ハネキミヤノキミ
世良さんが私のフェイスブック投稿をシェアしてくださり、そこにこんな文章を寄せてくださいました。
我が故郷の歴史と私がライブで発したことを、このような光線を充てて記述してくださるとは。
正直に言えば、東京で活動している今、自分の背景をこうまで説明されることはないし、誰も知る由もない。それは故郷で演奏しても然り。しかし、自分のなかの何処かにいつも流れてはいるだろうと、一人奥底にしまい込み、作品や演奏する身体、生態、癖、節、本性が濃く露わになるとき、苦く一人納得する。
以下、世良さんの文章。ご本人に許可いただき転載。
RCサクセションライブ以来のチャボがこんなに間近で…、という感激はもとより、その伝説のギターと拮抗する神々しいまでの新谷さんの歌と演奏に圧倒される。
無数の鈴が振り鳴らされるとそこは南青山からいきなり七戸界隈の鎮守の森へと飛ばされた。
マリンバの素朴な響きに誘われるのは、二ッ森縄文遺跡があり、津軽への境界の護りの南部の名城・七戸城があり、由来もわからないほど古い神社群と神楽と祭りが残り、昭和まで日本有数の名馬の産地として栄えた南部七戸。
マリンバの音色が木霊したり、重なりあったりするたび、その野や深い巨木の森を思い出す。地霊をまとう演奏にここが東京だということをすっかり忘れてしまう。このリズムの底辺にラッセラーの青森のねぶたがあったりヤーレヤレの七戸まつりがあったり…。それは司馬遼太郎や三浦雅士が指摘したようにユーラシア的、じゃわめぐ騎馬民族の末裔的なもの。日本の能文化とは一線を画すという。
"ハネキミヤノキミ"、と、いきなり呪文のような青森ことばから始まったライブ、"柳町のカルメン"から"月光"、"浅い月"と、新谷さんのマリンバシンガーとしての魅力が爆発。チャボのカバー"魔法を信じるかい"やシャンソン"ラストダンスは私に"も、矢野顕子の名言「自分の歌は自分のもの、人の歌も自分のもの」ではないが、もうすっかり新谷さんのものになっている。その歌やリズムのありようもアッコちゃんを思い出させる。アッコちゃんが海山や街を吹きわたる風の声なら、新谷さんは大地から生まれる声だけれども。
チャボのギターとお喋りはもちろん文句なしのチャボ節であるし、「この人は年を取りわすれているんだろうか」と思ってしまうほどお茶目で元気。意外で面白くて色っぽかったのが滝廉太郎の"花"などの唱歌シリーズだった。"ダニーボーイ"だの"今日の日はさようなら"には参った。たぶんキャンプファイアー以来だが、こんなにいい歌だったか…。
全くジャンルも違うし、人生も違う(なんとなくクラスの不良と委員長みたいな)のが、お互いをすごくたいせつに、リスペクトしあっている様子が端で見ていてとても微笑ましいし、楽しいし、うらやましい。自分の音を持つひと同士はこうやっていろんな人とセッション、化学反応できるんだなあ…
新しい春が始まる予感に満ちた時間をたっぷり過ごした初南青山マンダラ。
新谷さん、ありがとうございました。
世良さん、ありがとうございます。
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