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2020年10月12日 (月)

KENZOを着用した日々

大学の卒業式も、打楽器コンクールの本選も、デビューのコンサートもKENZOを着た。

伯母の見立てで、それらの衣装は随分と自分を駆り立て、鼓舞された。

服はやはり重要だ、と痛感する。

伯母は文化服装学院を卒業してそのままそこで教員をした。裁断や裁縫の実践の授業を担当していたので、そこには高田賢三もクラスにいたことをちらっと聞いていた。

私が上京して音大の学生になったとき、伯母は刺激あるものを見たり、聴いたりを続けよと、よくファッションショーに連れ出してくれた。KENZOのショーはワクワクする色彩とフォルム、民族衣装のような風合いが、二十歳前後の私にはドリームワールドだった。

卒業してまだお金もない私、衣装だけは伯母が奮発してくれた。

30代あたりに伯母の意見を聞かずに買って着た衣装などは、コテンパンに批判された。

今でも財布の寂しい生活は変わらないけど、それでも伯母の教え、衣装においてはやはりちょっとお金を使ってしまう。

最近はリフォーム的に工夫したり、それなりに長く着用できるコツも覚えたけど、この1985年当時のKENZOは着倒しで、解いてしまった。

その布は大事にしているけれど、こんな形にはもう戻らない。

服にも、ある種の儚さを感じる。

それが時代を先取って形成し、熟成されたデザイナーの夢ある仕事であればあるほど。

同じものは二つとなし。

最初に腕を通す時の、あの緊張と非日常的な感触も戻ってこない。

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