カテゴリー「歌うこと」の63件の投稿

2023年10月17日 (火)

CHABO BAND そして 

時々、こんなことも起こる。

脳内に流れていた曲が、その日にどこかで再現されるということ

地域の依頼で30分歌った後に、急いで次なる場所へ駆けつけた

開演には間に合わないだろうと覚悟していたけど、席についたら、メンバーも登場前、漆黒のステージから聴こえてきたのは仲井戸麗市のリーディング「ガルシアの風に吹かれて」

よかった、神様が間に合わせてくれたんだろう、歌詞をよく知った歌のリーディングを聞きながら、「今」が始まったなと感じていた。

自分の本番は程よい加減で、誰でもが知っている曲をという条件で、数曲選び、1曲だけはオリジナル「未来」を歌った。ガルシアのリーディングが聞こえてきた時は、「こうして自分の内側にある言葉で始められるライブがしたい」

そのことだけが浮かんだ。仕事は仕事なんだけど、やはりどこかに葛藤をぶら下げて、カバー曲の選曲にもがいた時間、オリジナルも選びに選んで

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でも音一つ一つに意味がある

誰の歌、とかいうレベルで選んでもいない、そもそも、歌いたいものだけを選んでいるから心は晴れているのだけれど

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スマホをいじっている人はいたけど、会場は満席でほとんどの人がじっと、静かにこちらに耳を傾けてくれている。終わってからは随分とたくさんの方に声をかけていただく。

小さな交流が生まれているのかもしれない、こういうステージにこそ、余情を高められる自分でいたいと思う。

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もう履けない、と思いながらこのステージブーツでステップ演奏した。しっかり守られている、でも古すぎて草臥れて、いつだってバイバイと言ってもいい状態、なんだけど、、この靴が演奏には一番適する。大袈裟だけど演奏終了した時の余情みたいなことは、私の場合は「足」から感じる

常だ、、それは

いい本番なら「足」「脚」が軽いと思える

最近出会ったブーツはまだ下駄箱の中で出番を待っている。このブーツはまだまだ現役

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不思議なもので、私はボブ ディランの歌の節を思い出していた、開演に間に合いたくて急ぎたい心境なのに、空模様を見ていたらハードレインが鳴り続けている

CHABO BAND でザ・バンドが語られ、チャボさんの創り出す大人の物語ライブ、ストーリー、悪戯なビロードのカーテンではなくって絨毯の上の言葉の掛け合い、音の磨き合い、私は瞬きをしただろうか、、

空気が清浄で、音がずっしりと重い、そしてミュージシャンたちは軽やかに舞っているかのようだ

帰宅して聴きたくなったのは

 I shall be released

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2023年2月25日 (土)

希望というビート

はっきりとはトークでは言わなかったことですが、3回目のマンダラからの配信ライブで私は「希望」を歌っているように感じます。

作った歌った、今回の歌の中で、「月とブランコ」以外は、、おそらく簡単なカテゴリー語句を使うなら「一つの希望」でありたい。

ライブ前に気づき始めていたけれど、そういうテーマ性を意識したわけではないし、選びたかった曲がこういう流れになった、ということか、、

歌詞の中に「嘆き」はあっても、そこに留まってはいない自分。まあ、少し自分でも驚いているのですが、、、

これまでと違うね、、というメッセージやら、期待を裏切られた、というニュアンスのメッセージ(良い意味と解釈しよう)が多いことも物語っているようです。

身体の使い方、技術の変化とそれに対する心身のコントロール、歌詞とコードの釣り合い方への試行錯誤、楽器を媒介とする「歌」への挑戦は、今こそ充実した時間であるけれども、道標が自分の中にしかない、つまりセルフプロデュースの今、朧げな不安と葛藤。

言葉一つ一つ、音一つ一つが、やっと見えてきた。これが正直なる今回の自己評価。良し悪しではない、何が見えているのか、何に気づくのか、

何を歌うのか、、凸凹だらけだ。。

でも嬉しい。私は終演後にこれまでになく明るい気持ちになっていたこと、、続けていくことの中に、ようやく見えてきたこともある。

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2022年12月13日 (火)

花街の髪結

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八王子には伝統文化として根付く芸妓の街角が残ります。黒塀通りは広く知られていますが、歴史ある街として髪結の職人もいらっしゃる街。

でも、その髪結処も数は少なくなるようですから、昨日思いきって予約を取りました。水油などを用いる束髪が憧れですが、洋風のドレスにはやはりアップでまとめてもらいました。前からではよくわかりませんが、後髪が独特なセットをしてくれました。

向かった先は赤坂のANAインターコンチネンタルホテル。宴が少しずつカムバックしているようで、私もご指名いただき演奏してまいりました。

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前座のような役割で弾き歌い、新鮮ですね。誠に、、

私の後には一流の話芸、話芸。こういう場で拝見、拝聴できるのはラッキーですし、そして何よりお客さまへのサービスを考えた芸の示し方、サービスという言葉にするとちょっと違うかな、、例えばおバカなことを喋って笑いをとったとしても、それは本格的、品格一流技芸です。

そして「間」の置き方、目の動き、歩み寄り、突っぱね、とぼけ。楽しくあるための裏技が隠れていて、それを簡単に「すごい」とか言ってはいけない、むしろ一流の観客なら、ツッコミもしたくなるでしょうね。そういうお客様はいなかったけど、、

ホテルってちょっと異国風を味わえます。ただそこにいるだけで、、気分もハイになって少し違った考え、アイディアなど膨らみます。廊下が迷路のようになっていて、そこにある俳優さんがホテルマンの案内を受けながら歩いてまいりました。お声ですぐわかったのですが、こういうお部屋で会議とかするのか、インタビューなのか、、隠れ家のような空間。

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昨日は小型マリンバを使用するも、響きの良いホール。久々に深夜帰宅でいい疲れのまま眠りました。

2022年1月22日 (土)

物語り

ライブというのは用意された曲を一つ一つ歌って綴っていく過程で、思いもしない物語が生まれつつある、そういうものでもあると思う。ライブそれ自体にストーリーが生まれるものだと知る。

知らず知らずにゆっくりと、今を生きることを讃えてくれるようなもの、それを「現実の物語り」として感じ、受け止め、ライブに「心」が灯る。

あまり曲の背景を語ることはないけど、それを引き出す共演者というのはすごい存在。自作が社会と繋がる何かであればいいと願うことはあっても、それを意識して故意に作詞をしたりせず、ゆっくり流れるようにそのような言葉が生まれた今を素直に、素朴に語ったり歌ったりでいい、と思わせてくれる共演者と巡り合ったら、それは奇跡なのかもしれず。

自作の歌を歌うべきだと言ってくれるバックグラウンドをいただいたら、ああ、それはとことんセンチメンタルであってもいい。それが今であるなら。手探りするより、今があることを讃えて歌えばいいのではないかと、

自問自答しない選曲時間というのはない。でも弾き歌って終わってみれば、全てが一つのストーリーになっている。

商業的に計算されたノウハウ積んで歌を発信する方法を学んできたわけではない。そんな場にいたのはスタジオミュージシャンの仕事をしていた頃、匂いだけは感じ取っていただろう。でもその匂いは決していい香りがしなかった。自分が苦しいと感じることが多かった。当事者でもないのに。

だから馴れ合いのような現場は自分は向かない。音楽が浸透するわけもない。「歌」が社会と接点を持つことを論ずるものを読んでも、そんな方法論がまるでわからない。

不器用である。それゆえに、自分が奏でる歌をまだまだ探していくのだろう。

共演者という存在が自分の存在に光を灯す。そこからまた窓が広がっていく。

楽屋で話した様々なことを、思い出しながら。

 

2021年6月17日 (木)

今朝の夢

スマホがブルブルっと震えている。

誰からだろう、、誰かがこちらを見て手を振っている。

スマホを片手に、お前に電話しているんだよ〜ともう片方の手を振っている。

丸い大きな噴水池の向こうに、父と母。

携帯電話なんてなかった時代に、亡くなった二人が、私に電話をして満面の笑みで手を振る。

ぐるっと一回りすれば、すぐ会える距離の噴水池なのに、私も両親もそこから歩むことはせず、

父は茶色のスーツ。母は薄い色のワンピース。

それで、、夢は途切れる。

今、走っていけば、両親に会えたのに、、夢だと気づくまでに少し時が必要で、、そして、そっと夢は遠ざかる。

二人が笑顔でいてくれるんだな、、、それを感じ得た朝。

私も、いい旅をしていけそうだ。

そんな再開、出逢いがあった近日の音の場。

月舞台に立った。

朝の光のその中で、純粋に音がこだました。

鳥や風と奏でようだなんて、人間の思うことはおこがましい。

でも、そちらに行ってみていいですか?と問いかけるくらいは自由だ。

そういう道筋を開いてくれる人たちに囲まれて、音を奏でた。

だから、否定する音が全くない。

もちろん作品にするとかそういうレベルの話でもない。

ただ、演ってみたのだ。。そういうひとときが与えらたこと、、、

今朝の夢は無関係でもないような、ひと続きのような感慨もある。

僥倖は調べとなり、

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木をゆっくり聴く、自分の呼吸が聞こえたか、、足までも、、

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予報は違って、空は雨をこぼさず、青い葉を揺らして語りかけてくる。

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遠くに車やバイクや、選挙カーが、時代を映す。誰に求められているのか、誰を求めているのか、、

誰は、誰?

心はただ、音を奏でたい今となって、、

2021年5月20日 (木)

影の音

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呼吸したいのは、楽器も同じこと。

プチ旅に出かけたバラフォンです。

先日から思わぬ展開となり、音響のプロが音を録ってくれました。

例年より早い今年の梅雨の始まりを予感させる日でしたので、楽器の音にも影響はありましたが、それでも屋外に運び出された楽器はにわかに表情を変化させます。

でも、関わる人の呼吸が追いつかなくては、つまりは嬉々として楽器を鳴らそうだなんて思う人間に対し、まだまだ自然も楽器も簡単に応答はしてくれません。

当たり前のことを知らされただけです。

バラフォンは西アフリカルーツを持つ楽器ですが、伝統的な節回しには5音と7音の周期を使います。音律を意識して打つ方法を使うと、そのうねりに乗ってリズムを打ちたくなってしまいます。でもリズム以前の「音」の成分がまず体に知るべき要素だと気づくまで、楽器と出会ってから長い時間がかかりました。

リズムを打つ楽しさはあっても、そのことより先に、隣り合う音と音(音律)の関係性。精神(気持ち)と音の関係性。環境(空間)と音の関係性、、少し気づいてはみたけど、それをどのように表していくのか、いや、表すという言葉さえおこがましいような気もします。今はまだどのように受け取るか、という段階なのだろうと思います。

ようやく一歩の自分と楽器。

でもね、、歌っちゃう歌っちゃう、、フラフラっと声も出てしまう瞬間があります。自然に、、嬉しい。

 

2021年1月 9日 (土)

これからのライブ

ここのところ、配信ライブをいくつか連夜で楽しむ。あまり普段聴かないミュージシャンの配信も、それから大尊敬するシンガーの配信も繰り返し観て、聴いている。海外のものは短いものなど無料配信も大いに活用する。

家で聴く方法のレベルアップも思慮する。デバイスの接続のスピーカー、まずはと、安価なものを選んでしまったけど、これがなかなかいい。自分の小さな部屋に流すには十分に優れた音質だと感じる。

配信の映像と一緒に奏でてみる。これはCDなどを流しながらでもできることだけど、配信している姿を観ながらっていうのはちょっと違ってくる。体で示すリズムを見ながら、あ、ここでブレスするのか、じゃあ、こんな感じだね、、と納得しながら奏でてみる。コーラスもやってみる。

これ、新しいな、、

それと、、もうどう逆立ちしてもその人のコードに追いつかないくらいのものは、芸術品的価値でもって関心を超えて、驚愕して眺める、崇める。

様々な配信ライブが増えているけど、聴く側としての活用方法を工夫しているので結構楽しい。自分にもまた構想が浮かぶ。でも、その前に蓄積。

こうも優れた配信ライブするミュージシャンがいる限り、ここにも構築されなくてはならない砦がある。でも、もっと純粋なベクトルを自分に向けて見る。何がしたいか、何をしようとするか、、その筋書きに自分がまず自分の理解者であること。

昨夜書いた新曲は、今朝の光の中でどんな姿をしているだろう。

これからの歌、これからのライブへ。

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2020年11月29日 (日)

寄る辺、口ずさみ

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川辺の空気がひんやりし始める夕刻の始まり。

本当は早朝に出かけたいけど、朝はゆっくりな自分に、この午後の終わりの方が体の力も抜けて、落ち着く。

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小さな石の島に鷺

私も、ああ、できるなら、この私にも

そのあたりに、小さな寄る辺でも欲しいのだけど。。。

じっとする君を、見つけられたから、、幸福な時間。

また曲を書いてみよう。。

今日は、ずっと同じ旋律を繰り返しながら帰宅。

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2020年6月26日 (金)

蛍の季節

小川がチュルリ〜チュルチ〜

水の音色。

蛍、、

あ、母だったな、、きっと、、

父も一緒かな、、

そんな夜が続く。

蛍が歌詞におどり出る。

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2020年6月 3日 (水)

今日の歌

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少し見て欲しい、という連絡を受けて大阪に住む学生さんのレッスンをオンラインで。

その先生が聴講で同じ画面に。こういうこともできるんだ、いや、こういうこと、もしかしたら前からできたのかもね、と会話して終わる。

でも、これ毎回というわけにはいきませんね。先生に覗かれながらレッスンを受ける学生も大変だ。でもいたって友好的にレッスンは楽しく終わった。学生さんは音大生ではない。マリンバを好きで弾いている。将来の夢は国際交流の仕事という。語学の備えもある。自作もある。

そう、私のように弾いて歌っている。こういう場合、私はレッスンなんてあまりしたくないのです。好きにやってください、というしかない。私のアルバムの中の曲もコピーしているという。それは聴けなかったけど。でもそういう人が現れるって素直に嬉しい。

以前は私の曲を歌詞なしで、ジャズ風にアレンジした学生もいた。ピアノとヴァイブで。その時も自作が旅に出たようで嬉しかった。

今、リモート演奏は可能になり、それを動画にして素晴らしいクオリティのものを投稿される人たちがいっぱい。私はそういうところを全く使いこなしていないし、たぶんこれからもそういうことが起こらないような気もする。自分のツールでやっとこさ、自分の演奏を録画してみるが、まだその領域に泳ぐほどのものを撮れていない。

作品を書いているけど、それよりも、以前に書いてまだ録音ができていない未熟な曲の数々に手を入れてみる。今、自分の曲ながら新しい歌として誕生している。録音ということがこれからまた叶うなら、、、そう、、今のこういう時間の中での模索が、何かまた旅の一つになってくれたらな、と思いながら。

 

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鳥は一日中、鳴いている。

 

 

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