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2023年8月28日 (月)

そこに生まれなかったゆえの、、

青森ねぶたのことを少し書きたいと思います。

青森イコールねぶた、ではなし。私は県内でも南部地方に育ち、八甲田山の南西側に生まれた。青森ねぶた、弘前ねぷた、などは津軽地方に根付く古い歴史ある祭り。その言葉訛りも南部とは異なるし、チャンスがなければ「ねぶたを見て育つ」という環境にはない。なにしろ海沿いの浅虫海岸沿いに走るにしても、八甲田山を突っ切って青森市まで降りるにしても、90分、昔の道路だったら2時間以上はかかった。

親と一緒に見物に行くこともなかった。私は中学の時に初めて体験し、そして20代後半で「手振り鉦」を打つ老齢の男性の手捌きに惚れ込んだ。

今はみちのく有料道路があるので、自家用車なら60分で到着はできるけれど、もっと早い方法なら新幹線で楽チンに移動も可能。親が生きていたら自分が連れ出して一度は見せてあげたかった。。。

でも、、ねぶた祭りはやはりまだ遠い地の祭り、という感じが県内にいても感じることがある。それはねぶたの練習や、ねぶた本番を終えて長いドライブの後、実家にたどり着いた時、、、

そこは漆黒の空と無声の町、虫の声が時折聞こえて反響する町内の通りに、ふと自分の身を置いて、今この場所では、あの狂うばかりの祭りを誰とも共有していないなだと気づいたいとき、、空を見上げて思うこと。

そんな瞬間、皮膚に残る海風の感触を確かめながらも、ねぶたの波動がまた遠ざかっていく。それを追うかのように薄い声で「らっせら〜」と呟いてみる。声は私一人、、

遠い幻想の街にあの巨大な火祭りが舞い、踊り、囃子の音がうねり、そこに自分がいたという現実感が一瞬で消え去るくらいの暗闇が待っている。

それほどに強烈、

それほどに夢、

それほどに、私は焦がれている何かが、、そこにあって、、

そこに生まれなかった、ゆえの何かか、、

そこに生まれ聴き育っていないゆえの、別物の郷愁

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2時間3キロ近い道のりを打ち歩いた後、疲れ切っているはずなのに、すごく気持ちが明るい、表情も生きている、、

仲間ができて嬉しい

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竹浪比呂夫氏のねぶた、ねぶた大賞4連覇、総合1位、、

とんでもない団体に入ってしまったものだ、、誰かにも言われたけど、実感、すごく感激だけど。

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生きてる、、出陣前に光(火)が灯される瞬間は、天と地のハザマにねぶたが揺れ出す、

出陣の場面に立ち会うファンも大勢います

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2017年の私の初めての手振り鉦経験からずっと稽古、指導をしてくれる長谷川部会長、ショーケン似、イケメンですね〜〜

新谷さん、まだまだって、言われてます。。当然ですよ、まだまだ、、手振り鉦は深い!!

私よりずっと若い方々に囲まれて、指導を受けているのは新鮮です。

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蘇民将来、子孫家門

疫病が治まって、新しい息吹めぐり来ることへの祈祷、そんな意味合いも含めて、美しいねぶたを背に打ち歩くことができました。

初の4日間参加も、少し自信がつきました。暑い夏でした、、、

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