタッと貼って逃げていくようなお茶目さ、でもその傷とは爪で引っ掻いたような傷ではなく、、心身に痛みが記憶されそうな傷でさえ、だ。
私は基本、演劇を鑑賞するのが好きだし、そして演劇内容に惚れ込んだら音楽担当できるなんて最高の役割と思っている。実際、2月にはこれまでとちょっと違う味付けで臨みたいけれど、最初のイメージも消したりはしたくない。でも表現って、やはり同じことを繰り返すのは退屈なこと。
さて、この冬は雪を見ながら、音を考える時間。寿歌に降る「雪」は、、とてつもなく哀しく、そしてこの上なく美しいのだから。
インフルエンザや風邪、コロナ、乾燥するこの季節、気をつけましょう。
予定していた時間が、そういう体調不良さんがいることで、自分の深呼吸時間になりました。
最後にここに行ったのは息子を連れて、水遊びした20年以上も前、、
昭和記念公園、近くなのに足が遠のいていました。気温も高くコートもいらない日、思い立って秋の午後を満喫しました。
写真には人影がまばらですが、いえいえ、たくさんの人が散歩しています。
銀杏の木の下でウェディング撮影隊も。花嫁の真っ白いドレスが眩しい。
混み合った道ではなく、ちょっと脇道を探して歩くのも楽しい。
多摩地区に住んでいるうちは、こんなオアシス、たまには歩きに行こうと思います。
仙台駅に降り立ったのは何年振りかな。寒さを予想したものの、冬物コートがちょっと熱いと感じる日でした。11月9日
音楽療法学会東北支部での講演
こうした学会からの依頼も久々、今年は大きな講義依頼を一つ一つ、乗り越え中です。
パワポを見つつ、テーブルには仏具や石、手は太鼓を触りながら、
パソコンを見ながらということは得意ではない。できれば、体を使って、呼吸の渡し合いをしながら、というライブ感ある講座がやりたい。
今回は資料を求められていたため、パワポを駆使。しかしそこに目が落ちてしまう、、本来の打楽器講座の理想は100%呼吸、身体でのやり取り。と、これまではほとんどがそうであったのですが、講義依頼とワークショップということから、進行資料の作成をしました。
結果、確かに自分の脳内整理には役立ちました。
用意していただいたドラムセットで新谷式ワークは1日は必要な内容ですが、フレームだけを紹介。
ドラムセットは私のリズム学習の始まり。欠かしたくない楽器。
会場は使いやすく、講座向け、ワーク向け、快適でした。
私は音楽療法士ではない、でも向き合ってきた現場や、講座や、内側に感じ行動する中に、音楽の療法へ行き着くルートは辿っているかもしれない。日々の演奏の中で、自分が音楽に助けられている、そして色彩を探し求め続けている。
そのことから、口述できることを自由に公開した内容にしました。
特に東北が会場ということから、土地性や回帰性という部分にこだわった音の発生について、もう少し時間を割いて、深めていきたい私の今後への課題。
始原、知る、親しむ、そこにもう一つの「し」は色彩、、
これからの思考への導きを自身の中に見つけました。
この講座の翌日には実家、そしてまたも友人たちに助けられるインフラ問題発生、、
インフラ問題に駆けつけてくれる業者さんの存在。
あ〜、ため息の数時間でした。
そんな日でしたが、気づけば一つ齢を重ねる日、感謝の日。友人たちに祝っていただきました。
レストランは、研究熱心な西洋ビストロのシェフによるコース料理が際立っています。私よりずっと年下ですが、吹奏楽の後輩、共通の話題が楽しいお店。
食事会の前は母校での指導もあったので、夜は何がなんだか状態のスーパーハードさを癒すために、ミルト ジャクソンのヴィブラフォンをゆるり。この時間を音量アップで満喫できるのも実家の良さでしょう。
それぞれの住む場所の中間地点にてミーティングランチという女子会は時間があと3倍は欲しい。
それでも足りない濃い時間
レストランからの眺め、うー、テントを張りたい。静かな波を見ながら、、
久保田一竹美術館はやはり何度行っても季節の趣きで楽しめます
一竹辻ヶ花は言うまでもなく素晴らしい芸術ですが、この森の木彫りの門、椅子、散策道の苔に癒されます
二人とも、しっかり膝のためのシューズ、おばちゃん靴とも言われているらしいけど、お構いなし、そういう齢になれば、必要なものを身につける身体の声です!!
打楽器奏者の二人は、木彫り門の横に装飾、鉄門の鉄をつかさずこっそり鳴らしてみました。笑
大親友の二人によって、静岡ライブが大成功。さまざまなことを語り合える仲間、女子トークがメインであろうとも、音楽の方向、同じように歩んできた仲間だとわかる瞬間がたくさん。
限りなく深い誠実さに助けられて、私は私の不出来に気づくばかりだけど、好きなようにと言ってくれる仲間、好きなように生きることは難しいけど、好きなように表現を許してくれる仲間、私もそんな器になりたし。
未来会、って思いついた言葉ですが、未来を約束できることは幸せ。
少し大袈裟なタイトルですが、自作の「ナサレの川」を最初の歌としてライブに登場させました。
この曲はまさに彼岸此岸の世界観に浮かぶ歌詞だろうと思っていたので、それが仏殿という空間には最初に歌う曲として相応しいのではと思ったからです。
マリンバのソロでチックコリアを演奏したあと、このナサレの川、重たいムードではあるけれど、私の中にはまだあの暑いお盆の日々がずっしりと記憶されていて、これを通過しないと、次の曲(プログラム)へと移行できないほど、脳内の中に沸き起こっていた灼熱からの解放が生まれないのでした。
死者は俗世からまた立ち昇って祈りの星となる、、それが川を隔てて見てきたかのような原風景、この歌は特別でもあり、、その歌う途中にこそ、私は大きな気づきがありました。奏でる、受け取る、呼応する、これこそが命そのもの、、弔いと切り離せない日本の「盆」はこれは本来「命の祝い」讃歌そのものではないか、、
めでたい歌、としよう。これからはそんな気持ちに切り替えて歌えるように思います。
セットリストを上げてほしいというリクエストもいただきましたが、何よりも、このライブの反響に驚いております。
こんなに嬉しいこともありません。一つ一つのお言葉を体に染み込ませ、まだまだ精進の道。祝いながら、、(自作、「壇の花」の歌詞にも”長い夜へ祝いながら繋がる”そんな一節があります)
今日はこのナサレの川の意味合いを少し深めたくて取り止めもない投稿だけになりました。
会場入り
読めますか?セットリスト
朝の光の中で
演奏写真はカメラマンから届き次第、アップ予定です
遅れ遅れのブログ、申し訳ございません。
10月5日のライブ、昼、夕の会とも販売予定枚数に達したため、当日券、またはキャンセル待ちの受付もございません。
早くからご予約くださいました方々、心からの御礼を申し上げます。そして、予約ご予定であったかもしれないかた、ぜひまたの機会をよろしくお願いします。
楽しみにしている、というお声の数々、こんなに嬉しいことはありませんし、そして由緒ある松源寺さんのあの空間に再びという興奮、緊張も高まっております。
ギリギリまで迷った選曲も、これでよし、そして今の自分を素直に受け止め、諦念という一つ良きし方向への意味にて、、、と言っては大袈裟かもしれませんが、いえいえ、、一つ一つのライブがここに誕生しているという奇跡を、今ゆえの心境で捉えて、励みます。
会場ではChris & Shoko Percussion Duoの残数僅かのアルバム Pas a Pas も販売いたします。出番のなかったCD,手にしてくださる方がおりますように。この録音はレコード芸術での準特選盤をいただいていたものです。
この頃の演奏とはまた違った色彩が生まれます。そうでなくては、、と思います。
東京のペース、実家のある青森でのペース、過ごし方に大きな差があると思っていたのですが、案外そうでもないのかもしれません。
気落ちの持ちようでしょうか。どちらにもハイペースはあるし、どちらにもスローな時間もある。
ブログが追いついていませんが、夏の講座や、飛び入り参加で演奏してきた親子企画のイベント、その間に、配信の講座もあったり、目的のないドライブをしたり、、暑い中でも体は元気に弾んでいます。
空き缶を打ったり、新聞紙使ったり、とっておきのリズムCDを聴いてもらったり、これは弾みましたね。
床も楽器
書類整理もしたり、、と、その中に懐かしいスケッチを発見。終演後にさささっと描いてくださったのか、アンケートに混じっていた1枚。
軽やかに弾んでいた印象なのでしょうね。これは、貴重な1枚。スケッチはこれまで数人の方からいただき、この方の描き方はチャーミング。
小型マリンバを置いているひまわりハウスでの、飛び入り演奏。
おもちゃの広場、複数の親子で賑わっていました。
まだ1歳ちょっとのお子さんまで、マレットを握って懸命に打とうとしています。
本能的初動、これも一つの。

この日、フィンランドのpull toyを発見。
カラコロっと音は優しく。
他にも木のおもちゃなど、たくさん、、これは楽しいですね。飛び入りしてよかった。猛暑からの楽器コンディションも心配でしたので、チェックも兼ねて。楽器も良好。もう少し、ひまわりハウスさんで奏でよう。
静岡でのライブまでひと月を切りました。青森での諸々行事からの疲れ回復をし、気持ちも切り替えてはいますが、まだ暑い!暑すぎ、、ですね。
このライブは前半を新谷ソロで、後半はゲストと共に、ということから前半は全曲歌っちゃえ、という勢いです。しかも秋の名曲、、
自作においてもこの時期ならこその選曲にしています。今日は選んだあるカバー曲のkeyを決めるのに1日費やしました。原曲のkeyはその曲調そのものであることに間違いなし、、という既成概念に沿うのではなく、マリンバという素朴すぎる響き、ダークさを否めない倍音の鳴り方、派生音から始まる伴奏低音はなぜか弱いイメージに聞こえる性質、ゴージャスな音源を聴きすぎるとまるで先に進まないアレンジ、、振り出しに戻る。
やがてマリンバならではに身を授ける覚悟に至るまで、あれれ、このプロセスを何度も繰り返してきたはずなのに、初心に戻ってばかりいる自分。
こうやって一つ一つ積み重ね、、、お客様とお会いできることを楽しみに、、なんと言っても秋に歌えるなんて久々で幸せなこと。(近年春ライブが多いため)
お席も多くのご予約をいただいているようです。ご予定くださる方はお早めに、、よろしくお願いいたします!!!
ヴォイストレーニング、というお題の演劇鑑賞。
来年2月に伊丹市で公演予定の「かたり寿歌」の演出家、高橋恵さん率いる虚空劇団が上演。
北池袋という駅も初、それよりも東武東上線という列車に乗ったのも初。池袋からたった一駅だから乗ったというほどでもないのですが。
駅がいい、、改札を出たらすぐに生活圏。以前住んでいた京王線の下高井戸もそうだったけど(今はちょっと風景が変わってしまった)駅が人々の生活に寄り添っている、、いや、街が駅を住居のすぐそばに置いている、というような、、
劇場からちょっと散歩、小さい店があまり存在を誇示しないでそこに在るのもいい。普通にコンビニもあるけれど、、
その後に池袋駅で大道芸人のこれまた気になっていたものを見る。
東京は賑わっている、暑くても、物価が高くても、他国のシリアスすぎる政治情勢がニュースに流れても、、
東京って一体なんだ、、私はよそ者みたいに眺めているけど、私も住人、、今はまだ
昨日の観劇は他人事のようには見れなかった、、ちょっと苦しい気分になりすぎて、、いい演劇だったけど、何か現実から離れたくて浮遊する時間ではなかった、、
それはタイトルのヴォイストレーニングとは全く違う視点で進行する姉妹と母親の関係、撤退するという事業の次が見えない組織の混沌、、
いや、それらは声を発するのか、声で人と交わるのか、面倒だから、約束だから、反射的作用だから、、だからただ演じるというだけで終わらせるのか、
という意味で、まさしく「声」がテーマ、ドンピシャなタイトルであろうか、、そして「トレーニング」、私たちは日々がその心理トレーニングの中で蠢いているのかもしれないし、私は一人っ子だからよくわかるとは言えないけど、主人公の姉妹の「演じる」が自然体で、刺さってくるわけです。
デビューの仕事が三島由紀夫近代能楽集で、娘道成寺だった、、それも池袋という地、サンシャイン劇場だった、その時の役者さんが「国宝」とか再放送の朝ドラ「とっとちゃん」で大活躍しているのを見る。
時間が経ったな〜
ぶらぶらしていること、変わりない自分、、
目覚めて、一瞬ふわっと感じる時間を大切にしている。大袈裟なことではないけど、「朝だ、ありがとう」くらいかな。
って、感じるどころでもない話ですが。でも、この夏にさまざまな方と出会い、そしてそれぞれの人生時間に向き合って、そう感じることが愛おしくなっている。恩師のお見舞いに車を走らせた。ナビに頼って、狭い道を曲がる。
病気で伏せていても恩師の優しい表情は変わらず、言葉が自由でなくなった今も、それでも懸命に私の手を握り、目をしっかりみて「ありがとう」という言葉を丁寧にくださった。
涙がポロポロ、、私の方が見舞いをされているようだ。
こんな瞬間が人生に巡ってきたことを、恩師には申し訳ないけれど「人生の中の得難い美しい恵み」として受け止めたい。大好きな先生、毎回私の活動を応援してくれる誠心誠意のそのお心にただただ、感謝しかない。どうか夏を乗り越えて、素敵な奥様に見守られて、ゆっくり過ごしてほしい。
他にも、私にはびっくりするような再会がたくさん巡った。この夏は特別。。いつもそう言っているかな。でも、、心身ともに新生という気持ちで取り組んだ伯母の画廊の引き継ぎ、企画展、自分の画廊ミニライブ、、事を起こすために準備したさまざまな貴重な時間、ハードだった、でもどれもこれも意味があった。
意味を見出してくれたのは、周囲にいる支えてくれる友人たちのおかげ。それなくして何も成り立たない。同じ気持ちを抱いた夏は幾度もあったけど、あまり先を考えず悩まず思うように行動できたのは、今までとは違っっていた気もする。
自分では写真を撮る時間もなかったけど、お客様からお借りした写真で、気持ちを振り返ってみます
ここの西窓から、八幡岳、天気が良ければ八甲田山が遠くに、、霞んだ山々を見るのも好きですが、髙田がちゃんと計算して窓の配置をしたのかな、、雲とのハーモニーがいい。
現在は髙田雨草水墨画館と名義を作っていますが、髙田水墨画館、という表記も残されているし、この木板看板は「髙田美術館」
この夏に探し出しましたが、この名義でもいいとおっしゃる方が数名。髙田も葛藤したのかもしれません。
でも水墨画というタイトルは必要な気もして、、
お客様が帰った後、ここに座って一人、灯りを消して月見。
あの日は満月だった。こういう時にあちらにいる方たちがきっと窓を覗き込んでいるんだろうな。
コラボ
Mちゃんのお庭からやってきたエントランスグリーン。センス良く設てくれる、、和風なイメージの館もちょっとオシャレに気取って、水を含ませたら毎朝気持ちが高まりました。不思議、これだけでも「善き日だぞ」と何かが降ってくる。
私たちは生かされている。
散歩の途中で目を止めてくれた人、辿れば繋がる、解き明かされる、人との巡り合いって偶然ではなく、必然かもしれません。
だからこそ、そこに在る、そこに居る、旅もする出会い、全て自然に任せながら、、
京都知恩院のお香、漂ってます。好きなお香ですが、うーむ、やはり知恩院でのあのムードには届かず。笑
でも一日焚いていると、建物に染み込んで落ち着きます。
夕方は西窓からの光が射して、お香、仏の使者、盆の日暮
酷暑、今年も始まっていますね。北国ならまだ朝夕は凌げるかというのがかつての日本列島であったかと思いますが、、今は全国的な猛暑が普通になっているような気もします。
選挙の行方、日本が心配するのは天気どころじゃないという深刻さ、、
先日大きな書店に立ち寄ると、店頭から並んでいるのがタイトルに「戦争」「平和」と並ぶものばかり。書店の選書、若い人向けに書かれているようなものを並べているように見えたけど、その意図も垣間見える、、ますます何をどう憂い、私たちが委ねるものは、できることは、などということすら浮かびにくい時代にいる恐れ、書店での用事をサクッと済ませる予定が長居していました。
あれよあれよと時間ばかりが過ぎていますが、、秋、10月5日は静岡松源寺様で2回目のライブを予定しております。ゲストはパーカッション、クリストファー ハーディ。主催者側からのリクエストに応え、久々のデュオで登場します。タイトルとしては新谷祥子お寺でシンガーソングマリンバの継続ですが、かつてのレパートリーを再刻させる意味で、歌ものは少しになるかもしれませんが、新しい領域をまた聴いていただきたいと思っております。
ご予約は始まったばかりです。昼、夕の2公演。紹介文たっぷりのチラシが届いておりますので、チラシご希望の方へは前回ブログの画廊企画展のチラシも含め、新谷近況DMを送らせていただきますので、shokoaraya@icloud.comまでお知らせください。
チラシに凝縮された情報が一番伝わる場合もあります。ゆえの、チラシなんですものね。
お知らせブログが続いておりますが、日々のこと、画廊企画展についてもお知らせを続けていこうと思います。また読んでいただければ嬉しいです。
昨日のブログ記事からの続きです。
8月15日は、水墨画館の企画展記念としてのミニライブです。
「暮らしと音 盆にうたえば」
会場がいつもの音窓ARAYAではなく、そして大型のマリンバも運べないためミニライブという形式で少人数制。
どんな環境で、どのような音を考えるか、選曲はどうするか、もうジワジワと準備はしているのですが、高田のコンセプトにあった水墨画も生活のさまざまな暮らしアートも、生きていく上での要素、私にもこの「音」「音楽」は欠かせないと考えれば、このタイトル「暮らしと音」は自然に生まれました。
そして、伯母の命日8月15日、盆の送り火、、
日々を送る、それだけで人間はてんてこ舞いだったりもするけど、何か気持ちを温めて、そして丁寧に、時には瞬時に何かを忘れて、拾いたいものはきちんと拾って、理由とかそういうかしこまったことも、あんまりぬかぬか考えないで、ちょっと痛みを抱えながら、ゆっくり歩む、そこに音があるなら、奏でて味わって、そしてやはり伝えようと思う心を忘れないで、、、
そういうライブにしたいと思います。
あ、だから練習は必須なんですが。笑
籠と墨
6年ぶりに髙田雨草水墨画館の夏企画展、決定しました。
ご案内が遅くなりましたが、この夏は8月10日から13日までのわずか4日間、そして8月15日には新谷祥子の「暮らしと音」ギャラリーミニライブです。
2025年より正式に水墨画館の運営に関わることになりました。と言っても、ビジネスにはほど遠く、気ままに気楽に、高田のアートを紹介していくペースです。
常設の水墨画はもちろんですが、高田が暮らしの彩りとして愉しんだコレクションの中から「かご」を展示します。ユニークで遊び心いっぱいの見るだけでワクワクする「かご」たちです。
集めてみたらそれなりに見応えある数、水墨画と共にお楽しみください。
高田の死後、回顧展と企画展を続けましたが、その時は無料公開としていました。しかし、老朽化にともなっての維持管理費が少し深刻な状況となっております。そのため、500円の入館料(小学生は無料)と設定しました。
もちろん入館料でカバーできるほど事情は簡単ではありませんが、一人でも多くの方に高田のアートに触れていただきたいという気持ちが高まり、短い期間でも画廊に風をとおし、作品やコレクションに光をあてたいと思います。
ぜひお気軽にお出かけください。
駐車場はございませんので、駐車場情報を知りたい方は
問合せ先: otomadoyoyaku@gmail.com まで
8月15日のミニライブはご予約制です。1回目13:15〜 2回目 16:15〜
2500円(こちらは年齢関係なく一律の金額となります)少人数制のライブです。ご予約お待ちします。
お寺でシンガーソングマリンバ
スペシャルゲスト
〜仲井戸”CABO"麗市を迎えて〜
セットリスト
荒野で
はじまりの鐘
光線
哀しみのソレアード
日傘
うぐいす
ホームタウン
祝祭
新しい友達
夏に続く午後
今はただ
歩く
鐘は鳴る
抱きしめあって眠るだけ
唄
まあ、いずれにせよ
長い旅〜チャボさんの言葉を入れたヴァージョン〜
ブルームーン
風が吹いている
ガルシアの風
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言葉で何かをまとめようと思ってみても、未だそれがうまく運べず、、10年目のお寺ライブ、9回目となるこのシリーズにチャボさんを迎えた会
開演前には会場にBGMを流さない、これはずっと同じままですが、鳥の囀りや葉の揺れ音、時には雨音、開演を待つ人たちの小声、畳と足音、、
それで充分に何かを伝え来る、そこから自分の息をその空間にのせていけたら、、
光の色はこれくらいがいい、そんな日だった6月1日、雨は降りずとも、雨季の始まりのような軽い湿度の中で、思い切り木片に向かっていく身体は意外と軽い、音を出して「もう後戻りはできない」「さ、行くのだ」というくらいに、自分を荒野の中に進ませている、、
チャボさんのカバー曲から始まるのは、最初から決めていたこと、、心が弾んだ。
それからのことは、あまり覚えていないくらいですが、高揚した中で音を冷静に聴けている自分に安堵感と不思議感。笑
あの日、15人くらいにもなったスタッフへの感謝は尽きない。
想いはこの写真にも写していただけたかも、、三浦麻旅子さんの写真に自分を振り返る
チャボさんの登場は感動的でした。お客さまにも、そして何より自分へ



仏具、鳴り物、龍見寺さんからお借りして打つ。やはりその環境に長く佇んでいたからか、とてもいい音がしました。
僥倖、それはまさしく、出会って、奏でて、、年月の一致
チャボさんと出逢っての20年
息子と一緒の誕生日という記号、そこに在る私の中の祝祭
歩く、そこに一歩が刻める今を大切に
お客様と触れ合った会話が、何より自分を励ましたことも事実です。
生きていれば、いろいろな「生」に向き合う、、
私ももう少しやれそうだと、、信じる。
ありがとう、、今を授けられたこと、、
ありがとう
共演するチャボさんのこと、また探り出している。そしてバンドで聴き流れている響きを、マリンバに置き換えてみようとする作業に苦戦する
バンドっていう豊穣のフィールドから、木片だけの静かな奥地に迷い込む、これは毎度のことだけど、それを承知でそれを覚悟でそれを希望として、今なんだけども。
ギターだってその1本で奏でられる音と歌を聴いていると、その素朴さに打たれる。こうして人は歌を作るのだと、、実らせるのだと、、
完成された品物が包まれているその包装紙をワクワク開ける楽しみもあるけど、剥き出しの肉声に近い音の運びに、ゾクゾクと胸熱になることもある。
お寺でスペシャルライブ、そろそろです。 どんな日になるか、こんなに未知数なライブもないかも。いや、いい意味で。笑
ホームライブタイトルが「アタラシイ水」は即決だった。私の新曲でもあるけど、その歌詞とはまた少しベクトルを変えて、新しき季節に、新しい想い、全ての身体に流れる、溢れる、求める水、そういう意味合いでの、留まることのない水の流れ、、
〜〜その想いがライブの構成にうまくのってくれたと思います。弾き歌いをするに至った、少し遠い過去の時点から今へ繋がる、細かくはできないけれども、出会った歌、それは数あれど、ターニングポイントであったかもしれないと振り返る歌たちの中に、自作を散りばめながら。
お客様にプログラムを手渡すクラシックスタイルはとうに避けているけど、それは予定調和感を出すことなく、体当たりで歌ってきた今までのような「ライブ」という「なま」たる覚悟、一期一会に向き合えばこそ、自らのトークで繋がるように構成しています。
自分の曲を磨いていく時期、人生の時間を考えたら、人さまのカバー曲なんか歌っている場合ではない、ともトークで宣言したけど、ライブではカバーはこれからも歌っていく。ただ、自作をもっと見つめる時間にいる。自作の割合をもっと増やしていく時期にいる。レコーディングしたい曲ばかりが積み上がっている。情けないことに、なかなか制作までの力(経費作り)が足りていない現状。
まずは、場に立ち、その歌たちを培養させていく時間こそを、、
ご来場の皆様、ありがとうございました。
新聞のインフォメーション記事が載ったことで、新しいお客様と出会えた3日間でした。そしてリピートしてくださるお客様の温かさ、、
今回のステージ写真
セットリスト:
朧月夜
さくらさくら
はじまりの鐘(新谷祥子〜バッハのカンタータイントロ)
五月の頃 (新谷祥子 〜髙田雨草水墨画タイトルからのインスピレーションでの演奏)
見えない花のソネット(寺山修司命日に寄せての選曲)
氷の世界(井上陽水)
哀しみのソレアード
抱きしめあって眠るだけ(新谷祥子)
二人のオレンジ(新谷祥子)
ヨゾラノツボミ(新谷祥子)
マーラが与えた人生
Feel Like Going Home(チャーリー リッチ曲 仲井戸麗市の日本語詞で)
長い旅(新谷祥子)
アタラシイ水 (新谷祥子)
〜アンコール
今はただ(新谷祥子)
明るい表通りで(サッチモ)
ゆっくり時間の流れを感じたい、、と思う日々が巡ってきました。森林浴も最高の季節。
自分の心身と仕事のペース、個々に異なる時間の流れ、、意識する動き、意識する休息、、音への渇望を見つめる時間、音から離れて感じること、、
一歩があるならその一歩、進めばかりではなく、立ち止まる、戻る、全てにおいての一歩なんだろうと思います。
久々のホームライブです。青森の家に風、、人の息、、場の巡り合い、、
マリンバ、パーカッション、うた 新谷祥子
ご予約の方へ地図、駐車場をお知らせしております。
日によって開園時間が異なりますので、ご確認の上、ご予約お待ちしております。
otomadoyoyaku@gmail.com
シティに住んでいる男子が、私の練習場にやってきて、「空気が違う、風が違う」、、と
先ほど、風は強かったけど短いウオーキング、テクテク。そうだよね、、この木々の揺らぎの中を歩いていれば、空気の清々しさなど、当たり前に感じていたけど、わずか1時間ほどのドライブで、あのビル群の渦の中で「風」を肌に快適に感じるのは難しいこともあります。
今日は、窓を開けたまま練習(時々やってしまう)していたことに気づき、音もきっと風に流れてご近所さんに、、誰からもクレームは来なかったけど、音は全てが快適に流れるわけではなし、、私の練習(弾き歌い)、BGMにしていただくには恐縮、、窓は閉めなくては。
17日、木曜日14時、八王子長沼の森、鎌田鳥山での演奏が近づきました。
選曲はギリギリまで悩みますが、今回も先ほど決定。これはなかなか面白い流れになりそうです。竹林、山風、土の匂い、そういう場所で奏でる時間は特別です。ゆったり畳の上で聴いていただける環境、今回は若者たちとの演奏の楽しみ。
佐藤康子さんの箏、そして声も共演。
うずうずするほど、曲たちが面白い、、
春は体調がいつも不安定、それでも音を出す場に向かう日々が心身を救ってくれているようにも感じます。
いつだったか、私にある詩集を贈ってくれた女性がおりました。それはもう手放せないほど好きな詩集ですが、自分では買ったことがなかった1冊。彼女のライブレポートや、さりげなく送ってくれるメールの言葉が好きで、以前にもブログに紹介していますが、今回は、以下のようなSNSヘの投稿がありました。
ご本人にご許可を得てこちらに紹介します。お名前もフルネームで紹介したいのですが、そこはイニシャルで失礼、MIさんの言葉、特に後半の文面、「年齢を重ねたからこそ、、、」そう、それは女性の視点としてもぐぐぐっと、自分への労り(ということも必要)をもっと大切に考えていこう、という想いさえいただきました。
読んでいただけたら嬉しいです。
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3月22日夜はこちらのライブへ。
フューシャピンクの、大きなフリルのブラウスで新谷祥子さんが登場。野生の芍薬みたいだな、と思う。この日の席はマリンバの至近距離。幸せ。
いつもはチャボの、ギターを弾く指が見える席だとワクワクするのだけれど、このセッションの時は祥子さんの近くが嬉しいのだ。マリンバの上を踊る美しいマレットたち、そして歌いながら、跳ね回りながら奏でられるたくさんの「打楽器」(石などもあったりする…)たちの動き、祥子さんの息遣いを間近でみられる幸せ。
いつもはカヴァーも歌うのに、今回はほぼ自作、それも新曲多め。ここに彼女のこのセッションへの覚悟のようなものが表れていたと思う。そして、その自作曲たちがことごとく、いいのだ…。
1曲目は、細い糸で繋がれている誰かとの出会いの喜びの歌。描かれているのは恋かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。私の目にはこの3月初めに別れたばかりの、18歳たちの姿が浮かぶ。マリンバの奏でる音、祥子さんの深く優しく、おおらかな歌声を聞きながら、ああ、私にとって彼らはなんと大切な存在だったことか、と涙が込み上げたりして。歌詞にある「ありがとう」という言葉がこんなにも素直に胸に落ちるとは。
早川さんとのセッションは、ジャズの香りあり、ブルースの香りありで、2人の守備範囲の広さを感じさせる。当たり前か…😅
楽器同士が語り合っているような絶妙な音の絡み合いに聞き惚れる。
チャボを加えてのセッションでは「サイクリング」(実はこれ、大好きな1曲!)を!
この曲の、
「生きてゆくことを/選んでゆく僕達は/若さだけではない美しさ/ いつか知るだろう
君の今日の胸の痛み/誰が知る術もないけど
君の明日の身体の痛み/誰が代われる術はないけど」
という歌詞がしみじみ身に沁みて、胸の奥まで届くようになった…。マリンバがそんな自分の背中を押す風のそよぎのようでもあり、人生を肯定するのが音楽、という言葉を思い出す。
細かいところまで思い出せば、もっともっと色々感想はあるけれど、前回のこの3人のセッションは配信だっで、それもとても素晴らしかったけれど、やはりオーディエンスとの呼吸のようなものが感じられるから「生っていいなあ」。この感想に尽きる。
そして、チャボと新谷祥子といえばこれ!という「お約束」の1曲が「Blue moon」。これを聞くために来ている人もいるだろう。そこに早川岳晴という稀有なベーシストが加わるのだから、これがスゴくないわけがない。唯一無二のセッションなのだ。
それぞれ回を重ねるごとに、息の合い方が深まっているように感じる。そして、そこから紡ぎ出される、信頼に裏付けられた音たちは、間違いなく私を励ましてくれる。
「自分の残された時間」に思いを馳せ、自分だけではなく、家族や教え子や、なんなら世界中の人たちが幸せであってほしい、だってみんな幸せになっていい権利があるんだよ?という気分になるのが最近の私なのだけれど、そんなお人好しな思いも含めて、「生きること」を丸ごと肯定してくれて、「♪もっと遠くへ」(by 「サイクリング」)と後ろからちょっと押してくれるような、そんな気分で満たされる3時間だった。
私自身、年齢を重ねたからこそ手に入れられたものもあれば、手放したもの、手放さざるを得なかったものもある。おそらく、同世代の祥子さんにもそういうことはあるだろうし、70代を生きるチャボと早川さんにもあるだろう。
その変化というか、進化というか、深化というか…。
こういう年齢になっても変われる喜びは確実にある、という3人の実感が溢れていたライブだったように思う。信頼と勇気、そして音楽への愛。これを強く感じられるから、このセッションは見逃せないのだ。
🌷_________🌷
残された時間に思いを馳せる、なんて素敵なことだろう。
生きることを丸ごと構成してくれる、そう、チャボさんの曲ってそういう深さに満ちているのです。もっと遠くへ、そんな気持ちを抱きながら、歌をそばにして生きる、、
MIさんの言葉から見えてくること、たっくさん、、
そう、労って、そしてちょっと楽しくがんばって、刺激的な言葉はいらないけど、望むことを諦めないで、できたら日々、優しく空を見上げる瞬間を作って、、そんな気分にさせてくれるブログでした。感謝投稿です。
好きな1枚
ちょっとキャバレー(アメリカではライブハウス的な意味合いで使う言葉)そうそう、キャバレーシンガーって表現されたことある、、そんな感じがとっても濃く醸し出されています。