蛮族
少し前の演奏ですが、写真データが届いて、さまざまな演奏シーンの振り返りもある日々。
そして、ここのところ連日コンサート、映画、出かけています。室内、屋外、アンダーグラウンド。
音を聴く距離、なま、スピーカー、時々耳栓も使用。全て生には間違いなく、それなのに、コロナの時期から連日で外出して演奏を聴くという行為が久々すぎたせいか、狭い空間での大音量には少し草臥れた。すぐそこに演じる(演奏する)人がいるのだから、この爆音量はいったい、、
何を基準に作られた空間なのか。誰に向かって作っている音なのか。演奏は素晴らしいエネルギー、なのにそれ以上にクラシックホールの壁すら無視したかのようなスピーカーからの異物的な音。トークはもちろん、何を話しているのかさっぱり伝わってこないのが残念。
全てが完璧に終わらないのが常であるし、時に主体となる自身の演奏への観察根も込めて言うなら、やはり客観的洞察力を養うこと、これに尽きる。みんなが向かっている方向に正解があるかのような圧力は、コンサートの運び方、流れからからも見る方に痛く伝わることがある。
なんだこれは?と、理屈なく身体に感動をもたらすということはなんであろうか。そうしたことを考える時間も増えている。
綺麗事ではなく、、型通りでなく、、調和調和って叫ばないで、、
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最近はずっと曲が書けない時期にいた。今、今になって、ようやく私はずっと言葉と旋律に心が動き出す。
時はこうして巡ってくる。たぶん、これからも、、
書けない時期にはやはり自主企画などに気持ちも向かえないジレンマ。新しい言葉が吹き込んでいるときにこそ創造できる空間があるから。
しかし、全てに無駄な時間はないのだろう。自由に書く。
忘れたくないのは、今こそ蛮族でありたいということ。
今日は、雨、、でも小さな音具を鞄に忍ばせ外へ行こう、、