銅鑼が好きである。
昨日、打楽器の達人がそろそろ終活するからと、わたしに美しいゴングを送ってくれました。
最近は楽器を譲り受けることが多い。こちらも楽器の整理中ではあるけれど、Gongや銅鑼系は、ありがたくいただく。
楽器の状態も良く、あまり使用されていないようで凹みもない。
先輩からいただいた楽器、さあ、これからどんな風に自作で活用しようかな、と昨夜から並べて眺める。
もう25年以上も前だけど、中国北京に演奏で向かった折、ツアー担当の方に懇願して銅鑼工場を紹介していただいた。
たくさん購入した。銅鑼やベルなど、倉庫には山盛り、さっすが本場中国の規模に驚く。音を選択するにも耳が疲れすぎて、どれがどれだかよくわらない状況だった。でも大小11枚のゴングなどを手にして、いや、同行の演奏メンバーにも協力していただいて、わがまま旅行だったけど、それらをフル活用しての打楽器人生を歩んできた。
工場の出口でのこのニヤケ顔。欲しいものが手に入った嬉しさである。
自分の音遊記、北京オリンピックもまだ開催されてもいない時だったから、飛行場は整備されてもいない、銅鑼は包装もしてもらえない、全部丸出しで担いで飛行機に乗った記憶がある。
中国の大連で行われたファッションショーでの音楽演奏。リハーサルは中国の演奏家と一緒に銅鑼や偏鐘などを組み立てた。
やはり銅鑼好きな私、こんな写真も残っていました。
河川埋め立て、、、洪水の被害が相当激しかった場所のようです。
写真を撮っている側(私)の後ろの崖崩れ痕が残っています。
人々はその道をゆっくり散歩していますが、しな垂れた枝などはそのまま。
埋め立ての区画整理。生活へのインフラも変化し、効率的に駐車場なども整備され、通り道が開かれ、、しかし、そこに在った木は伐採されていく。
ある書物に書いてあったけど、木には生きている部分と死んだ部分が共存してそこに立っているのだそう。枯れ木のように見えていてもその皮の部分は脈々と息づいているという、、洪水に耐え、今にも折れそうだけど、地に這いつくばっている木はまだ生命体のどこか一部が生きているという。
以前、散歩していたこの辺りが、緑色を減らし、グレーなものに覆われていくことによって、生き物が欲する木の樹液は失われる。
景色が変化することを知ってか、予想できるからか、地域を愛する人たちが夕暮れにスケッチをしている風景も。
白鷺がいつも同じ場所で羽を休め、それを見にくる私を、遠くからじっと見ている(ような)不確かなアングルで細い足を岩場に止めている。なぜなら、私が帰ろうとするときに、必ずその白く細い肢体が北向きから南へとそっぽ向く、こちらの錯覚だとしても、生き物とは繋がっているに違いない、と覚える。
作業を終えたショベルカーも、やがてこの河川敷から姿を消していく。求められた場所へ
朽ちていく一本の木にも、最後まで生命体は宿るのなら、、その壊された木に生命体を吹き込むような音を流したいと思う。
梅雨が明けたので、お日様に仕事をしてもらいます。
コロナで自宅に留まる日々、おそらく一番入念にやっていること。それは楽器の手入れです。
このバラフォンはどちらも西アフリカマリ共和国からの物ですが、先日横浜に住む尊敬の打楽器先輩から1台を譲っていただきました。
長年演奏されていない楽器でした。痛みも多く、紐の調整もしつつ、瓢箪の掃除。自分の長年愛用のバラフォンも磨きました。
そんなことをしていると、大家さんが瓢箪の差し入れ。使えるなら使って。ということで、ひとまずこちらもいただきました。瓢箪をぶら下げて共鳴させるのですが、アフリカの瓢箪と日本のものではちょっと違います。でも、小さい形の方は使えそうです。
楽器の裏側です。ちょっと愛らしいですね。小学生のアウトリーチコンサートなどでは、こうやって裏側も見せます。かなり興味津々になります。
楽器の仕組みや、手作り感や、ユニークな構造に関心を示すと、必ず打ちたい、打ちたい、と。これが一番いい楽器との出会い方だなと痛感します。ここの2台並べていますが、どちらか1台は青森のアトリエに。つまり2台が喜んで並ぶのはつかの間。
青森県内での講座も増えているので、郷里の子どもたちにも紹介したい楽器。どちらもこれから念入りに修理します。この修理なら自分にもできそう。さて、どっちが青森へ嫁入りかな、、、
何度も振ってきたこの鈴。故郷の氏子神社に遅い初詣。鈴の数が多いことに今更ながら気づきました。そして良く鳴るのです。
鈴を鳴らす由来や、鈴の種類や、私が打楽器奏者であるこの仕事上、様々なワークショップや講座で鈴の話になってしまうのですが、きっと今月の講座もやはり鈴から始まります。神社の場合は鈴、しかも本坪鈴という呼び方。グッと面白みがわきます。教会ならば鐘となりますが、人類は「振る」行為から始まったのでは、と思うほどに「希い」の行為には音、しかも余韻やら強力な音、非日常的な響きを探していたのだろうと思います。
鳴るは成る、、そんな月日にしたいものです。じゃらん、がらん、どわん、ごじょん、氏子神社の鈴の音。
台風で締め切っていたシャッターを開けると、鳥の声、普段は音のない小川に濁流の音。近くの大家さんの土砂が崩れて流木などが駐車場前に土にまみれて横たわる。こちらはこれくらいの被害で終わったものの、テレビ放送やSNSでみる悲惨さに驚きます。
日本の地形を見れば、誰でも川の近くに住んでいることになるのではないでしょうか。山から海までの距離が近く、列島をその山々が司どり、海辺までのわずかな平たい地形を選んで住み、日本列島はその自然から恵みを受けていることが明らかです。どの場所にどんな台風がきても、何かしら、私たちは自然への畏怖を感じながら生きていく運命にあると思います。小さな川、大きな川、ずべてが繋がっている。
私は小学生のころ、近所が浸水するという大災害を経験していますが、橋が壊れ落ちるのをみる恐ろしさは今でも忘れていません。濁流の勢いというのか、あの凄まじさは幼い体に音さえも記憶に残っています。
新しい橋がかかった時に、もうこれでこの橋が流されることはないだろう、、と小学校までの往復、毎日渡るたびに思ったことも覚えています。今、日毎仕事で通っている頑丈な橋が折れた惨事をテレビで見れば、もう、何が起こってもそれを「まさか」とか「ありえない」などという言葉では言い表すこともできない。大地や空の狂いが生じているのだろうと感じます。
どう生きていくか、ということさえ考えます。昨夜、久々に聴いた音楽が心に沁みました。植村直己物語のCDサントラ盤です。冒険家をイメージするこの音楽は決して挑発的なサウンドではなくむしろ、環境音楽的な沈静のギターの響きがあります。自然へのリスペクト、そんな心情を抱かせるサウンド。ドキュメンタリー映画への配慮なのか、静かにヒーローを映し出す効果の音楽なのだと思います。音楽はどうやって自然に寄り添えるのだろうか、ということを思います。そこに自然があれば、そこに人工的な音楽など必要としない、と日頃思っているからです。
最近テレビでみたドラマのBGMのあまりの不味さ?なんというのかな、あの奇を衒うような音の扱い、、これは最近疲弊するくらいなんですが、また美術館紹介や美術作品の背景に流す音楽のあの邪魔だなって思ってしまう一瞬とかをその生理的にいやーな感じを、自分の内側に求めているものはなんであるのか、というセンシビリティを忘れずに音楽の仕事を続けたいものだと、感じます。