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2022年6月の投稿

2022年6月29日 (水)

♪手紙

アルバム「Jpurney」への収録曲「手紙」

この曲を作ってからまだ日が浅いのに、ライブ盤として残すかどうかの判断までの迷い。この曲はやめよう、、もう少し先のアルバムに、、とも思えなかった「手紙」

そうです。限りある人生の時間においてこの「先送り」なんてこと、不確か。若い時とは違っている時間価値。今でしょ、今の気持ちに向き合っていいでしょう、、😃と、自分へ回答を送りました。

日が浅くても、ライブで現れ出た自分の率直で純粋な想い、それが薄れないように、今の真っ新な感触で収めておくことも大切だと思いました。

誰にでもありましょうか。大切な人に渡せなかった手紙。文字にはしなかったけど心に置いていた手紙、あまりに関係が近い人への手紙はなかなか難しいものでもあります。迷っているうちに、天国へ旅立ったその人(人たち)へ、この手紙を歌にして送ることしかできない今、いや、文字にしなくとも、声を発して送りたかった言葉を今なお、見つけられずにいるもどかしさ、、その人(人たち)はもう目を閉じているけど、耳はどこかで私を追いかけて、どこかで心の声を聞いているのかもしれない。

28年前の6月、母が旅立ち、あの日は故郷はまだ肌寒くて、、しかし今や、地球も大きな変化に包まれて、、

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2022年6月28日 (火)

♪ユニコーン

アルバム「Journery」のユニコーン。この曲はすでに過去のアルバムに収めています。

しばらく時間を置いて、自作を見つめることって大切だなと感じます。あの時に、どうしてこんな歌詞が生まれたのか、今、もう一度、、時が巡ってきたかのように何度も歌っていたい曲となりました。

さまざまなことが、同時に起こっていたんだろうと思う。そしてそのどれもが自分に与えられた時間、降りるべき事象、歌詞にすることで確かめる自分の心、、そういうものは確かにあったんだろうと。

白い馬を見たのは本当のことで、

そして一方では、黒々とした幻想的でこの上なく美しく、赤い土の上で舞うために鍛錬されたそのサーカスの馬も眺めていたことは本当で。

旅したノルウェーの奥の森に立ちすくんで、やせ細った何頭かの、華奢な首を降る馬たちを見ていたことも本当のことで。

幻想的な光景を見ている自分、しかし一方で向き合わなくてはならない現実の重荷、、そのハザマで、どこか心は重たく。

歌うことは自分自身の調べとなる。そしていつか忘れ去れる歌であってもいい、というくらいの思いで書いて、歌って、、

今はあれからもう随分時間がたった。少し冷静な時間にいるからか、この歌はもはや、私の苦しみではない。誰かが「この曲好き」と言ってくれたからである。一人ではなく、、意外にも多くの方から。

その言葉に揺さぶられて、新しい息吹を吹き込んで、原曲とは少しコードを変えた部分もあって、だから、、決してこの曲は絵の中の、空想を歌ってはいないつもりだけど。

そんなこんなで、、以前よりちょっと力強いユニコーン、自分の中で幻想だけにとどめてはいないつもりの曲、になっております。

聴いてくださーーーい。(もし、このブログを訪ねてくれてまだライブ盤を聴いていないという方、、是非ね。♡)

2022年6月23日 (木)

♪未来

アルバム「Journey」から

未来

収録順不同で書いています。

以前のアルバムにも収録しているけど、ライブ盤はチャボさんのギターとのセッションで収めたかった。

自作を客観的に見つけたいと思うとき、あまり音の数を増やさず、引き算して弾くことが多い。だから結果的にこの曲はギターを聴きながら自分は歌い、打っている。マリンバの音の粒、その意味、その存在がこの曲で一番「ハマって」いたと思い出す。ライブ中に感じた感触がそのまま音になって現れている。と思えているのですが、、、

動きながら歌うってこと、、体力的にはキツイと思うこともあるけど、技術的な甘さであってはいけないと思っているから、もう少し踏ん張らないと!!

その技術っていう意味は、上手に綺麗に形よく、っていう意味でもないのですけれど。

窓を開ける、という言葉からこの曲の発想が生まれています。私が度々感じてきた、そして育まれてきたと思える目の前の「窓」、そしてその向こう側の世界。

どれだけの数の窓を開けていけるだろう。

 

2022年6月21日 (火)

♪風が吹いている

アルバムの曲から

2021年夏に作った曲。歌詞は、まるで今のウクライナ、ロシアの戦争の悲劇と受け取った方もいらっしゃるようですが、ライブが行われた2022年の1月には、まだこんな酷い戦争は始まっていなかったのです。歌っている歌詞は、確かに人と人が戦う悲惨さは滲みでてはいます。実際に、戦闘機が空を訓練飛行している日本なのですから。その爆音の下にいて、強度の不安を感じることはあります。どこに何を向けてという恐怖ではなく、得体の知れない世情の鬱積でしょうか。

そんな会話を知人と長電話していたとき、テレビには世界中からのアスリートたちがオリンピックという一つの集いの場に笑顔で歩くシーンが流れていました。音を消して知人と話し込んでいたら、映像だけが異次元のような華やかさに見えてきて、それ自体がどうのという話ではなく、この世界のどこで生まれたか、どこの星の下に生命を授かったか、という境界線一つ越えるだけで、肌の色、言語、宗教、思想、、それが与えられていく運命の不思議さを再確認したような瞬間でした。

長い夜、風を浴びに歩く、、(夜は近所だけ)

この風は誰かれを選ばず、、どこに行き着くだろう、、

この風は在りし日の島へ渡るだろうか、、

その島に、私たちは生きている。

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2022年6月20日 (月)

やっと咲いた。

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プチ旅より戻りますと、プチガーデンに昨年種を撒いていた紫陽花が、昨日、薄紫色をほんのりと漂わせ私を待っていてくれました。

母の命日が近くなって、それに合わせてくれたかのように。

花瓶に移して色調を楽しんでいます。

さて、私のミニ演奏投稿がきっかけになって、急遽、久々にオンラインでのトーク。マリンバ仲間のTさんとzoomで1時間。zoomってどうやるんだっけ?から始まるくらい久々でした。最初はマリンバの部屋で、マリンバ弾きながら、、そしてリビングに移ってからトーク会。

そこに、はい、、そうそう、、この紫陽花は、画面背景にばっちり。ちょうどいい具合に部屋にマッチしてくれました。

バッハの運指、スケールの運指、グリップ、マレットチョイス、いろいろ。シビアなトークもたまにはいいものです。

 

 

 

 

2022年6月12日 (日)

ピクニックボーイ

ピクニックボーイ

あの子、どうしているかな?

あの日、どうしてやってきたの?

もうすぐ遠くの街へ引っ越すという日に

どうしても会いたい人なら、会いに行く

そのことの愛しさ、大切さを君に教えてもらったよ

地平線も超えて、きっと思い出は続く

そのことを知っていたか、知らなかったか、

そんなことはどうでもいい

同じ足跡を残すこと、その眩しい光がつくる楽園の入り口に

そんなことは大人だけが考える

歌を書いたこの自分だけが

この歌を誰に捧げるかなんて?

そんなことも どうでもいい

あの日の光を

忘れていないよ

と、言いたいだけの歌だった

でも、心にはずしんと君が残るんだ

だから、この歌はきっとあの日の光が導いて作った

ピクニックに行こう

いつかいつか、きっとまた輝くよ

会いたい人には、会いに行こう

 

(ライブ盤アルバム 「Shoko Araya Journey」に収録したピクニックボーイのこと、、つらつら)

 

 

2022年6月 6日 (月)

青森ショートショート

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3年ぶりに青森ねぶた囃子稽古に参加しました。音聴けば血騒ぐや、岸壁練習の気持ちよさよ。久々でしたが、なんとか皆さんについて手振り鉦打ち込む。3年の月日、、稽古一つも参加できない日々。

コロナ禍とは実に多感性も養ってはくれたけど今を生きる瞬間瞬間についても深く考える時間だったように思います。

家に戻って鉦を磨く。気持ちが落ち着く時。

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昨日は青森に行けば必ずの場所、棟方志功記念館へ。送迎の友と一緒にゆっくり美味しい鰻も味わいました。

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この日は祝祭/祈り がテーマの棟方の息遣い。迫力とどこかに漂う寂寥。だから何度通っても慰みを受け、明日に向かえる。

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昨日の青森市から一転、故郷の天気は毎日大きく変化します。今朝からストーブとセーターで新曲練習。音に混じり気がなく澄んで聞こえる、自宅は静かな時間だけが流れる。

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2022年6月 2日 (木)

手紙たくさん、

今日も一通のお手紙。アルバムリリースから、こうしてお手紙や葉書で感想などメッセージをいただいております。

涙なしには読めないものもあります。

好きな曲を書いてくれるものがあります。そして歌詞を楽しんでくださっていることがわかる手紙や、具体的にその方の思い出と重ねて綴ってくれるもの、、言葉のある音楽を作るということは、思ってもみなかった感想、人様の人生などにも触れていくことになるのだと気づきました。

1曲ごとに歌の背景を綴ってみたいなと思う反面、それを綴ってしまうと、想像して聴いてくださる方もいらっしゃるから、やはりさまざまな想いで受け止めていただくことがいいような、そう、ロマンにおさめておこう、とも思います。

でも、伝えたいなと思うこともたくさんあって、、、時々、思い出したら書いてみます。

配信ライブをご覧くださった方は、なぜチャボさんカバー曲のホームタウンが小太鼓から始まるのかお分かりだと思います。ライブをご覧いただかなくても、違和感はないと思っていますが、唐突すぎたかな、とも感じます。

まあ、そんなことをポツリポツリ書いたりもいいかな。

では、Green Fieldから少し。

故郷の道はどこまでも続くのです。緑の景色が、、、果てしなく、、、ドライブ中にメロディが浮かんだ曲、そんなシチュエーションはあまりないのですが、これは特別に浮かび上がった旋律が忘れらなくて。でもコロナの時期のこと、ポワーンと心許ない何かに取り憑かれていた私たちは、道の先に見たいものを見つける、そんな憧憬だけがあったように思います。あなたと歩いた道、、それは現実の道なのか、願った道なのか、、

はい、そこまで。笑

気まぐれにこうやって書きたいと思います。アルバムでみなさんが好きだと言ってくれる曲、グリーンフィールド。素直に書くことって楽しい、、そう思えた1曲です。

 

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