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2014年11月の投稿

2014年11月30日 (日)

♪ bye bye autumn  ♪

美しすぎるカード。

閉じたり開けたり、まるで私は、少女のように何度も見入っている。
ゆっくりほんわか、、丁寧に仕事をしていくわ、、そんなふうに今、、
11月は今日終る。


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2014年11月28日 (金)

舞台幕開け。

20代のときに住んでいた駅からすぐにこのキッドアイラックアートホールが存在した。今よりはもっとアンダーグラウンドな装いで、そして大人の表現劇場のようで若い私には少し敷居が高かった。

でも、こういう空間でこそ、そこにさらけ出される表現者の真意が露骨に示され、吊るされ、問われ、はじかれ、砕かれ、敬われ、許され、離され、愛され、という真っ正直な反応があるような気がした。
そして、少なくとも自分はここに立つ意図と意思があると感じた。


あれから30年の歳月が過ぎ、私は昨年ようやくこの劇場に使用予約をいれた。踏み出してみるなら、やはりこの空間に立ち、なにかを確かめたいと思った。マリンバシアタ―はこの秋にその第2弾を終えた。小さな会場なのに、天は高く、地はそこはかとなく深く、目の先には無数の穂があり、歩みたいと思える道が続いているような、そういう空間創造が得られることを知った。


ひとつの覚醒。

一人舞台は、幕を開けたばかり。

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2014年11月24日 (月)

冬の歌詞帳

新しいノートに最初の文字や絵を描くとき、子どもの頃のピカピカしてた心が甦る。

記念日にいただいたノート。「書き続けよ!」という叱咤激励すら聞こえる。
Klaus Haapaniemiの絵、興奮。この冬の私の歌詞帳。

最近は楽譜のオタマジャクシノートより歌詞とコードだけのメモやノートが積み重なってきた。
断片や言葉のはしきれ、、いつか組み合わせてみたいと思っていても、そういう破片のような言葉はなかなか繋がらない。
そのまま何年もそこに居続けている文字。

気に入った歌詞が生まれるときは、やはりスピーディに生まれるものが多いから、その突如現れた言葉の欠片は行き先を待っているのか、それともそのままじっと静かに流れてしまうのか、なんだかそのままでゴメンね、と語りかけていることが多い。

きっとこのノートも様々な道へ転がり込む言葉で埋められてしまうことだろう。
できたら今度こそは、もっと高らかに、普遍を、、書きたいのだ。
今よりは少しだけ。

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秋姫

友人から故郷のトマトジュースが届く。

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陽の射す午後の休日に、、、
秋姫、そんな名前のトマトがあるなんて。
しっとり、ゆっくり。
11月のピークは過ぎたな、っと感じながら。

2014年11月23日 (日)

舞台写真1

カメラマン三浦麻旅子さんから最新の舞台写真が届きました。

はじめて撮っていただいた写真が2005年。ギタリスト仲井戸麗市との初セッション以来、その後、ソロライブなどは可能な限り舞台写真をお願いし、数々の場面に音を創った瞬間が記録されてきました。

三浦さんはスレンダー美人。華奢な身体に大きなカメラを抱えて、舞台演奏する私を、さまざまな角度から俊敏な動きで撮って下さいます。
先日のマリンバシアタ―2014東京のショットの1枚。
あまたある、驚きのカメラワークはきっといつか、フライヤーなどで紹介していきたいと思います。

私が手にしているのは、ベンディールという枠太鼓。
この日は太鼓との弾き歌いに選び、♪小さい秋みつけた♪の語り打ちをしました。
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2014年11月20日 (木)

過去も前進している

やはり、そうなのかな。。私を良く知ってくれている人からは、自作CDは新谷自身の過去を歌っている、と思われても仕方がないことではありますが、、、そんなことではは全くないのですよ、と言ったとしても、でもそうなんでしょ、という決め方のほうに動いていることが多々あり。否定も肯定もしません。

いわゆる「自伝」なんかに全く興味を抱いていない私は、自分を歌うことにも関心の針を向けていない。だから生じた言葉が自分の過去に重なるとしても、実はすでに過去になった物語りの一片をノスタルジーとして歌う余情、、つまりそれは、裏返せば「自分は前進している」という意味でもあるのですが、しかし聴く側からすれば投げかけられている軸が主に悲恋であったりする着地、そこをなんとか別の舵取りをしようとしても、行き着くところそうなってしまうのは単純に、私自身の技術の問題なのかもしれない、いや、そう自覚しているのです。

だから、開拓されていない技量を掘り起こすってことが山ほどあって。
ゆえに、わくわくするほど私は歌を作りたいし、過去っていうものも前に進みたがっていることを、この心が知ってきたわけです。

一つだけ確かなことが言えるとしたら、過去なんかとは無縁な「今らしく」
「今だから」の恋がある、ということだけ。歌っている根っこはこれ以外になにも、これっぽっちも理由はないのだ、というくらい。


恋するワタシだけは、歌いたいワタシだけは、、とまりません。

2014年11月13日 (木)

また来るね〜

開演90分前からホームの方々が集まっていらっしゃるので、サウンドチェックも練習も公開状態です。

手拍子なども強要したくないし、ただ時を忘れ、快適な心の流れや、木と声、その音を渡せたら、、、そんな気持ちで訪問しましたが、一緒に口ずさむ人、演奏後もずっと前方を向いて帰ろうとされない人、次回へのリクエストをくださる人、そして病院側の配慮でおそらく人生初、最前列に座れた入所中の伯母。終演後、その伯母の失明した片目からの涙、、


、、、そして駆け寄ってきた看護士の一人は中学時代の同級生だったり、ここのところ一瞬の郷里帰省は濃い時間が流れています。また来るね、と約束して演奏後は新幹線の時間まであちこち寄り道ドライブ、その時間もまたようやく心が穏やかのまま東京へ向かう準備となりました。


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七戸城址東門
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CDの新曲「月酔いぶらぶら」の歌詞に出てくる八幡岳、が遠くに見えます。
歌った場所はここからの眺めではないのですが、牧場沿いのこの道は昭和時代の映画にも登場しているらしく、私のお気に入りドライブコースです。
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2014年11月10日 (月)

身体の置き場

自分にとって理想的な演奏身体というものは、身が舞台の一片として在る、ことである。それはもちろん、照明や音響や楽器パーツが理想の一致の線上にあるときにおいての話ではあるが。

2014秋ライブ
キッドアイラックアートホール
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花 太陽 雨

ジュリーが唄ったあの孤高、名曲「花、太陽、雨」に挑戦しました。

舞台照明に導かれるように、楽曲に溶け込める瞬間を味わいました。
手作りのベルの樹は、雨の滴


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花は刺さるほどに、自分を振り向かせる瞬間がある

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2014年11月 7日 (金)

1台のマリンバ、一人のワタシ

ワタシは一人、立っている。
でも、ワタシは大きな懐に包まれている。
だからきっと大丈夫だ。
2014 Shoko Araya Marimba Theater
11月5日&6日
キッドアイラックアートホール
満員御礼
多くのココロがワタシを歩かせている。
だから、
感謝をもって、ワタシは一歩を踏める。
表したいことがあるなら、ワタシはそれをやればいい。
ワタシは続けることが、それが意味あることである、とわかる。
それで充分ではないか、、
表したいことがあるなら、、ワタシはそれをやればいい。
それで充分ではないか、、
そこには「意味」なんて、求めはしない。

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2014年11月 3日 (月)

あの日のハクジュホール

2005年に出演したハクジュホールのリクライニングコンサートの際にホール支配人と対談した内容が掲載されました。

コンサートの宣伝の表面がこのように快適な椅子にゆったりと座る女性の写真。
都内でもなかなかお目にかかれない特徴あるホールでした。
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この対談集は届いてから自分のページを確認するだけでしたが、今頃になってゆっくり読み進めると様々な専門家の言葉に打たれ、ためになるページ満載。でも値段が書かれていない?非売品なのでしょうか。記念本にしておくだけではもったいない、、と思うのですが。

2014年11月 2日 (日)

動く服

服が好きだ。

その「服」が本当に存在するのなら、どうしても本物が見たくなる。
どうしたら、このような造形美が生まれるのか。着ることは立体的な行為で、人形が纏っているだけでは真価がわからない。
だから人の腕を通して着られる、生きた血の流れに添って動く服を、できたら、その現実的な美の証明に立ち会うか、体験したい。

演奏と服装はだからいつも大きなテーマなのだけど、新しいものを購入する資本がいつも無し、に等しい。そんなときは古いものを引っぱりだし、愛でて考えて、組み替え、アレンジして着ている。せめて「今」を感じとるための色彩や造形への視覚行動は止めていない。止めてはいけない。

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2014年11月 1日 (土)

やっぱり身体は道具。

昨日は全身、特に腕のケアに一日を費やし、解されたカラダは夜9時には就寝モードへと。。。

当然朝の目覚めも良く、気のせいか身体は軽い。
40代までの身体ではない。身体の声を聞き、練習の質を変えていくのが大人の処方箋よねっ、、と自己暗示。
少なくとも演奏する身体は、今後想像以上に内側の声に寄り添うことになっていくと思う。
機能の変化した部分があるなら、それは楽器へのタッチをシフトする、そんなこと考えるだけでけっこうオモシロキこと。
今秋も11月がはじまった。
外は雨だけど、新作を弾く音の粒は耳に鮮明に感じる。


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