儚い、だから音楽
あと何回、こういうことができるだろう、、これは常に頭をよぎる。
CD制作も、ライブ活動も、自主的なコンサート企画も、無限に続くわけではない。
一回きりかもしれない、そう感じながら全てに取り組んできた、その連続。
もっと言えば、指導の現場でも同じことを考えるようになった。
この若手に、私が今伝えていることは、きっともう繰り返していうこともないだろう、と考えて向き合うようにもなった。
いや、何か使命感とか、そんなものでは決してない。
そして、大袈裟な人生観でもない。
普通に、何気なく思うことになってきただけかもしれない。
特に、演奏、一期一会の感触は増すばかり。ステージ演奏が多かった30代、40代は余裕がなかったから、あまりこういうことを考えている時間もなかった。とにかくその場にしっかりと立てること、打つこと、弾くこと、奏でる内容の質の向上、そこにかけがえのない家族があり、自分個人の思考、生活が同時進行。
今、こういうことを書きたくなったのは、週末に計画したホームコンサートの内容を組み立てながら、企画する楽しさ、初めてお迎えするお客様、どういう音の贈り物を組み立てることができるのか、その時間の充実度に我ながら驚いているから。自由にお迎えする時間、私の時間でもある。
そして、その人にとって一生の思い出になるかもしれない、いやどう刻まれるかは別として、音楽と同時に考える人生の一コマ一コマ。
故郷ではぼーっとすることも選択肢。レンタカーでどこまでも走る、もあり。でも、冒頭に書いたように、
あれ?あと何回、こういうことができそう?自身の体をしっかり使って、何かの種蒔きくらいのお役目はしたいもの、、そういう気持ちが高まった時に、私は「やらない後悔は嫌だな」と呟いている。
今朝は、雪が舞う。寒いけど、花粉症はしばし治まってくれている。