« 龍見寺で来夏に会いましょう! | トップページ | 花とお茶のある風景 »

2020年4月17日 (金)

家にいる

家にいても毎日が同じではない。こんなに狭い場所でよくもやることがあるものだ、というほど毎日のメニューが多様。

部屋から部屋への移動だけで何回繰り返しているのだろう。

例えば、CDが聴ける部屋が2箇所、あのタイトルはどっちの部屋で聴いたか忘れて何度も往復する始末。

掃除もかなり徹底してきて、モノの整理に目覚める。(遅いっ)

非常勤で通う一つの大学からはオンライン授業の詳細が送られてきて、かなり心強い。これなら自分も負担なくできそう、、と、資料などをまとめる時間もかなり有意義。でももう一つの大学は、なかなかオンラインという方式が困難極めることが予想されていて、こんな非常事態になると大学のシステムって良し悪しもあらわになるのだな、と。

音楽は練習時間の確保はたくさん、でも音を出しているだけが音楽でもなし。こんな余裕時間(老後の暮らしはさておき)だからこその思考、自省なのだろう。。って

昨夜、ゴダールの映画を観る。ヌーヴェルヴァーグの旗手、、ゴダールの映画が好きなわけではない。でもフランスの音楽にちょっとタイムトリップ中で、他国の芸術、文化運動の歴史に一層興味が湧いてきたこともある。こんな今だからこそなのか、世界の動きを見ているうちに、文化背景にあるものが人間の思想に根っこを張らすことはやはりあるだろう、と感じている。当然のことだけど、、

他国の文化支援を嘆く投稿やニュース関連も多くなった。日本はどうなっているのか、と嘆く気持ちはノンポリの自分にも深刻だけれど、芸術、芸能の誕生なんてものはやはり1度飢えてみないと本当の創造世界に到達しないのではないか、、、そんな気持ちにもなる。

飢え、とは何も物質的なものからの距離ではなくて、心底、創造を掻き立てるような状況に落ちてしまう、、そんな状況や解決策の見つからない悲痛さ、心に発芽する飢餓感。

やるせなき理由によって移動を余儀なくされる民族、しかし貧窮の中で一輪の花に出会うことがあれば、そこからまた異種との繋がりも生まれて、、、。今、移動もできない人類の嘆きのとき、「家にいる」が意味するものはなんだろう。

自分、他者、深く見つめたい今。

« 龍見寺で来夏に会いましょう! | トップページ | 花とお茶のある風景 »

学びのこと」カテゴリの記事