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2019年10月の投稿

2019年10月31日 (木)

9日は予約受付終了です

来たるホームコンサート2019秋の会、11月9日、ご予約受付は終了しました。10日はあと数席となりました。

9日問い合わせが集中しており、今回初めてキャンセル待ちのお客様が複数という状況です。でもこのホームコンサートはあまりキャンセルも出ませんので、これからお申し込みの方は10日の方へお願いします。

夏は部屋を全部開けて、客席数を増やせるのですが、秋はすでに寒い時期ですため、お席数に限りあります。

ホームでの音の環境が少しづつ整ってきております。いや、まだまだ空間の設えには道半ばですが、なんたって普通の家の中でこと、くつろぎやすさ、少人数のよさ、窓からの光、会話とお茶とお菓子の時間も交えたコミュニケーション、こんな音楽の聴き方もいいね、と言っていただけるよう努力いたします。

 

2019年10月29日 (火)

化鳥

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雨が続きますね。晴れ間が貴重な時間に思えるほど、、そんな時は窓を開けて外気を取り込みます。大きな音では弾きませんが、窓を開けたときこそマリンバを奏でる気持ちが弾みます。ちょっとだけ、、ポロロンと打てば鳥が呼応する。昼間にピーロロ、ピーロロ、鳥の名前はわかりません。今日はまた雨、、締めきった部屋でシャッターも降ろし、弾いています。

先日亡くなった八千草薫さんの出演映画としては、あまりメディアには記載されていない「田園に死す」、岸辺のアルバムなどのテレビドラマなどが印象的ではありましたが、私はこの田園に死すを外せません。何しろ、私の故郷の田園や線路が撮影地として選ばれていることも含め、八千草薫さんの登場するシーンの儚さ、危うさ、翳り、色香にまず魅せられます。寺山修司ワールドには異色すぎる配役ではないでしょうか。いえ、この映画の格付けといったらなんですが、全ては八千草薫さんの存在感あってこそ、と勝手に私自身は感じています。

八千草薫さんも恐山ロケに関わっています。そのシーンはちょっと衝撃的ではありますが、観ていて時間を巻き戻したいと思わせる俳優の登場でした。寺山修司のこの作品での「時計」の意味は如何様にも解釈はできそうですが、現実にこの映画を観る側に求められているような衝動、時間は過ぎ去るものだけど、時間を止めることはできないけど、永久的とは言えないその儚い「間」において、時を戻せぬ人との交わりを命とする、そんな残酷さに似た恋慕、あなたは本気で誰かを愛したことがありますか?というようなテーゼを植えつけられるかのよう。

映画は自由な鑑賞法で良いのですが、このドロドロっとした万人受けはしない映画の中で、もっとも大切な「愛」の捨て身を演じているのが、、もしかしたら、、化鳥という役の八千草薫さん、、、なのかな、、観るたびに感受する側の柔軟性を求められる映画。

マリンバを弾いている時に、聞こえる鳥の鳴き声、、聞いたことのない鳴き方、、不思議な鳥。つかの間の響。

寺山修司の詩にも「ひとり」という鳥(とり)

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2019年10月24日 (木)

アートシーンを古に学ぶ

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ご縁いただいて素晴らしい講義を聴講しています。東京郊外、近所にはたくさんの大学があるのですが、見事な環境をもつ美大で、芸術学の授業。人類史と芸術の関わり、そこから見える現代の科学や芸術と人間の関係。毎回、大学ノートびっしりにメモをとっています。追いつかないほど。

授業が終わると夜のキャンパスは光のアート。オブジェのような建築。あちこち。ちょっとぐるぐるっと回り道で帰りたくなります。Img_9440

自分もこの11月でまた一つ年齢を重ねる。音楽とどう関わって、何を思い、何を渇望し、何に疑問を抱き、何をこれから探そうとしているのか、この循環を鬱する中で、それでも表現者という形の仕事のほんの触りに立っているのか、、そんな自覚だけは芽生えてきた齢。

今だからこそ、優れた講義が身体に染み入る。アイリッシュ音楽のシーンを様々知る。音楽として感受する以前に自然崇拝やら楽器という造形が生まれて来た意味などにも及び、その教授の心地よい声のトーンと重厚な内容に触れれば、大学の教室内にいる間は異国情緒と、知る愉しみに溢れて深い、、

音楽の奥の壮大なる扉は、またしても小さな体に問いかけてくる。

2019年10月17日 (木)

秋のHOMEライブ

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SHOKO ARAYA SOLO LIVE〜秋のアルマンド バッハからシャンソンまで〜

音窓ARAYA (新谷祥子HOME アトリエ)

昨年の秋は伯母の画廊でギャラリーコンサートを行いました。あれから1年。思うこと、やってみたいこと、続けたいことを故郷のこのアトリエにて発信しております。大型のマリンバを設置しています。移動して訪問演奏などでは小型のものを持ち出してますが、大きなマリンバの響きをすぐ近くで聴いていただく試み、体にビンビンと振動を受けていただけるよう、プログラムもこの秋はバッハなど好きな曲を折り込みます。

このホームコンサートは3年前からお客様がたとえお一人だけでも実行する、という意思で始めました。実際にはすぐにお席が埋まりますが、県内、県外からもお越し下さるようになり、まさかの東京からのお客様も。秋の紅葉を楽しみにご旅行兼ねて、など、嬉しい計画を立ててくださいます。

毎回が初回の気分です。先日はたった2人だけのお客様のリクエストでミニコンサート。その時の椅子のまま写真に納めてみたら、この小さな場所でも継続する「時空間の意味」が少し見えてくるようにも思いました。リピーターも多いライブですが、気軽に中学生、高校生とかふらりやってきてくれたらな〜という希望もあり、今回から学生料金を加えました。

最後には秋の歌をみんなで歌おうというコーナーを設けます。お越し下さるお客様には小さな楽器持参でご参加も大歓迎とお伝えします。もちろん、目を閉じて聞くもいい、ちょっとだけ口ずさんでくれてもいい、眺めたっていい、、、

秋の茶菓子もお楽しみに〜〜〜❤️

 

2019年10月16日 (水)

天の歌舞伎展と木琴のこと

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猛烈な台風が来る直前のこと、国立劇場、王子ホールと続けて、木琴weekでありました。

国立劇場 天竺徳兵衛の弾く木琴の調べ。これぞ日本の元祖弾き歌いでしょうか。通し狂言として魅せる大歌舞伎。20年ぶりの上演とのこと。見逃すわけにはいかない、そう意気込んで出かけました。父が大の歌舞伎ファンでもありましたから、父の命日10月10日には「天(10)の歌舞伎展(10)」と自分で決めて、その日は可能な限り歌舞伎鑑賞の日にしております。

江戸時代に西洋から伝わっていたという木琴、これについては大変興味があって、一体誰がどんな風に、どんな場で使ったのか、、、を調べているうちに、その古い貴重な木琴を実際に崇めるチャンスが、2015年にやってきました。細かいことについては、音響の専門家たちが集まるレクチャーで話をしました。

今回の歌舞伎演目では、ほんの一節だけ越後節と共に、ちょこっとその音が聴けるのですが、舞台で使ったものが江戸時代から残っている楽器であるかどうかは不明です。私が過去に実際に見たものより、かなり小型だったので演目のために復元したもの?かな、という感じもしました。

でも木琴が歌舞伎に登場するなんて、これは稀有なる現象とも言えますから、大いに楽しみました。その待ちに待った場面、中村芝翫がちょっとだけ音を外すんですが、それはもしかしたら、このストーリー的には演出の一つ?であろうとも思いました。完璧に演奏したら、この場面はちょっと薄味になってしまいます。おどけた節と盲人のふりして役どろこに奥行きづけの見せ場。歌声と木琴を弾く場面はとてもスリリング。ほんの一瞬ですが、そーれ見て見て、、原初的にも木を打って歌う、ってこと、自然です、人類はやってます、そういう瞬間に拍手を送りたい気分でした。

この演目は相当舞台が大掛かりなので(大きなガマガエルの登場)、照明や早変わりも楽しく、わかりやすい物語でもあるし、もう少しスタンダート化してもいいような、、っと思いますが、さて、演るのと見るのは違うのですから、なんとも言えません。

父の命日なので奮発してちょっといい席、ま、自分への褒美として満足満足。

そして、その翌日は1930年代の木琴(ディーガン)の音色を味わいました。王子ホール。昭和にアメリカと日本で活躍した木琴奏者平岡養一の楽器を譲り受けて演奏活動を行う通崎睦美さんの木琴リサイタル。まず、初めて聴くその音色、奥深さに驚きます。きらびやかに見える新しいフレームの化粧を施した木琴、しかし音はゴージャスということではなく、通崎さんの音楽作りがその木琴の存在を「こんな音もあるのです」と代弁するかのようにコロコロ、カランカラン、美しくクラシックホールに踊ります。弦楽をバックに演奏する内容、構成、トークの理知的な運び、そして布を合わせて独自の演奏衣装についてまでも説明してくださる。聴く楽しみ、見る楽しみ、ですね。  

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プログラムも素晴らしい資料となっています。

通崎さんの著書「木琴デイズ」は、専門性高い内容ですが、こんな重要なる日本の木琴の歴史はここでしか読めません。何度か読み返しておりますが、今では付箋だらけ。

さてさて、話は戻ってしまいますが、私が4年前に出会った江戸の木琴。

こちらの写真です。先日の歌舞伎では徳兵衛が背中に背負ってそろ〜りそろ〜りと登場します。演出上、それは背中に背負うために小さい形にしていますが、実際に舞台で演奏する木琴は黒子が慎重に運びます。こういうタイミングのセンス、采配もまた歌舞伎ならではですね。歌舞伎の「間」は一瞬一瞬が生き物。自分のマリンバを背負って登場できたらな〜〜

歌舞伎鑑賞はやめられません。お次は、はい、正月大歌舞伎!!!

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2019年10月13日 (日)

今朝の音、昨夜の音

台風で締め切っていたシャッターを開けると、鳥の声、普段は音のない小川に濁流の音。近くの大家さんの土砂が崩れて流木などが駐車場前に土にまみれて横たわる。こちらはこれくらいの被害で終わったものの、テレビ放送やSNSでみる悲惨さに驚きます。

日本の地形を見れば、誰でも川の近くに住んでいることになるのではないでしょうか。山から海までの距離が近く、列島をその山々が司どり、海辺までのわずかな平たい地形を選んで住み、日本列島はその自然から恵みを受けていることが明らかです。どの場所にどんな台風がきても、何かしら、私たちは自然への畏怖を感じながら生きていく運命にあると思います。小さな川、大きな川、ずべてが繋がっている。

私は小学生のころ、近所が浸水するという大災害を経験していますが、橋が壊れ落ちるのをみる恐ろしさは今でも忘れていません。濁流の勢いというのか、あの凄まじさは幼い体に音さえも記憶に残っています。

新しい橋がかかった時に、もうこれでこの橋が流されることはないだろう、、と小学校までの往復、毎日渡るたびに思ったことも覚えています。今、日毎仕事で通っている頑丈な橋が折れた惨事をテレビで見れば、もう、何が起こってもそれを「まさか」とか「ありえない」などという言葉では言い表すこともできない。大地や空の狂いが生じているのだろうと感じます。

どう生きていくか、ということさえ考えます。昨夜、久々に聴いた音楽が心に沁みました。植村直己物語のCDサントラ盤です。冒険家をイメージするこの音楽は決して挑発的なサウンドではなくむしろ、環境音楽的な沈静のギターの響きがあります。自然へのリスペクト、そんな心情を抱かせるサウンド。ドキュメンタリー映画への配慮なのか、静かにヒーローを映し出す効果の音楽なのだと思います。音楽はどうやって自然に寄り添えるのだろうか、ということを思います。そこに自然があれば、そこに人工的な音楽など必要としない、と日頃思っているからです。

最近テレビでみたドラマのBGMのあまりの不味さ?なんというのかな、あの奇を衒うような音の扱い、、これは最近疲弊するくらいなんですが、また美術館紹介や美術作品の背景に流す音楽のあの邪魔だなって思ってしまう一瞬とかをその生理的にいやーな感じを、自分の内側に求めているものはなんであるのか、というセンシビリティを忘れずに音楽の仕事を続けたいものだと、感じます。

 

2019年10月10日 (木)

ハッピーバースデー!

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アメリカに住む息子へ誕生日のメッセージをラインで送るのは、日付が変わってから。

あちらはまだ9日。21年目の誕生日。自分の誕生日よりやはり嬉しいものです。成人してからの誕生日というのは、これまでとちょっと親の気持ちも変化するものだと気づきました。可愛いケーキを囲んで、、ということもなんとなく違っているし、実際には別々に暮らしているので、メッセージを送るのも、以前みたいに子どもに対するお節介なママぶり、も違うな〜〜。

自分もアメリカで学生として暮らした2年間を思うと、結構生活や勉強にあっぷあっぷ状態で、親のことなんて考える時間もなかった、、そういうことはちょっと今後悔はしているけど、親になってみると、息子がこちらのことを気にかける時間もないくらいに進んでいる勢いがあれば、それは十分にこちらは安心。

今日は大学のテラス、誰もいない、独り占め。カフェラテで、ハッピーバースデーとつぶやいてみました。誰にも聞こえないし、、なんだかいい時間でした。

往復の運転の車の中でジョンレノン、、家に戻ってからは、仲井戸麗市ブルームーンを聴く。このお二人と同じ誕生日の息子。それを知ったのは息子が生まれてからずっと後。生まれたばかりの赤子を見ながら、私が口ずさんでいたbeautiful boy,,,何度もサビを繰り返して歌っていた。その不思議、、

不思議で繋がることも魅力。そして今、歌の力をいただくのだから、、

イマジン、、

遠回りして、月夜、、ブルームーンはちょっとクリーム色の秋の月。人生は素敵だ。

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高校生の時にモデルで雑誌に掲載された息子のちょっと照れた初仕事。そんな初々しさをいいなとする、こんな親バカも今日だけお許しください。

2019年10月 8日 (火)

まだまだ面白いワークショップ探訪。

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週末の体調不良から快復しましたが、聴く予定だったコンサートとライブを3つもキャンセルということになりました。

チャボさんのライブを聴けない10月は悔しすぎました。大好きなフィリップ グラスの曲を演奏するN響の公演も、、、日曜夜は相模原の友人宅で聴く予定だった歌会も、、、残念ですが、体の声を優先して休暇に充てました。昨年も同じ時期に同じように体調不良であったことを思い出すと、やはり夏の疲れがここにボトント落とされているのかな、、、自己コントロール、反省反省。

昨日から元気に、子どもたちとセッション。

ワークショップは毎回、出会う子どもたちは異なる地域、環境、年齢、体験方法の異種、、こちらが内容をアップデートや適宜変化させないことには、自分にもバネが効かなくなります。昨日は新しい試み、、割れたマリンバの音板をくださる方がおりまして再利用の試み。森の音楽会など、、、これは面白い内容になりそう。これから発展させてみたい!

そう、まだまだ知られざる音の不思議に出会うこと、それが自分自身のワークショップにも繋がっている今です。

 

2019年10月 2日 (水)

例えば今日の音楽

日によっては扱うテーマが相当飛躍する一日になることもありますが、講義やレッスンを終えてノートに順をおってテーマを記入してみると、音楽の無限と果てなき旅を感じさせます。。

朝〜クラヴェスアンサンブル (マイケル ユドー作品)

午前〜サンバ基本楽器と扱いについて

午後〜合奏基礎打楽器のバスドラム、シンバル、スネアドラム、基礎

午後〜フレームドラム成り立ち〜基本ストローク

午後〜梁塵秘抄の話

夕方〜音大図書館でケルト文化に関する資料リサーチ(これは自分の予習時間)

このブログをアップしている時間はちょっと休憩。

これから

夜〜マリンバ(数日後に弾く一人マンボのアレンジもの)

深夜〜リスニングタイム〜今日の予定は「ジョニ ミチェル」

眠りへ〜〜〜〜💤💤💤💤💤💤

書き出してみることもちょっと楽しいですし、自分の不足分も反省するし、整理にもなりますね。

 

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