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2015年12月23日 (水)

舞台道具は七戸にて

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寺山修司が線路を歩いてこちらに向ってくる。この写真は大変有名な1枚ですが今回の音楽祭ポスターでは宇野亜喜良のデッサンとして柔らかいタッチで描かれております。この垂れ幕が舞台正面に拡大された舞台美術となっておりました。
マリンバを絵としてそこに置くなら、楽器の装飾は線路からこちらへ運ばれる風であり、トレンチコートの襟を立てて前のめりに向ってくる詩人の純朴な「足音」でなくてはならない、、、私は勝手に、そう考えました。
舞台でマリンバだけを弾く、ということは私の場合、ほとんど、、ありません。
打楽器演者として創作する、やはりこの音楽祭の舞台にも「足音」の強調を施しました。

日頃からお世話になっている青森県は小川原湖のほとりにあるウッドランドなかきちの中野晃治さんが本番二日前に偶然にも持参してくれた木材を舞台の床に並べました。それを長い木棒でつつく、、定期的な音ではなく、心情の足音だから、つまずき、、迷い、、決心、、をつつく。
中野さんはこうして時々、「木」を運んでくれます。なにかに使ってみたら?という提案で、今回はまさにその木片を打ち付けるという舞台の開始音として生かされました。

マリンバそのものは楽器としてはかなり大型で、そこに共鳴管という物々しいほど大きい「吐く息」があります。前日のリハーサルで黒と赤の革製布で飾り付けたものは(前回のブログ写真)宇野デッサンの流れにはそぐわない、と判断し、その施しをやめ、伯母の七戸町髙田雨草水墨画館に本番当日の早朝、この舞台に似合うであろう装飾品を探しに行きました。
ありました。
枯れ木と、シルクなどが混ざっている布薔薇。ここに当日東京の方から届いたお祝いの深紅の薔薇を数本交ぜて飾りました。
舞台の進行上、想定してはいなかった「風」の音は、朗読の佐々木英明氏と舞踏の福士正一氏と私の3人で偶発的に立ち上がりました。
マリンバに飾った枯れ木の束を握りしめ、振るという即興的な行為が、心象としての「遠くに聴こえる荒野の風音」となりました。
こうした舞台の醍醐味を、ブログなどで書き表すのは愚かなことですけど。笑
しかし、寺山修司ファンでもあり大学ノートの裏表紙に寺山の短歌を書き写していた伯母が晩年に飾っていたものを舞台道具として使い、それはきっと故人の声も紡いだかもしれず、、そう考えると、記さずにはいられませんでした。

この舞台後、さまざまなメッセージが届けられております。
そのほとんどが
「もっと、もっと見続けて、聴き続けていたかった、、、」という有り難いものではありますが、わずかな時間に凝縮されたある種「寺山の刹那」の、さらにはそのどこかの開かれた扉に立ってみる幸運、、生かされている者がやれることの一瞬の祭り、、と思えば、私にはこの舞台が実にかけがえのないものであったと、、振り返っております。

ありがとうございます。
三沢市で出会った方々へ、、心から。
そして、、ここへ導いてくださった方々へ、、、深く深く御礼申し上げます。

寺山修司を歌い、弾き続けたいと思っております。

Img_1465
舞台終了後、ギャラリーに戻った枯れ木。
Fullsizerender

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