カテゴリー「創ること」の48件の投稿

2024年7月20日 (土)

感謝の上半期

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今頃は、青森での稽古、、のはずが、、上半期の締めの仕事はびっくりのレコーディングオファーと、予想外の配信音源への準備、、7月の暑さを吹っ飛ばす嵐、とも言えるような日々にいます。

上半期、いい内容の充実したライブができました。上の写真は八角太鼓、祈りの太鼓、祝いの太鼓の象徴として南青山曼荼羅で打ちました。他にもこの太鼓の登場がありまして、もう25年以上も前から部屋に鎮座するこの特別な太鼓を活かせるライブができました。

友人が熱い力で作ってくれた静岡でのライブ、長年に渡り仲間から支えられてのお寺ライブ、他、ご依頼の場所場所、さまざまに工夫して練ったプログラム、今の自分に沿うもの、、伝える力があるのか、それを問いながら綴った曲たち、、

一つ終われば、嬉しい汗を流している。

実感すべき時間にきちんと向き合って次へと向かう、、以前はできなかったこと、今はできているだろうか。

テレビには戦争が当たり前のように映し出される。子どもたちの命が簡単に閉ざされてしまう。親と会えない連れ去られた子どもたちがいっぱいいる、、泣く子らの映像の反対側のテレビでは、目にあまるようなふざけた食レポのタレントの大写しが汚い色でスクリーンに滲んでいる。

だからと言って、自分のやっている音楽を、どう説明もできないが、、信じていることを目の前に置かれた扉を開けている、、だけなのかもしれませんが、言い聞かすように時間を積んでいく、、

そして忘れる、、

そう、忘れる力、、とかどこかで読みましたが。

昨日の自分、昨日の成果、昨日の悲しみ、昨日の笑い、昨日の痛み、、

ふと思いますね。忘れなくては、前に進めないようなこと、実はいっぱいるんだな〜と、、それを言い聞かす、ということがこの自分にも!Img_4100

誰かが言っていた、、音楽を共有するのは、もうこれからは目の前にいてくれる少人数の、互いの息を感じるくらいのものでいいのではないかと。

その真意には例えば、

コロナ後の社会の変化、視点、

絵の前でそれを鑑賞するのは一人、というくらいの対峙、

大きな場所、大人数を肯定する理由の裏付けの背後にあるものの薄命さ、

個と個の結びつきの深さ、尊さへの気づき、、

だろうか、、

よくわかないけど、、書き綴っている

自宅のスペースで15人ほどのお客様、時には数人、時には30人もに集まっていただき、創作を手渡しで聴いていただく責任、楽しさ、振り返り、継続、感想いただいた時の身体に迫る実感、ああ、この体が許す限りは、続けていく意味よあれ、、と、

そんなことを脳裏に時々すーっと、そう、軽めにさりげなく置きながら、、

心に何かがある限り、ずっと細くなりにも続けていくのでしょう。

これは私なりの感謝の投稿です、、

皆様、覚悟の酷暑、夏バテしませんように、、

さあ、練習開始です。。😎

 

2024年5月11日 (土)

そよぐ、そよぐ

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そよそよと、、、

毎日、花の景色が変化する

花の歌がさまざまな形で巡ってくる、野の花ばかりではなく、それが花と感じれば、その人の花となる

花のような、、という言葉に置き換える必要もなく、それが「花」だと信じるならばそれでいい

今、そんな歌を書いたり、歌ったり、思い出している日々

5月、そよぐ風、鳥たちも気まぐれに囀りにやってくる

こんなところで、その言葉は待っていてくれたのか

以前は「花束」としていた歌詞が今では「一輪の花」で充たされている

過ぎ去った日々に、花の数より愛しい一輪に目が向くようになっている自分、それを素直に歌詞に流してみる心地よさにいる今

〜〜〜〜〜〜〜

6月2日「花をうたえば」新谷祥子龍見寺ライブ  夜の部ご予約受付中です

 

 

2024年4月14日 (日)

アレンジのアレンジ

歌詞とコード譜だけで演奏しているオリジナル曲でも、決めたい音型などはガッツリ決める、、と言いたいところですが、やはり生身の人間として、昨日はこう弾いてみたけど、今日は味付けをまた違ったものに、という具合だから、なかなかアレンジが定まらず。朝の気分と夜でもまた違うように、、

煮詰まって、マレット放り出してみることも。

午後はそんなわけで『TUCK&PATTI』をずっと聴いてみた。ギターと歌だけのこのアルバムは、もう近づこうなんて思ったってほど遠いけど、何かどこか、どことなく、自分の弾くマリンバの音のチョイスに似通っている部分もある、という錯覚で聴いているのですが。

気分転換を図りながらも、自分の音の渦から這い上がって、こうした愛聴盤に触れると、ちょっと空の青さ、高さ、にほっとして、、いいじゃないか、自分は自分の音を探求していく、、それがある今、いいじゃないか、と納得もする。

壁の彼等にも共感してもらう、、、笑

さ、もうちょっと練ります。

アレンジをまたアレンジする、これが私の練習を高めていく

好きな曲を打ち、歌って、、聴いていただける場に向かうのだから、、

練習の最中の嘆きなんぞ、一人の呟きなんぞ、、

まだまだ練り直せ!!

では

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2023年10月14日 (土)

何を歌うのか、、、

テレビ、新聞、SNS、、

どうしてこう戦いばかり、、

顔に傷を負った子どもが泣いている、叫ぶ老婆、苦悩の表情が映し出されているその裏で、フルコースの食事を楽しむ写真が載せられているそんなに親しくもないが、まあ繋がっているという知人のSNSを見る。

何かが狂い出しているのは間違いないけれど、どんな情報もベルトコンベアの上に意思のない事実だけが流されているようで相当に気持ちが悪い。

明日は地域からの依頼で歌う。

こんな時代に何を歌おう、、まだ曲が決まらない

上階に引っ越した人の会話が 津軽弁?のようだったけど、またすぐ引っ越すという。

私の音、天井から響くんだろうな、、みんな忍耐強い

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2023年3月17日 (金)

一つの場、春一番

音窓ARAYAの3月は、ご予約のお客様がいたらそのグループさんと日程を決めるという方法で開催中。

春一番のかわいいお客様は保育園児12名。24の瞳と共に。

いつもお土産のお菓子選びに迷ってしまうのですが、エイヤーっと、新谷はクッキーを手作りで用意しました。っていうほどのことでもないのですが、母が残してくれた昭和時代からのオーブンが活用できるので久々にクッキー型などを探しに出かけて、グラニュー糖の代わりにオーガニックシュガーというものであっさり味、子どもには甘さ足りずか、、でも手作りは疲れも吹っ飛ぶ、、そんな感じでコンサートも80分近く!!(保育園児には通常45分)

 

子どもたちは、まだ帰りたくない、もっと叩きたい、もっと聴きたい、今日のこと忘れないよ、、

このコトバがある以上、求められたら、とことんしなやかに、活力、滋養、心身健康維持、などなど、持続可能な人間力が任務か、、こどもたちと過ごす時間の責任、その意味、価値を音出しの終わりにいつも感じますね。

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春は花粉症に悩む季節ですが、今年は都心部から意識的に離れ過ごしています。

実家に長く滞在するのも、そういう意図でもありますが、小さくともホットな時間、長い冬の後にやってくる笑顔に会いたい、そんな思いもあるのかもしれません。

赤ちゃんとママ、そんなグループさんもやってきたら楽しいだろうと思っています。先日は一組だけの親子さん、それはそれでしっとりいい時間でした。

さて、4月5日の八王子鎌田鳥山での演奏も近づいてきました。詳しくはホームページのコンサート情報をご覧いただければと思います。ちょっとした変化球になりそうなコンサート。ぜひ、ぜひ〜〜

 

 

 

2023年2月27日 (月)

ダークレッドな夜に

今日で配信アーカイブも終わります。海外からご視聴くださった方や、長く音信不通だった方からの連絡、以前の教え子であった現在は支援学校教員の言葉の重さ、美しさ、などに、ブルブルと涙しながら今日。

昨日は心身の状態をいつも打ち明けあっている友人とカフェ朝食会、そんな会話の中で気付かされる小さなことの一つ一つが今は深く染み入ります。

新曲「ダークレッドな夜に」は好きな1曲に仕上がりました。最初はちょっと音程を掴む難しさで苦戦した歌い方になってしまったことは猛反省。

この歌詞の最初が「ルビをふってちょうだい、、」なのですが、、もうお気づきの方もいると思いますが、ルビとはフリガナをふる、という意味ですが、「ルビーの石」への連想があります。その石の色彩をダークレッドな夜へと結びました。って、こんなマイナートークですみません。会場照明はそんな色で落ち着かせてエンディングになっています。

歌詞についてちょっとした打ち明けするトークも楽しいものですね。この曲はいつかレコーディングできるように邁進、邁進💓

あ、テーブルのお花もダークレッドな感じです。😅

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2023年1月17日 (火)

集合〜!

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冬の体育館、大型ストーブあってもなかなか暖まらない。

子どもたちが集まってくる時間。ワイワイドキドキの表情を見せている様子です。

マスク生活、黙食の小学生にやってきたこの時間。生演奏。振動が伝わって、みんな驚いているのか、真っ直ぐステージを見ています。マスクの上の目だけで彼らの輝きが伝わってきます。

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学校の状況は、音楽鑑賞会などにまで余裕がないという本音を聞きます。タブレット環境のための経費の優先はそちら、と聞いては、あれよあれよと、文化活動がバサバサカットされ、これは日本の文化力の弱さをさらに悪化させているのではと感じます。

今日のこどもたちを見ていればわかります。彼らに必要なことは何かということ。こちら目線の文章でしょうか。そうかもしれませんね。

でも機会あれば願いを言い続けるのもこちら側の役割かもしれません。なんとか生演奏の一つでも子ども時期に体験ということを作るのは大人。こちらの想いと、そして現場の熱意ある先生との思考交換、つながり、、それを大切にしていきたいと思います。

私は環境問題などには関心があっても個人的な努力をするだけで、大きな力を示すことはできない。ならば、やはり音楽の力。音の波動を生かすこと。

この身体の力がある限り、生きた音を作り、渡し、続ける意味。今日も新たに感じた寒い日、、午後。

スタバのデカフェ、体をあっためて帰途へ。

 

2022年12月19日 (月)

人と繋がる波動へ

自分には久々の依頼が続いており、先日はマリンバ公開レッスン。

リズムや打楽器の講座が多いなかで、やはりマリンバ専門に関しては多くを語れるけれど、多くを語ってこなかったなという思いもあります。

やってみると、どうしたものよ、、マリンバについてはまだまだ語らなくては、という姿勢も謙虚に持ち続けたい。言いたいこと、感じていること、自分がやっていることを誇示する必要はなし。

自分の中のマリンバ時計というのは、随分とゆっくりだ。遅くなったり、ゼンマイを元に戻すまではしなくとも、カチカチっとねじって回す時のあの指の圧力や、どこまで一度に回すか、などを考え考え時計が止まらない程度に進めている。

その中での気づきが2022年12月というところまでは、修理やら置く場所を変えながら時の流れを見つめつつの、歩みをしてきたのではないか、と独り言としてのつぶやき。

マリンバ時計というのは自分流で良いか、それだけもなし。人と繋がる時を刻むもの、、自分が語るための楽器なら、人への繋がりももっと深めていきたい、そんな想いが高まる12月を送っています。

昨日は市内2カ所での演奏。こちらは長年お世話になっているボーイスカウトでのクリスマス会。飾り付けはスカウトの大学生女子が2名、すっぽりとマリンバを包んでくれて、明るきマリンバも嬉しそう。小型のマリンバ、うーん、とても良い音で大活躍してくれました。

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2022年8月23日 (火)

鍵穴を探して、、

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夏、生の演奏をやらずにはいられない。大きな場所でなくていい。自分の思いが届く場所。ホーム。

今夏は審査と講座担当の依頼をお断りして、自分設計時間にした。

本来なら優先して受けていた仕事のいくつかを、、、しなかった。

何かを優先していかなくてはならない夏となったから、今、自分の中で。

繰り返し読む本、またそれを読んだ夏。

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この空間が「生きてきた」と感じている。いろんな人が出入りして、いろんなことを語ってくれて、帰っていく。

私自身の発信と誰かの想いが交差する。

 

旅の最後にはマリンバのイントロで始まるサンタナのアルバムを繰り返し聴いた。

同じフレーズを何度も何度も聞く、そんな音楽の聴き方をしたのも懐かしい。そしてリフレッシュ。

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東京に戻ってみると常に感じる、あの時間の流れかたの不思議さ。現実ではあったけど、幻のように定まらず、どこかにプワプワっと浮いているような時間。

調和されていたあの時空間が、どうやって作り出されたのか、、もう一度辿りたくなるような愛しさ。

根っこは東京の小さな空間に座して、あーでもない、こーでもないと考えるのが自分の「今」でもあるけれど、どうやら非日常となった遠くの場所にこそ、まだ見つかっていない鍵穴が潜んでいるようでもある。

2022年5月31日 (火)

蛮族

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少し前の演奏ですが、写真データが届いて、さまざまな演奏シーンの振り返りもある日々。

そして、ここのところ連日コンサート、映画、出かけています。室内、屋外、アンダーグラウンド。

音を聴く距離、なま、スピーカー、時々耳栓も使用。全て生には間違いなく、それなのに、コロナの時期から連日で外出して演奏を聴くという行為が久々すぎたせいか、狭い空間での大音量には少し草臥れた。すぐそこに演じる(演奏する)人がいるのだから、この爆音量はいったい、、

何を基準に作られた空間なのか。誰に向かって作っている音なのか。演奏は素晴らしいエネルギー、なのにそれ以上にクラシックホールの壁すら無視したかのようなスピーカーからの異物的な音。トークはもちろん、何を話しているのかさっぱり伝わってこないのが残念。

全てが完璧に終わらないのが常であるし、時に主体となる自身の演奏への観察根も込めて言うなら、やはり客観的洞察力を養うこと、これに尽きる。みんなが向かっている方向に正解があるかのような圧力は、コンサートの運び方、流れからからも見る方に痛く伝わることがある。

なんだこれは?と、理屈なく身体に感動をもたらすということはなんであろうか。そうしたことを考える時間も増えている。

綺麗事ではなく、、型通りでなく、、調和調和って叫ばないで、、

〜〜〜〜

最近はずっと曲が書けない時期にいた。今、今になって、ようやく私はずっと言葉と旋律に心が動き出す。

時はこうして巡ってくる。たぶん、これからも、、

書けない時期にはやはり自主企画などに気持ちも向かえないジレンマ。新しい言葉が吹き込んでいるときにこそ創造できる空間があるから。

しかし、全てに無駄な時間はないのだろう。自由に書く。

忘れたくないのは、今こそ蛮族でありたいということ。

今日は、雨、、でも小さな音具を鞄に忍ばせ外へ行こう、、

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