姫路、、終了
コロナ禍で中止になった公演はいくつか、でも、延期として必ずいつか叶えたいね、と願っていた「語り寿歌」(かたりほぎうた)は、姫路公演も終了しました。
いろいろと難題が多いと思っていたけれど、一つ一つクリアできた、音楽担当という責任は、自分一人舞台よりちょっと精神的にも重さがある。脇にいて音楽で芝居効果を生み、一つのドラマを完成させるという意味で。好きな仕事だと思っている。
姫路では久々に、本当に久々に劇作家、寿歌の作者、北村想氏とも再会。ちょっと緊張。でも今の自分の創作を見ていただいたこと、幸せなり。
それにしても船戸香里さんは一人で3役を演じる。まあ、講談だから。こちらも曲の幅があちらこちらと飛びますので、演奏中は切り替えも必要で、同じテーマの雰囲気で演奏するわけにはいかない。なんたって、ストーリーが波乱しているっていうか、終幕までの距離感は近くでもあり果てしなく遠くでもあり。ラジオから流れる音のようでもいたいし、すぐ目の前の人に伝えたいライブ感でもありたいし、はたまた、宇宙の果て、ずっと向こう、氷河期に入った地球の穴ぐらの誰かに届け、、とか、まあ、変なことばかり考えてしまうくらい、、音の方向性を考えながら、マリンバ一つの素朴さと向き合って、そして飛びまくっている。
今っていう時代は、この語りで聞く長いストーリーに耐えうる時代であろうか、そんなこともよぎった。なんでも即席的に見えちゃう時代において、「目に見えない観客に向かって綴っていく」
演者(役者も演奏家も)はその忍耐の幅を聴く側より何倍も培って養って磨いていく立場にいるように思う。それがいい具合の振り子作用で、お客様と交信していくこと、果てなく大きな課題の前に座していることに気づきながら、、
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