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2021年8月12日 (木)

マリンバで5度目の国立劇場

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この場所にマリンバを運んだのは、大劇場で4度目、小劇場で1度。

伝統芸能や歌舞伎のメッカで、あまりそこに似つかわしくないようなマリンバという楽器、それを置いてそして弾く、ということができるのは、私にこのチャンスをくださった大御所たちのおかげである。

今回は林英哲氏のお誘いで、以前の全国ツアーの演目、画家藤田嗣治の生涯を扱った「レオナール われに羽賜べ」の中でわずかではあるが、重要な役割で登場させていただいた。英哲さんとはこの場所で2度目。やはり日本の太鼓という企画で、英哲さんや故山口小夜子さんと奏でた。

この演目で参加するのは15年ぶり、、

長いこのブランクを埋めるのは容易ではなく、いや、埋めるというよりはこの時間経過の中で変化した創作の一部を担う責任、その意味に対峙した時間の濃密さ、、

私にはマリンバの意味合いが全く新しい表層でもあったかもしれない。

セッション的な役割ではないこと、その完全に形成された舞台芸術作品の一部になり得る「音」の役割について、とことん考えさせられた本番。

そういう意味で、再演というより、自分には全てがまた新鮮であった。

最後の祈りはエリックサティの音楽を用いている。でも今回は、その和声の微妙な動きを自分でアレンジする必要があった。明瞭に次の和声を引き出すにはサティの音楽をそのまま使うと、情動が薄れるような感じもしたから。

優れた大作曲家の綴った、世に鎮座する和声感覚を、木板のマリンバロールの響きで表現するには、少しせわしない、和音の縦列、そして淡白すぎることに気づいた。気付かされた、、それは全体のシーンをこの音楽で締めくくるという意味においても重要すぎる気づき。

そんなこんなで、ある箇所では音の引き継ぎ和音を削ぎ落としてマリンバを共鳴させた。

以前に何度も聴いてくれた美術の友人が「以前よりずっと良い」という端的に強い言葉でメールをくださった。

ラストシーン、マリンバには照明があたらず、暗闇の中で弾く。これもまた新しいことだった。でも背景の「BGM」ではないということ。

ここで大発見したことが一つ。

マリンバの鍵盤が見えないのは別に平気であったけど、ロールを操作する指が真っ暗で見えない、というのは演奏に大影響を与えるということ。ちょっとびっくり、、そうか、自分は鍵盤より指加減をいつのまにか視覚の一部に取り込んでいるのだという気づき。動揺しつつも、しっかり最後まで弾き続けた。でも、、ちょっと怖い、、真っ暗は、、嫌だな。笑

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英哲さんの稽古場やら、会場の仕込み、リハーサル、本番と連続の劇場通い。高速道路はオリンピック規制やらで、いつもより高額だし、閉鎖された入り口、出口に戸惑っての自走奮闘の日々。でも会場に立っての稽古が何よりありがたい。

これまで出演した国立劇場での楽屋は大部屋、今回は一人の部屋をいただく。しかも〜様書きがない。スッキリ名前で割り当てられる、ああ、これはなんとも緊張を高めたけど(笑)相当にまた嬉しく、思わず写真に収める。

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15年前にこの演目に合わせて考案、デザインされた衣装。林英哲氏のアイディアで衣装さんが縫ってくださったもの、15年後に着れる?

着れた!!!なんの補正もなく!!(ここを強調するお馬鹿な私)

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感染者が多くなり、この本番が消えてしまったら、、そんなことも有りうるだろうと覚悟はしていたけど、奇跡的に生で本番を終えられたことは幸せです。思いがけず多くの音楽仲間が会場にいてくれたとを知ったのは公演後、、それもなんだか嬉しいことでした。

この日、東北からの2団体様が移動できず、映像での上映となりました。東日本大震災からの復興の一つにこの伝統芸能の継承を担う方々の熱い想いが伝わる上映となりました。

酷暑、コロナの中、お運びくださった方々に感謝申し上げます。

林英哲太鼓創作の壮大なる舞台への再登場が、この2021年に叶ったこと、私自身の喜びとして忘れられない2021年になりそうです。

一期一会

(最後の新谷ソロ写真は、英哲風雲の会の辻祐さんがいいカメラで写してくれました。)

 

 

 

 

 

 

 

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