カテゴリー「創ること」の23件の投稿

2018年5月 5日 (土)

雲に聞け

テント下で、、家族や仲間と一緒に過ごしている。

そんな、時間も久々だ。
Img_5904_2輝きの季節

連休を東京で過ごすのは何年ぶりだろうか。
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昨日、日が暮れる前に駆け込んだ高尾霊園。
寺山修司のお墓にはいつもよりお花がたくさん。
私は白百合と水仙を、、

寺山修司の命日に奏でる、そんなことを考えてもみなかった私が、ちょっとしたご縁で三沢の寺山修司記念館で演奏したり、自主企画で寺山修司をうたったり、、
そんな巡り合わせは偶然だったのだろうか。
わからない。わからないことはわからないままで、いいのだろう。

真夏のような気まぐれ空。
参詣小径が美しい高乗寺。
お寺の休憩所には明らかにどちらかの劇団の方々だろうか、、、会話や服装や帽子や仕草や、、、、そんなムードが醸し出すものの中に、なぜだろう、寺山演劇に関わることの距離をまた、遠く感じる自分がいる。

私が寺山修司を歌わせていただくときは、やはり数年前に自然のまま意のまま始動したように、どうやら一人唄いがふさわしいのだろう、などと、今はなんとなくだけど、そう感じはじめている。

奏でるより、考えることが貴重さをもたらすことがある。
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気張らずに、やりたいように始めたあの日を思い出してみようと思う。
雲に聞け、、と
会ったこともない寺山修司に、そう言われているような気分すら、私は自由だ。

2018年4月27日 (金)

妙味

昨年より、今年、

昨日より、今日、

見え方、聴こえ方、作り方、変化進化しなくてどーする。

それを知るのはこの自分であり、それを知らされるのも自分であり、続けるのも自分だから。

妙味
チャボさんと演奏できている自分に、ふと、その言葉が聞こえてくる。
セッションと呼べるものはいくらでもある。でもチャボさんとのそれはセッションを超えている。
自分で言うのもなんだけど、これは妙味と言うものだと、にわか心得る。
少しだけ前進できている。それはチャボさんと並んでプレイする自分をちょっと客観耳できたから。

上手にできたんじゃない。自分の音がチャボさんにどう隣り合っているのかを、感じる余裕が増えてきた、と言うこと。

それを私は
「これは妙味というもの?」
と、問いかけながら演奏していたという、瞬間遭遇!

長年デュエットとして新谷をステージに呼んでくださるチャボさんに、私が返せること、
それは、
「コイツ、やるじゃんか」と
まじ、思っていただけるプレイに邁進すること。
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2017年11月23日 (木)

寺山修司リズム

今月は寺山修司の言葉をたくさん歌いました。ホームコンサート晩秋に寺山修司は似合いました。
と、自分の感想に過ぎませんが。
寺山修司ワールドから次を見る弾みも生まれています。
それはリズム。
歌詞から優先的に導かれる韻のリズム。

言葉を生かせ、
言葉を裏切れ、
言葉を超えろ、

まだまだ追求!

終わったばかりだけど、寺山修司を唄う、第2弾へゴー‼︎と、意気込み膨らむ2日間でした。

ご来場くださりました皆様、ありがとうございました。
ホームライブは贅沢、とメールいただいたり、泣きそうになる瞬間をこらえながら聴きました、とも。
寺山修司を初めて知りました、も、響に圧倒されました、も、全部の言葉に意味がある。
それはマイホームという特別な場所に起こった交差だから。

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2017年5月 7日 (日)

あしたはどっちだ!

5月の三沢、淋代地区のあたり、空は高く、風がほろろんと吹いていました。

デーリー東北新聞記事に写真を掲載していただきました。

一心に歌う自分の今です。
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戦争は知らない
作詞寺山修司 作曲加藤ヒロシ
歌の背景を知って一層歌へ近づいていくことができそうです。
でもこれからなのです。命日には寺山と寺山修司の父がいること、、知らされました。

出演前の空き時間、寺山修司記念館の側面壁や裏側の壁、コンクリートに埋め込まれている言葉を一つ一つ読みました。
壁を一周し、寺山修司に贈られた言葉も含めると、壁画アートだけでも相当読み応え、見応えある迫力です。

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創作し表現する、、それをお客様の前に立ち表せる、という仕事に居続けられること、幸せに違いないこととは言え、、
もう一方で「あしたはどっちだ」と叫ぶ自分もいること、、

知らされています。

2017年4月23日 (日)

寺山修司のお墓

近づく寺山修司記念館フェスティバル。

音楽を考えていましたら少し外気に触れたくなり、ふと、寺山修司のお墓参りに行こうと思い立ちました。家から15分のドライブでその墓地があります。
命日である5月4日は三沢市の記念館裏手から少し歩く丘の記念碑で修司忌が行われます。出演する直前に行われるため、身支度やら音に集中したいこともあって出席できそうもないので、少しばかり早いお墓参りへ。
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西からの陽光が真っすぐにお墓と、祈る私の身体を包みました。
なんてこと、、この時間、この瞬間にすーっと強くずっしり、、そんな太い光が射し込むなんて。。

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今回の出演者は私を除いて皆様、生前の寺山修司とともに活動し、語り、作り、ページに名を刻んだ人たちばかり。
この身に差し向けられたご縁、と言い表すことが許されるなら、、こんな時間が続くのかもわからないけど、今は音を考える幸せが膨らんでいます。

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少し下った場所に元妻であった九條今日子さんのお墓があります。天井桟敷のメンバーのためにもと考えられたというお墓には石にその文字が刻まれています。

昨夜は音楽に煮詰まってサウンドトラック「世界の果てまで連れてって」を聴きながら眠っていました。
そこから、ここへ、、?
夢の仕業か、誰もいない墓地に踊り来る音影浮遊

2016年12月30日 (金)

空い

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今朝は吹雪でしたが午後になって青い空に。
ゆっくり煮しめる野菜の甘〜い香りに、時は
ゆっくり、過ぎてくれる。出汁文化のジャパン万歳。

さっき蜷川ハムレットを観ながら、背景を和語と和風なるサウンド効果に度肝抜かれる瞬間ゾクゾク。
音響効果は舞台美術と並び役者以上に役をこなさねばならない、と、雑感。
あゝ、また劇音楽を奏でたし。つくりたし。

2016年12月 3日 (土)

冬のいい旅

2016マリンバシアターを終えました。

ご来場くださった皆様、いつも励ましくださる皆様、遠くからも応援のお心寄せてくださる皆さま、この世にはいない家族、、今支えてくれる小さな家族、、
すべてに想いが溢れています。
歴史ある会場、キッドアイラックアートホール。4年連続でマリンバシアターを刻み、ここで生まれた歌の数々、、
もし人生100年なら(願いたし)ちょうど真ん中あたりでこういうライブを刻めたこと、まあまあ、、なんじゃないかと自分で自分を振り返る。
だからこれからなんだけども。。

丈夫な身体をもち、繋がる人、自然、のなかで一緒の時を歌と進み、、ふと、、そう、、ふと、、小さくも豊かに刻めたら、、
そんなことをスタッフとの会話から感じていました。

だから、何度でも、、「ありがとう」を。。。
心からそう思える一日が刻まれました。

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伯母のギャラリーから、布製の花を飾る。
手を組まれてちょっと困惑?のホール早川氏(右)と工藤氏(左)
黙々と仕事をしてくださる、、そしてハイセンスな方々。

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↓ただひたすら頼りにしているスタッフの皆様と。
心まで読み取ってくれる、、だから預けている自分の思いを、、
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今回は昼の部、夜の部とも、旧友はじめ、七戸&十和田からの友人たちも駆けつけてくれました。新幹線に乗って飛んできてくれた心強い女友だち。
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ひとまず。晴天の土曜日に御礼ブログまで。

2016年11月 3日 (木)

初心

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いよいよ、今月末の多摩伝統文化フェスティバルのとんとん昔語り演目用の作業へと。
2006年あたりから語り部の皆さんとの作業にご縁いただき、今年は久々の共演です。
以前の資料を整理しながら、かつての拙文に遭遇^^
初心還りです。この想いを今も大切に、そして新しき音を探訪できるよう、昔語りの豊かな流れを生かせるよう、意気込み新たに。
読みながら昔巡りの午後。

2016年4月30日 (土)

梵鐘

高尾霊園の梵鐘

寺山家映子氏の三回忌に参列させていただきました。
その後、一つ坂の上にある寺山修司のお墓も参りました。

寺山修司の生きていた時代に、創作をともにした方々と会って、その当時のお話を伺う時間が少しずつ増えております。

寺山作品に音を作り、マリンバを奏でる、唄う。
今、私の前にあるこうした導きに感謝と、そして驚きが巡ってきています。

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2015年9月26日 (土)

教えどおり?

先日参加したパーティで大型スクリーンに20代の私の演奏が映しだされました。テレビ朝日、題名のない音楽会で黛敏郎氏の解説によって現代の打楽器演奏ということで、田中利光「仮面」のマリンバソロを弾いていました。他にも水野修孝氏の「10月のエオリア」こちらはマリンバ2重奏と打楽器合奏。どちらも特筆すべきは、「上質に品性あるマリンバフィーチャーした楽曲」です。

新作として与えられる曲、自ら選ぶ曲、現代音楽が楽しく挑戦の喜び満ちているとき、歌なんて歌う発想はなかったわけです。それだけマリンバ曲も瑞々しく輝いていた時代。今が飽和状態だとは言いません。でもあの時代に感じたマリンバという楽器への手探りと発見が、少なくともこの自分には今はあまり沸き上がらないのです。初演がなかなか再演されないために、埋もれた曲もあろうかと思いますが、この分野は曲が淘汰されていくという表現も似合わないように思います。なぜなら社会に揉まれるほどの演奏の数という試練すらない世界だからです。未だに演奏される場はかなり特殊で、特殊層が聴くという印象、現代音楽を紹介する寛大な音楽社会ではありません。そして、この自分もあれだけ通った現代音楽への脈路を完全に失っているかのようです。

マリンバ単独の音だけでなく、その上で歌うようになったのは、前述と関連していませんが、少なくとも歌が書きたい、その心身が今ここに確かめられることを幸運と思うしかありません。もう一度弾きたい現代音楽と呼ばれたマリンバ曲は多数あります。でもそこに貪欲な意思を向けることはなく、今ならやはり「自分の詞」を重ねる時のマリンバの音色と音の配分、ここに相当なエネルギーを費やしたいこと、その興味が尽きないこと、そして未知の世界ともなる、出会いとセッション、その音と音の構想といいましょうか。

大型スクリーンで見た過去の自分、現代音楽への忠誠すら見える演奏でした。あのとき恩師はなんだか一言、

「そのうちマリンバ弾いて歌の1曲でもうたえるくらいにならなきゃだめ」

マリンバで現代音楽、そもそもの原初的な成り立ちを考えると少し似つかわしくない光景でもありますし、そんなとき、立ち向かう曲や楽器との関連に深い通念もなく涼しい顔で澄まして弾いてることへの揶揄のようにも聴こえる一言でした。
軽いお気持で宴の席で述べられた台詞かもしれませんが、先生、私、とことん教えに従っております。偶然であろうとも。
そんな日を過ごしていること、ちょっと不思議です。

そして面白いことに、かつて弾いていたマリンバの現代譜面は今こそ、新しい響きにも感じるのですから、、時が古きも新しきも繋ぎ、心のなかで結び目を作る面白さ、、です。

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