語り太鼓
このようなものに関心がないかたにはきっとつまらない投稿ですが、、笑


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このようなものに関心がないかたにはきっとつまらない投稿ですが、、笑
このシーズン。故郷の母校や、共演した一般の吹奏楽団が東北大会へ進出というお知らせをいただく。日頃、ちょっと吹奏楽からは離れている私だけど、快挙の知らせはやっぱり嬉しい。音楽に金賞だとか金賞でも代表になれる金と代表逃す金とか、、そういう印が押されてしまうことってちょっと厄介ね、とは常々思うけど、、、
ああ、コンクールの宿命。
私は吹奏楽コンクールの審査にはちょっとトラウマがあり、現在は積極的な気持になれず残念にもお断りが続いている。理由は私にある。恥ずかしい話しではあるけど、審査で自分が消耗してしまうのだ。最後まではなんとか審査を続けても、審査会議終えると同時に倒れる。この繰返し、、昨年は長野で審査後に会場から一番近い学校の保健室にお世話になった。校長先生までが審査員の先生が倒れた、ということを聞いて保健室見舞い。以前には帰りの長距離高速バスの中で体調が悪化。胃薬でなんとか冷静に。バスはこれ以上無理となり、タクシーに身を沈めて帰宅。
1日に何十校もの演奏を連続2日〜3日間聴いて審査する、という役割。私には無理なのだとわかった。仕事は受けたい。新しい素晴らしい吹奏楽の響き、聴きたい。でも無理なのだ、もう、、きっと。
それは自分の心身のバランスがどこからかプツっと切れてしまう瞬間があって、そこからは「響き」が単に「吹奏と打の音」にしか聴こえなくなるのだ。
音程が揃っていなくても、選曲が他と比べて劣っていても、その演奏している団体の空気というか、そういう地道さに感動が湧くことだってある。研ぎすまされた鋭角なサウンドが軌道を外せない戦々恐々とした氷のような響きにしか聴こえないときだってある。
私は、、きっと吹奏楽においては、、、、審査員に不向きである。とっても残念だけど、だんだんわかってくるものである。
中学、高校と吹奏楽が青春だった自分の今は、、これでいい。ああ、母校や地元の吹奏楽団と一緒に演奏したいっ!それだけ。
ふるさとで、年に一度のライブです。
http://oharabreak.com/schedule/
この夏、カール オルフの音楽教育研究の会からの依頼でリズムの講座を担当します。日頃より、リズムと人の関係、音楽のなかでもとりわけ「リズム」の作用する心理などを探ることって実はとても魅力的でとことん学習したくなる分野であるため、こうした依頼を受けて話し、参加者と実践し、感じ合う時間が与えられることを有意義に思っております。
根源的な人間臭さに満ちたもの、自然派生する歌とリズム、、永遠のテーマかもしれません。
セミナーやワークショップでよく使う楽器を一つ紹介します。きっとこの講座もバックの片隅に忍ばせて出向きます。大切な石の面々。
高橋悠治「ことばをもって音をたちきれ」晶文社
龍見寺でのコンサートが終りました。プログラムの異なるものを一日に大きく二つという準備に少し手こずりましたが、どういう場で演奏するかを考えると新曲や試みたいことも多々ありました。