カテゴリー「歌うこと」の41件の投稿

2017年6月10日 (土)

紅茶と歌と、、、

今日の嬉しい出来事。

ある歌を調べていたらその原曲にたどりつき、知られざるルーツに驚き、旋律の甘美さに酔いしれ、迷っていた歌詞を決定したこと!(歌詞が気に入ると、私の場合、一つ階段を上がれたくらいとびきり嬉しい出来事となります。やはり自分の口から発するものだから、、)

そして、もう一つ。
近日レコーディング準備のお弟子君から、思いがけなくもオシャレなピーコック柄のTea Potをいただいたこと。なーんて素敵なデザイン。


あまりに気にって、その歌を何度も歌い続け、伴奏のパターンが閃いた事、、
あまりにほれぼれとして、そのポットで美味しく紅茶を飲んだこと。
聴いて、歌って、眺めて、狭い家の中をTea potと一緒に移動しつつ仕事している。

明日はプランターに勢いづくミントをたっぷりいれてお茶と朝食を楽しもう。
明日が楽しみ。cafe
Fullsizerender

2017年5月 1日 (月)

母の棟方志功

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もの心ついた頃からみている母の仕事部屋に飾られていた棟方志功の裸婦。いや、菩薩。
実家に戻ればちらっと私に目を向ける。いや、眼差しを私が確かめる。
母を、想えば隣にこの微笑み。

何があろうとも心には、静かに、温かく、笑みを抱けるように生きたい。
母は歌が好きだったから、菩薩の周りに母の声も聞こえたりする。
今、私が歌を日々に感じ生きているのは、もしかしたら母のおかげかもしれない。

毎日仕事をしながら口ずさむ母の声は、いつまでも優しく尊いもの。


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そして今日から実家で1人合宿。
この部屋でマリンバキャンプなり!
冬場とは違う響き、北国の春の陽気に戸惑っているみたい。
トーンを丸くするより、ちょっと木の跳ねっ返りにパンチが欲しい。
周囲が静かなせいかもしれない。
木の振動が鮮度高く、微細な成分すべて聞こえる。

これは声をのせるのも恐いほどの音粒子散らばる。
弾きこまねばならないな。

母よ、棟方志功様よ、
見守ってくださいね。

2017年4月 3日 (月)

デュエットなのです。

時々思う。リハーサルの途中で思う。

「チャボさん、ドラマーさんの参加もお願いしませんか?」と。
一瞬思う。
でも、声にはしない。いや、声にする前に、それはやはり、デュエットとして新谷を拾ってくださったチャボさんに対しナンセンスだとわかる。
それはライブ中にわかる。
本番後にわかる。
そして今日もわかる。
デュエットでやらせていただくことへの意味。

ドラマーがいればどうなるのか、それは簡単に予想できる。
私が希望しているのはそういうことであるなら、ちょっと違うニュアンスでチャボさんと向き合っていたであろう、、、と。

仲井戸CHABO麗市の隣に並び奏でる。
自分の技量分で並ぶ。
とんでもないものが自分に跳ね返ってくるものを知る。
そこから飛ばせるならチャボさんに送り返せるようなものを送っている。
その送ったものが、どうなるのか、もう少し探っていくまで、
チャボさんにもっと頼りたい。

それは、、
ステージにいる人が自分以外に1人であるときにしか生まれない「頼り」である。
頼るためには、生きた音、生きた言葉、を堂々と持ち得る深みを身体に組み入れること。

2人も3人も複数と呼ぶ。
でも、2人と3人の間にはとてつもなく大きな差があるような気がする。

デュエットである幸福感をずっと知っているのに、、、
なぜ今日はこんな可笑しいひとり言。

2017年2月16日 (木)

いい歌

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いい歌がいっぱいある。
以前は聞き流したメロディ、コーラスの声にハッとする。

カバーを歌うっていうことは簡単な、いや、気軽な気分で踏み込んじゃいけないのではないか、とさえ思う。リズムを変える、キーを変える、フレーズ感を変える、時代なんだろうか、カバー曲からかけ離れたアレンジをたくさん耳にする、自分も自分風にしてやっちゃえ、とか意気込むことはある。

いい歌は、本当はそのままでいいはずなんだけど。
いい歌だから、自分に寄せたくなるのだろうな。
いい歌を、いい歌にして…

2016年9月 8日 (木)

ピアノは弾くけど

広ーい楽屋。グランドピアノが置いてあるけど、そういえば依頼される仕事でピアニストをお願いすることって、まずないな、、と気づく。
以前はクラシックナンバーやラグタイムなどの伴奏でお願いしたり、またセッションでピアノ、ベース、と一緒にもあったけど、ここ最近はソロ、一人舞台が多くなっているように思う。

マリンバメインに少しパーカッション演奏を、これも最近は全部自分で打つ。ただひたすらマリンバの木と向き合う。ピアノがあればそれはそれでレパ―トリーの変化、選曲の方向もあるのだけれど、、、今の私には、その選択肢がない。

ピアノで弾き語るレパートリーは多いので、ライブではマリンバの合間にピアノを借りて1〜2曲はやってみる。ピアノは完璧な楽器だ。
でも、やはり、、また、、、マリンバに戻る。

ピアノを弾いて歌う大尊敬のシンガーソングライター、矢野顕子さんと浜田真理子さんのCDを何度も聴きながら、、ピアノに迎えられた女神はいるのだ、と思う。

だから、、っていうことでもないけど、私は私の言葉をのせるに相応しい楽器の選択にやはり目の前にあったマリンバが運命的でもあったことを自覚する。
小さい頃からピアノも近くにあってよく歌ってはいたけど、、

「今、歌おう」「今沸き上がる歌」に目覚めたとき、そこにあった楽器はマリンバであった、ということ、なのですね、、と自分につぶやく。cherry

楽屋で一人、ピアノとツーショットしてみました。

Fullsizerender

2016年7月 5日 (火)

風の通るお寺!

http://blue19812nd.blog50.fc2.com/blog-entry-3134.html

ブルーさんのブログの写真が素敵!
曇り空が少しばかりにこっと笑ってくれた日。
今回は嬉しい感想がたくさん寄せられました。
お寺という空間から得た空気感と音楽に対して言葉、、、
皆さんの言葉は後日ちょっと紹介したいと思っております。
ブルーさんは昼の部を聴いてくださいました。
夜はサプライズ、ハプニング、、
しっとりした闇とキャンドルのゆらぎの中での音。
なんだかとにかく心地よいものが流れた一日でした。♡

2016年7月 3日 (日)

御礼の文月

文月2日、詩歌を献上する月であったということから七夕の日に願いを短冊にしたため、想いを書いて風にゆらし、、天に流るる川に運ばれ、、

そんなことを思えば、、私が昨日演奏できた龍見寺での一瞬一瞬、選んだ曲一つ一つも愛おしく感じます。

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演奏前に龍見寺有する重要文化財大日如来座する御堂参り、竹林への小径、里山の静寂、伝説残る水辺で呼吸。ここは息子が育まれた場所。そして子を授かってから始まった母、という自分が優しい呼吸を教えられた場所。

亀の念仏という昔話が残る場所、水の音も本堂へ、、
Img_2378_2竹林の里山から吹く風よし、、
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夜の部、闇が深まり、天の袋にすっぽり包まれていく時間の流れを
身体で感じながら音を、、

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ちょっとサプライズ。客席の若い才能を巻き込んで演奏!
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コンサート主催のたんぽぽの輪、代表河野朋子さんは熊本ご出身の助産師。故郷を心配されるなか、このライブ準備に尽くし、ご実家見舞いで熊本往復繰り返し、現地では子育て支援ボランティア活動と走る。パワーと優しさを兼ね備えた大きな女性だ。
リトミックの専門家&素敵なママ友、鈴木葉子さんはお父様のご逝去からまだ日が浅かったにも関わらず、演奏登場する直前まで新谷へのサポートに献身的に動いてくださる、、、私が逆の立場であったら、さて自分はこんなに人に優しくなれるだろうか、、と本堂ステージに登場する瞬間よぎった。


このたびお客様からは来年もという温まるお声と、熊本地震支援金を賜り、CDの売上げも半額を支援金としてお渡しさせていただき、、多くのLOVEは集ってくださった皆様の輪によって大きなものとなりました。
遠路からのお客様、みな無事にお家に着きましたか?


感謝御礼


お寺を離れる前に龍見寺野上僧侶とともに。

Fullsizerender平和で美しい国、、
そう、プログラムの最後の曲の出だしはこう始まるケ サラ

ああ、、慈しみの日々がありますことを。




2016年6月 9日 (木)

小唄学び

友人に頼み、郷里の小唄の資料を送っていただきました。

資料として入手できたのはレコード、そこからテープに録音、私のもとへ。
友は一生懸命町中を走ってくれました。ありがたい!

簡単になんでもパソコンでリサーチできる時代なのに、それができない「唄」がある。つまり、頻繁に一般的に歌われたり、録音されたりしていないもの、、
埋もれてしまうか、忘れられてしまうか、気づかれていないその存在であるか。
それはポピュラリティであるかどうか、とは全く別の問題だと思います。
幼い頃から聴いていた唄を、自分の心で甦らせる方法、、そんな歌い方を探せたら幸せです。
流行歌、というのは誰にとってのそれであるか、、、
考えさせられます。
今歌いたい歌が一番!
歌おう!歌えるなら、、、

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2016年5月 5日 (木)

あしたのジョー、とは

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寺山修司命日 5月4日
その日を幾度と刻み、寺山修司記念館での行事についても知っていましたが、初めて自分も演奏で参加するという、己の時間にもう一つの秒針が加えられた日、今日をそう感じます。

あしたのジョーを鎮魂歌のように歌う、という演出の指示。
マリンバの低音域を活かせば鎮魂歌を醸し出すことはできそうだ。
でも、あしたのジョー、聞きなれた伝説の主題歌がそう簡単に私の方へは近づいてくれない。
🎵明日は、きっと何かある
明日は、どっちだ🎵
この歌詞が、英雄の孤独と彷徨、震え、意思、深い嘆きのようで、エンディングのフレーズがなかなか決まらない。強く打ち出すか、淡く静めるか、些細なことかもしれず、悩むより瞬間にかける。

心からの叫び
明日はどっちだ

女歌いには難しい曲だけど、
まさかの挑戦と展開。
明日はある。

2016年4月17日 (日)

共にある身体

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さて、どうやって身体調整と精神を調和させようか、少しの試練が必要でした。
2月から私は左の耳に故障が生じ、それから何かこれまでには感じなかった身体の不均衡が続き、4月はインフルエンザから始まり…
昨日のライブ前夜には不安だけが高まり…

身体の声を聞く
不思議ですが、耳の障害は悪いことばかりではないようです。
以前より、ずっと音の聴き方、感じ方は、純度が増してきたように意識されています。

昨夜はまた一つ特別な音の立像に遭遇しました。
音の厚さ、層のように重なるマリンバの木の成分が以前よりクリアです。
だから和音ロールのスピードや、和音の移行の色配分が良く聞こえてきます。あ、不必要、必要、過成分、混合過多、減衰融和加減、などが、肌身でわかります。

この身体を動かし、温め、探り、期待し、失望もし、そうして向き合う。
カラダよ、まだ知りたい、知りつくしたい。いや、ほどほどに、なのですから。
音奏でる身体に、謙虚さは必要な時です。

16日のライブにご来場下さった皆様、ありがとうございます。
共にある時間
共に息づく身体を捧げていただく時間。
身体の会話。