カテゴリー「歌うこと」の60件の投稿

2022年1月22日 (土)

物語り

ライブというのは用意された曲を一つ一つ歌って綴っていく過程で、思いもしない物語が生まれつつある、そういうものでもあると思う。ライブそれ自体にストーリーが生まれるものだと知る。

知らず知らずにゆっくりと、今を生きることを讃えてくれるようなもの、それを「現実の物語り」として感じ、受け止め、ライブに「心」が灯る。

あまり曲の背景を語ることはないけど、それを引き出す共演者というのはすごい存在。自作が社会と繋がる何かであればいいと願うことはあっても、それを意識して故意に作詞をしたりせず、ゆっくり流れるようにそのような言葉が生まれた今を素直に、素朴に語ったり歌ったりでいい、と思わせてくれる共演者と巡り合ったら、それは奇跡なのかもしれず。

自作の歌を歌うべきだと言ってくれるバックグラウンドをいただいたら、ああ、それはとことんセンチメンタルであってもいい。それが今であるなら。手探りするより、今があることを讃えて歌えばいいのではないかと、

自問自答しない選曲時間というのはない。でも弾き歌って終わってみれば、全てが一つのストーリーになっている。

商業的に計算されたノウハウ積んで歌を発信する方法を学んできたわけではない。そんな場にいたのはスタジオミュージシャンの仕事をしていた頃、匂いだけは感じ取っていただろう。でもその匂いは決していい香りがしなかった。自分が苦しいと感じることが多かった。当事者でもないのに。

だから馴れ合いのような現場は自分は向かない。音楽が浸透するわけもない。「歌」が社会と接点を持つことを論ずるものを読んでも、そんな方法論がまるでわからない。

不器用である。それゆえに、自分が奏でる歌をまだまだ探していくのだろう。

共演者という存在が自分の存在に光を灯す。そこからまた窓が広がっていく。

楽屋で話した様々なことを、思い出しながら。

 

2021年6月17日 (木)

今朝の夢

スマホがブルブルっと震えている。

誰からだろう、、誰かがこちらを見て手を振っている。

スマホを片手に、お前に電話しているんだよ〜ともう片方の手を振っている。

丸い大きな噴水池の向こうに、父と母。

携帯電話なんてなかった時代に、亡くなった二人が、私に電話をして満面の笑みで手を振る。

ぐるっと一回りすれば、すぐ会える距離の噴水池なのに、私も両親もそこから歩むことはせず、

父は茶色のスーツ。母は薄い色のワンピース。

それで、、夢は途切れる。

今、走っていけば、両親に会えたのに、、夢だと気づくまでに少し時が必要で、、そして、そっと夢は遠ざかる。

二人が笑顔でいてくれるんだな、、、それを感じ得た朝。

私も、いい旅をしていけそうだ。

そんな再開、出逢いがあった近日の音の場。

月舞台に立った。

朝の光のその中で、純粋に音がこだました。

鳥や風と奏でようだなんて、人間の思うことはおこがましい。

でも、そちらに行ってみていいですか?と問いかけるくらいは自由だ。

そういう道筋を開いてくれる人たちに囲まれて、音を奏でた。

だから、否定する音が全くない。

もちろん作品にするとかそういうレベルの話でもない。

ただ、演ってみたのだ。。そういうひとときが与えらたこと、、、

今朝の夢は無関係でもないような、ひと続きのような感慨もある。

僥倖は調べとなり、

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木をゆっくり聴く、自分の呼吸が聞こえたか、、足までも、、

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予報は違って、空は雨をこぼさず、青い葉を揺らして語りかけてくる。

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遠くに車やバイクや、選挙カーが、時代を映す。誰に求められているのか、誰を求めているのか、、

誰は、誰?

心はただ、音を奏でたい今となって、、

2021年5月20日 (木)

影の音

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呼吸したいのは、楽器も同じこと。

プチ旅に出かけたバラフォンです。

先日から思わぬ展開となり、音響のプロが音を録ってくれました。

例年より早い今年の梅雨の始まりを予感させる日でしたので、楽器の音にも影響はありましたが、それでも屋外に運び出された楽器はにわかに表情を変化させます。

でも、関わる人の呼吸が追いつかなくては、つまりは嬉々として楽器を鳴らそうだなんて思う人間に対し、まだまだ自然も楽器も簡単に応答はしてくれません。

当たり前のことを知らされただけです。

バラフォンは西アフリカルーツを持つ楽器ですが、伝統的な節回しには5音と7音の周期を使います。音律を意識して打つ方法を使うと、そのうねりに乗ってリズムを打ちたくなってしまいます。でもリズム以前の「音」の成分がまず体に知るべき要素だと気づくまで、楽器と出会ってから長い時間がかかりました。

リズムを打つ楽しさはあっても、そのことより先に、隣り合う音と音(音律)の関係性。精神(気持ち)と音の関係性。環境(空間)と音の関係性、、少し気づいてはみたけど、それをどのように表していくのか、いや、表すという言葉さえおこがましいような気もします。今はまだどのように受け取るか、という段階なのだろうと思います。

ようやく一歩の自分と楽器。

でもね、、歌っちゃう歌っちゃう、、フラフラっと声も出てしまう瞬間があります。自然に、、嬉しい。

 

2021年1月 9日 (土)

これからのライブ

ここのところ、配信ライブをいくつか連夜で楽しむ。あまり普段聴かないミュージシャンの配信も、それから大尊敬するシンガーの配信も繰り返し観て、聴いている。海外のものは短いものなど無料配信も大いに活用する。

家で聴く方法のレベルアップも思慮する。デバイスの接続のスピーカー、まずはと、安価なものを選んでしまったけど、これがなかなかいい。自分の小さな部屋に流すには十分に優れた音質だと感じる。

配信の映像と一緒に奏でてみる。これはCDなどを流しながらでもできることだけど、配信している姿を観ながらっていうのはちょっと違ってくる。体で示すリズムを見ながら、あ、ここでブレスするのか、じゃあ、こんな感じだね、、と納得しながら奏でてみる。コーラスもやってみる。

これ、新しいな、、

それと、、もうどう逆立ちしてもその人のコードに追いつかないくらいのものは、芸術品的価値でもって関心を超えて、驚愕して眺める、崇める。

様々な配信ライブが増えているけど、聴く側としての活用方法を工夫しているので結構楽しい。自分にもまた構想が浮かぶ。でも、その前に蓄積。

こうも優れた配信ライブするミュージシャンがいる限り、ここにも構築されなくてはならない砦がある。でも、もっと純粋なベクトルを自分に向けて見る。何がしたいか、何をしようとするか、、その筋書きに自分がまず自分の理解者であること。

昨夜書いた新曲は、今朝の光の中でどんな姿をしているだろう。

これからの歌、これからのライブへ。

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2020年11月29日 (日)

寄る辺、口ずさみ

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川辺の空気がひんやりし始める夕刻の始まり。

本当は早朝に出かけたいけど、朝はゆっくりな自分に、この午後の終わりの方が体の力も抜けて、落ち着く。

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小さな石の島に鷺

私も、ああ、できるなら、この私にも

そのあたりに、小さな寄る辺でも欲しいのだけど。。。

じっとする君を、見つけられたから、、幸福な時間。

また曲を書いてみよう。。

今日は、ずっと同じ旋律を繰り返しながら帰宅。

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2020年6月26日 (金)

蛍の季節

小川がチュルリ〜チュルチ〜

水の音色。

蛍、、

あ、母だったな、、きっと、、

父も一緒かな、、

そんな夜が続く。

蛍が歌詞におどり出る。

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2020年6月 3日 (水)

今日の歌

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少し見て欲しい、という連絡を受けて大阪に住む学生さんのレッスンをオンラインで。

その先生が聴講で同じ画面に。こういうこともできるんだ、いや、こういうこと、もしかしたら前からできたのかもね、と会話して終わる。

でも、これ毎回というわけにはいきませんね。先生に覗かれながらレッスンを受ける学生も大変だ。でもいたって友好的にレッスンは楽しく終わった。学生さんは音大生ではない。マリンバを好きで弾いている。将来の夢は国際交流の仕事という。語学の備えもある。自作もある。

そう、私のように弾いて歌っている。こういう場合、私はレッスンなんてあまりしたくないのです。好きにやってください、というしかない。私のアルバムの中の曲もコピーしているという。それは聴けなかったけど。でもそういう人が現れるって素直に嬉しい。

以前は私の曲を歌詞なしで、ジャズ風にアレンジした学生もいた。ピアノとヴァイブで。その時も自作が旅に出たようで嬉しかった。

今、リモート演奏は可能になり、それを動画にして素晴らしいクオリティのものを投稿される人たちがいっぱい。私はそういうところを全く使いこなしていないし、たぶんこれからもそういうことが起こらないような気もする。自分のツールでやっとこさ、自分の演奏を録画してみるが、まだその領域に泳ぐほどのものを撮れていない。

作品を書いているけど、それよりも、以前に書いてまだ録音ができていない未熟な曲の数々に手を入れてみる。今、自分の曲ながら新しい歌として誕生している。録音ということがこれからまた叶うなら、、、そう、、今のこういう時間の中での模索が、何かまた旅の一つになってくれたらな、と思いながら。

 

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鳥は一日中、鳴いている。

 

 

2020年1月25日 (土)

おひねりさん!

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1月の最初の演奏がこの大会場、500人パーティなんて、ディナーショーでもない限りシーンと聴いてくださるわけはない。

それでも、中央のご婦人たちが私の歌演奏に合わせて手をつなぎ、円卓で体を右に左に揺れているのは嬉しかった。

前列に熱心に聴いてくださる紳士がいることにも気づいた。そして、その方からおヒネリ、なるもの(写真)をいただいた。

演歌歌手などの新人さんなどが客席から曲間にいただくご祝儀である。それを帯に何枚も挟んで歌うという姿を見たことがあるけど、こんな席ではあるある、なのでしょう。素直に嬉しく、頂戴しました。私の場合はこの1名様からのサプライズ、普段こうしたことはない演奏形態、ちょいと粋な計らいのこの折り方、嬉しゅうございました。トントン!

さて、演奏内容、30分の一人ステージをいただきましたが、金屏風前のマリンバで宮城道雄の「春の海幻想」マリンバアレンジからスタート。これが予想外にちょっと気に入ったアレンジになりました。お琴尺八の音色とは打って変わって、木の琴を弾くイメージに。インストヴァージョンの歌モノも新しくチャレンジ。パーティ演奏はなかなかに鍛えられまする。

 

 

 

2019年12月10日 (火)

12月の歌

なだれ込み突入感のある、このちょっと嫌いな12月。遠近構わずあちらこちらからクリスマスソングが聞こえてきますが、それが当たり前になっているのか、疑問も抱かず耳に流して、そしてコンサートにはお決まりに並べている曲、などがありますね。それに違和感を覚えているのは私だけでもないでしょうし、自分も定番としてどうしてもこの場には求められているな、と判断してはキチンと演奏してしまうクリスマス曲の数々。

でも、ちょっとそれではなんというか、自分が納得するはずもなく。昨夜も打ち合わせでムーディすぎる12月からちょっと距離を置く、という話になりました。12月ならではの曲を探す。歌う。書く。弾く。あまり知られていない曲を、、、

で、ありました。これもいいね、という曲の数々。12月は講座もワークショップも続きます。そこでも歌ってみる曲に自分なりの変化をもたらしたいと思います。子どもだから子ども向け、という設定も割合の問題で解決する。そこにいるのは子どものご両親だったり、先生だったり、職員だったり。だからどんな人にも起こる人生観、どんな人にもめぐる感情。1年の終わりに、気持ちが高ぶるような思い出、、それはあっていいのですし、ほんわかと省みたり、不安であったり、、それも人を成長させることなのでしょう。

だから、、、やっぱり、ちょっと歌でセンチメンタルな旅もする、それはそれで好きな12月なのかもしれませんImg_9794 Img_9792

2019年7月13日 (土)

ブルーの色に包まれて、、

Chirashi

CDリリースまでの仕事には様々な行程がありますが、自分ができることは、音を奏でるということだけで、あとは多くの作業が信頼のプロに任せ進められていきます。

何度か踏んできたこのリリースまでの作業ですが、時代が進めば、世の動きも大きく変化。そして自分の想いも、見えてくる世界も大きく変化しています。

ジャケットの写真はこれまでアンダーグランドな、ライブ会場の暗い照明のもとにいる自分の演奏写真でした。それらも好きな時間と空間。

しかし、この日、この草原に走っていた私は、初めて会うカメラマンにお願いして芽吹き前の緑や冬の眠りから覚めたばかりの息吹に立ちたいと衝動的に行動していました。ジャケット写真にするかどうかも決めず、ただ、ここに立ちたいと感じ、風も受けながら髪の毛なども気にせず、思いのままにマレットをかざしていました。

今、涙が、、、流れます。たった1人で、涙を流すくらいは誰にでもある自由です。

 

 

 

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