« 2023年12月 | トップページ | 2024年2月 »
八王子の鎌田鳥山カフェでの打ち合わせ中、、散歩でトコトコ歩いてきた子どもたちと丸太太鼓でつながるひととき、、
子どもってみんなバラバラだ、、どの子も同じことをしないし、同じことを言わない、
しかし、誰かの真似はする、いいことの真似、あんまり良くないなという真似もする
誰かの言うことを聞く、誰の言うことも聞かない、
何かをしようと誘う大人もいるが、見守る大人もいる
お弁当の時間になれば、そっちがいい、、食べなくちゃ、、その時間をしっかりカラダが覚えていく
自然体という言葉があるけど、私は自然というところまでが好きだ、そこに自然体、という体という字をくっつけると、全てオーライ的な匂いがあまり好きではない。だって、自然と体、はもう宇宙以上に壮大な文字がくっついていて、自然体って何?と問われたら、実際には、自分では答えられないだろう。
丸太太鼓に吸い付くようにやってきた子どもたちの小さな姿を見ながら、この柔らかな動き、反応する目、触覚を確かめようとする手、考えはじめるかのようなわずかに動いている口元、唇、、
生き物、楽器、カラダ、
気づけは「自然」という言葉は、ずっと後からついてくる
カラダが何かに反応する、つまり体験、何かを一つ一つ解いていくようなこと、時間を豊かに過ごすこと、それは物質的なことではもちろんなく、
今できること、今感じること、結局はここに行き着くんだな、、
まだ支援物資が届かないという孤島、道路が寸断されれば深刻なことばかり、、
スーパーに並ぶ人の列、普段の生活が急に変化してしまう自然災害、
物語の筋なんて、人間の描く理想なんて、一瞬にして軌道から逸れてしますことがある、という現実がそこに流れている
こんな日々、
なぜだかTom Waitsを聴きたくなって、実家に置いたアルバムをローテーション
全く、今頃、Tom Waitsは似合うだろうか、、こんな今だから、なんだかしっくりくるようで、何度も繰り返し、壊れかけそうなCDデッキで
聴いている。乾燥した部屋のせいか、音がよく響いてくる、こんな小さな安いデッキでも、奥行きのあるライブハウスのような響きになるのか。
もちろん、大音量で聴く
かの仲井戸麗市、そうチャボさんにTom Waitsを知らされて、それからたくさんの曲を聴いて聴いて、そして買った最初のアルバム。
どうして実家に置いているかというと、このアルバムが好きすぎて東京と青森の移動に持ち歩いているうちに、、どちらに置いたかわからなくなって、今はここに。
わざわざ持ち歩かなくてもサブスクで聴く方法が簡単なのに、私はCDデッキで聴きたいアルバムというのは特別なものなのでこうして持ち歩く。
このどんよりとした曇り空の北国で、北陸の地震災害のことを思うと、このアルバムに綴られている歌詞が、ジンジンと響いてくる。
なんとか、助かって、、
人生を綺麗事に生きていくなんて愚か、
人生にはいろいろある、その苦しさ、もがき、訣別、決心、希望、
すべてある。
それをこうした音楽が、一緒に、何か、落とし込んでくれている、たぶん、どこかに連れ出してくれている
元旦から大地が騒いでいるのか、暴れ出したのか、
なんてことだろうか、、新しい年の始め、喜びに浸っているわけにもいかないだろう。そして、先ほどは羽田空港の惨事
新幹線車内で群ようこのエッセイを読んでいたら「わざわざ悲しくなるだけの、世界の悲惨なニュースを見る必要はない」というようなことを書いていた。なるべくテレビを見ないとする理由で、確かにそうかもと思うくらい、ニュースは絶望的なことばかりだ。
私は受信料を払っているNHK以外はほとんど見ないけれど、ではNHKとなればやはりニュース、ドキュメンタリー、もしくは料理番組(見てもその通り作ったこともないけど)あとは日曜美術館。今なら朝ドラも見る。ブギウギは音楽要素が多いからタイミングある時は見る。
ニュースは辛さだけが滲む、でも群ようこさんのように、見ない、と言い切ることもできない。社会に起こっていることを知らないままでいるのも不安、緊急事態への備え、知恵も必要、特に自分のような社会性のない生活をしていると、自分を律するために、心引き締まる思いでみることもある。
自然災害に対し、人間にできる対策は限られている、という脆弱さを知る。それでも何もしないことより、何かを知ることだけで、前方を見ることができそうな気もする。災害に備えよ、はこの日本では必須だろう。
石川県の輪島市は私が留学を終えて日本での演奏活動を開始してすぐに訪問した場所。吹奏楽界の巨匠アルフレッド リード氏のバンド指導の通訳をするという仕事だった。日本海からの波を見下ろす岸壁に建つペンションに荒れた海の大波が打ち寄せる会場だったこと、その翌日に朝市に出かけ楽器を買ったこと、、、
その朝市が壊滅状態で映し出されてた。家も道路もない、、そんな景色に心が痛む
祈りを捧げます
鎮まりますように、、平穏を祈りながら、この状況に手を合わせることくらいか、、