希望というビート
はっきりとはトークでは言わなかったことですが、3回目のマンダラからの配信ライブで私は「希望」を歌っているように感じます。
作った歌った、今回の歌の中で、「月とブランコ」以外は、、おそらく簡単なカテゴリー語句を使うなら「一つの希望」でありたい。
ライブ前に気づき始めていたけれど、そういうテーマ性を意識したわけではないし、選びたかった曲がこういう流れになった、ということか、、
歌詞の中に「嘆き」はあっても、そこに留まってはいない自分。まあ、少し自分でも驚いているのですが、、、
これまでと違うね、、というメッセージやら、期待を裏切られた、というニュアンスのメッセージ(良い意味と解釈しよう)が多いことも物語っているようです。
身体の使い方、技術の変化とそれに対する心身のコントロール、歌詞とコードの釣り合い方への試行錯誤、楽器を媒介とする「歌」への挑戦は、今こそ充実した時間であるけれども、道標が自分の中にしかない、つまりセルフプロデュースの今、朧げな不安と葛藤。
言葉一つ一つ、音一つ一つが、やっと見えてきた。これが正直なる今回の自己評価。良し悪しではない、何が見えているのか、何に気づくのか、
何を歌うのか、、凸凹だらけだ。。
でも嬉しい。私は終演後にこれまでになく明るい気持ちになっていたこと、、続けていくことの中に、ようやく見えてきたこともある。