年末ご挨拶
時のうつろい、その内側に流れくるさまざまなことを、やっとこさ漕いで、そして時に岸に乗り上げては休息し、さて、そろそろかと思えばまたその小舟を川岸から泳がせ、ふむ、この方向だったか、いや向こう岸だったか、迷っているうちに日は暮れて、、と、、
こんなことの繰り返しで気がつけば年の暮れ
今年はブログの更新が少なかったので、これもまたコロナが落ち着いて少し仕事のペースが戻ったことの言い訳のようですが、私にしては外歩きが多かった1年でもありました。
仕事の合間に、つい先日も、ふらっとドライブ、、山の稜線を遠くから近くから眺める旅、山には登らず、遠くから、、そしてふらっと帰途につく、そんな目的のないドライブ、、コロナの時にドライブしながら作った歌もあったけど、この1年はあまり書くことができなかった、、それでも、ドライブしながら、自作を鼻歌。。そして、今年はすごく好きな曲が生まれた、喜びとしていこう。
1時間も走れば壮大な山々に近づく。冬に向かう枯れ木がまた強い息を吐いている
そして、数日後に新しい年を迎える今、、
東京にいて目覚める時、青森実家で目覚める時、あれ?今はどっちだっけ?的な錯覚も。それは往来が頻度を増していたこと、、もある。
雪に囲まれる実家が気掛かりになってきたこと、これもまたここ数年の私自身の変化。ホームライブは2024年に7年目を迎える。眠っていた場所が、今は人がやってきてくれる場所になり、2017年に開始したホームライブから欠かさず聴いてくれる人たちも、、本当にありがたいことだと気づく今。
1年を通して実家に戻る時間も増えたので、家の機能というか、家をこうしてみたいという欲も増えてきたのですが、世の中の「実家問題」は私の場合、問題どころかありがたい居場所として「ここ」がある。両親からのメッセージでもあるかなと、、考える。
先日取材に来てくれた方が「新幹線の駅ができたこと、大きい意味がありますね」、、その通りなのだ、と思う。あまり遠いと感じることもなくなったけど、、それでも北国の暮らしは冬になるとその重みを実感することに多々遭遇する。便利になっていくようでいて、どこか、何かが置き去りにされていることも感じる。
ただ、時間が悠々とすぎる、ああ、それは子どものころに感じた瞬間瞬間の青く透明な微睡むような寂しさ、に似ている
、、、、仏壇の襖を開けると秋にいただいた薔薇、自然に美しいドライフラワーになっていたので、ガラスに飾ってみた。
帰宅すれば、枯れた花、木々、痛んだ壁、でも以前より手入れし、人がきてくれるようになった家は、どこか活気づいている
毎月8日の日に市日があって、東京の花屋よりずっとずっとイキイキして見える花々が買える。安くはないが正月に花は欠かせない
母の生花のようには行かないけど、昨夜いただいた京菓子の龍の絵を切り取って花遊び。少し勢いありか、、
午後は工事の方がやってくる。毎回何かしらの凹みを治してもらう、、家は言葉こそ発しはしないが、短期間でも私の帰りを待っては、ほころびを伝えてくる。
音窓ARAYA、2024年の音はじめは3月からとなります。
まずは、ここに集ってくれた皆様へ、遠くからいつも応援の皆様へ、心より感謝いたします。
新しい年は、東京、青森、往来を楽しみながら、一歩一歩といたします。
暖かくお過ごしください
来年は更新を増やしますよ〜〜
拙い文章ですが、読んでますよ〜のお声に支えられて、続けられております。
心からの感謝を込めて、、