カテゴリー「創ること」の18件の投稿

2016年12月30日 (金)

空い

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今朝は吹雪でしたが午後になって青い空に。
ゆっくり煮しめる野菜の甘〜い香りに、時は
ゆっくり、過ぎてくれる。出汁文化のジャパン万歳。

さっき蜷川ハムレットを観ながら、背景を和語と和風なるサウンド効果に度肝抜かれる瞬間ゾクゾク。
音響効果は舞台美術と並び役者以上に役をこなさねばならない、と、雑感。
あゝ、また劇音楽を奏でたし。つくりたし。

2016年12月 3日 (土)

冬のいい旅

2016マリンバシアターを終えました。

ご来場くださった皆様、いつも励ましくださる皆様、遠くからも応援のお心寄せてくださる皆さま、この世にはいない家族、、今支えてくれる小さな家族、、
すべてに想いが溢れています。
歴史ある会場、キッドアイラックアートホール。4年連続でマリンバシアターを刻み、ここで生まれた歌の数々、、
もし人生100年なら(願いたし)ちょうど真ん中あたりでこういうライブを刻めたこと、まあまあ、、なんじゃないかと自分で自分を振り返る。
だからこれからなんだけども。。

丈夫な身体をもち、繋がる人、自然、のなかで一緒の時を歌と進み、、ふと、、そう、、ふと、、小さくも豊かに刻めたら、、
そんなことをスタッフとの会話から感じていました。

だから、何度でも、、「ありがとう」を。。。
心からそう思える一日が刻まれました。

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伯母のギャラリーから、布製の花を飾る。
手を組まれてちょっと困惑?のホール早川氏(右)と工藤氏(左)
黙々と仕事をしてくださる、、そしてハイセンスな方々。

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↓ただひたすら頼りにしているスタッフの皆様と。
心まで読み取ってくれる、、だから預けている自分の思いを、、
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今回は昼の部、夜の部とも、旧友はじめ、七戸&十和田からの友人たちも駆けつけてくれました。新幹線に乗って飛んできてくれた心強い女友だち。
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ひとまず。晴天の土曜日に御礼ブログまで。

2016年11月 3日 (木)

初心

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いよいよ、今月末の多摩伝統文化フェスティバルのとんとん昔語り演目用の作業へと。
2006年あたりから語り部の皆さんとの作業にご縁いただき、今年は久々の共演です。
以前の資料を整理しながら、かつての拙文に遭遇^^
初心還りです。この想いを今も大切に、そして新しき音を探訪できるよう、昔語りの豊かな流れを生かせるよう、意気込み新たに。
読みながら昔巡りの午後。

2016年4月30日 (土)

梵鐘

高尾霊園の梵鐘

寺山家映子氏の三回忌に参列させていただきました。
その後、一つ坂の上にある寺山修司のお墓も参りました。

寺山修司の生きていた時代に、創作をともにした方々と会って、その当時のお話を伺う時間が少しずつ増えております。

寺山作品に音を作り、マリンバを奏でる、唄う。
今、私の前にあるこうした導きに感謝と、そして驚きが巡ってきています。

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2015年9月26日 (土)

教えどおり?

先日参加したパーティで大型スクリーンに20代の私の演奏が映しだされました。テレビ朝日、題名のない音楽会で黛敏郎氏の解説によって現代の打楽器演奏ということで、田中利光「仮面」のマリンバソロを弾いていました。他にも水野修孝氏の「10月のエオリア」こちらはマリンバ2重奏と打楽器合奏。どちらも特筆すべきは、「上質に品性あるマリンバフィーチャーした楽曲」です。

新作として与えられる曲、自ら選ぶ曲、現代音楽が楽しく挑戦の喜び満ちているとき、歌なんて歌う発想はなかったわけです。それだけマリンバ曲も瑞々しく輝いていた時代。今が飽和状態だとは言いません。でもあの時代に感じたマリンバという楽器への手探りと発見が、少なくともこの自分には今はあまり沸き上がらないのです。初演がなかなか再演されないために、埋もれた曲もあろうかと思いますが、この分野は曲が淘汰されていくという表現も似合わないように思います。なぜなら社会に揉まれるほどの演奏の数という試練すらない世界だからです。未だに演奏される場はかなり特殊で、特殊層が聴くという印象、現代音楽を紹介する寛大な音楽社会ではありません。そして、この自分もあれだけ通った現代音楽への脈路を完全に失っているかのようです。

マリンバ単独の音だけでなく、その上で歌うようになったのは、前述と関連していませんが、少なくとも歌が書きたい、その心身が今ここに確かめられることを幸運と思うしかありません。もう一度弾きたい現代音楽と呼ばれたマリンバ曲は多数あります。でもそこに貪欲な意思を向けることはなく、今ならやはり「自分の詞」を重ねる時のマリンバの音色と音の配分、ここに相当なエネルギーを費やしたいこと、その興味が尽きないこと、そして未知の世界ともなる、出会いとセッション、その音と音の構想といいましょうか。

大型スクリーンで見た過去の自分、現代音楽への忠誠すら見える演奏でした。あのとき恩師はなんだか一言、

「そのうちマリンバ弾いて歌の1曲でもうたえるくらいにならなきゃだめ」

マリンバで現代音楽、そもそもの原初的な成り立ちを考えると少し似つかわしくない光景でもありますし、そんなとき、立ち向かう曲や楽器との関連に深い通念もなく涼しい顔で澄まして弾いてることへの揶揄のようにも聴こえる一言でした。
軽いお気持で宴の席で述べられた台詞かもしれませんが、先生、私、とことん教えに従っております。偶然であろうとも。
そんな日を過ごしていること、ちょっと不思議です。

そして面白いことに、かつて弾いていたマリンバの現代譜面は今こそ、新しい響きにも感じるのですから、、時が古きも新しきも繋ぎ、心のなかで結び目を作る面白さ、、です。

2015年6月12日 (金)

朝の揺らぎ

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親しくさせていただいている笑顔の素敵な女性から「この子と出逢った瞬間、新谷さんへ渡さなくては、、」と思って下さったと、、

もうそういうことを言っていただくだけで充分すぎるくらい嬉しい出来事なんですが、、即購入、そして我が家へとこの子はやってきたのでした。


商品名は波紋音(hamon)は部屋のデコレーションやら、癒し系のお店やら、演奏やらで見かけるようになりましたが、私は自分のセカンドアルバムの1曲で奏でています。♪「それだけのこと」という曲ですが。
揺らぎ、音程の不安定さを利用して楽曲の始まりと終わりに、オブラートのような薄い透明感と暖かみでその音の存在を散りばめました。


久々に来月7月4日の龍見寺でのライブでこれまでとは違った感触で奏でてみようと朝からカランコロン、、してます。

どうやら、こうした不確定なる音律の揺れを一つの心地よさとして受け入れる体質備わってたのは、職業上相当幸運と痛感します。ま、そういう体質に職業がさせてくれのかもしれませんが。演奏家の中にはきっちり確定した音程(平均率的)でないと不快感を覚えるという方もたくさんいらっしゃいますから、もし身体が音の不均衡なるものを拒否反応するようであれば自分は打楽器奏者ではなかったことでしょう。いやいや、こういう音が隣り合わせていなかったら反対に音作りは息苦しいのものです。耳だって遊びたがっています。

専門的にはその「揺らぎ」にも心地よいとされる平均的な法則は存在するようですが、私へと運んでくれた友人も私も、この「揺らぎ」に身体が悦んだ、というだけのこと。しかし、今はそういうことを知覚する皮膚感覚がとっても大切なんじゃないかしら、と思います。
そんなわけで、、早朝から悦んで音出ししています。coldsweats01
では、今日もいい一日を、、揺らぎ休息もお忘れなくお過ごし下さい。tulip

2015年2月12日 (木)

ただその一心だけ。

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以前のブログでも紹介させていただきましたが、告知用のポスターをアップ致します。3月22日のほうはまだご予約が可能のようです。
仲井戸CHABO麗市というミュージシャンを聴いて見て欲しい。
ただその一心だけ。

〜〜〜大きな波がやってきて、
    流れ着いた流木から木琴を作ったワタシは
       その一片に乗って海原を泳いでいく〜〜〜

ま、そんな感じっ、、なんです。
あとは説明できません。
説明のいらないものを、ここではやれるのです。

もし、どれどれ、それじゃ行ってみるかい、、と思っていただけるならば、

こちらからも↓。。
宜しくお願い致します。

2014年11月28日 (金)

舞台幕開け。

20代のときに住んでいた駅からすぐにこのキッドアイラックアートホールが存在した。今よりはもっとアンダーグラウンドな装いで、そして大人の表現劇場のようで若い私には少し敷居が高かった。

でも、こういう空間でこそ、そこにさらけ出される表現者の真意が露骨に示され、吊るされ、問われ、はじかれ、砕かれ、敬われ、許され、離され、愛され、という真っ正直な反応があるような気がした。
そして、少なくとも自分はここに立つ意図と意思があると感じた。


あれから30年の歳月が過ぎ、私は昨年ようやくこの劇場に使用予約をいれた。踏み出してみるなら、やはりこの空間に立ち、なにかを確かめたいと思った。マリンバシアタ―はこの秋にその第2弾を終えた。小さな会場なのに、天は高く、地はそこはかとなく深く、目の先には無数の穂があり、歩みたいと思える道が続いているような、そういう空間創造が得られることを知った。


ひとつの覚醒。

一人舞台は、幕を開けたばかり。

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2014年11月24日 (月)

冬の歌詞帳

新しいノートに最初の文字や絵を描くとき、子どもの頃のピカピカしてた心が甦る。

記念日にいただいたノート。「書き続けよ!」という叱咤激励すら聞こえる。
Klaus Haapaniemiの絵、興奮。この冬の私の歌詞帳。

最近は楽譜のオタマジャクシノートより歌詞とコードだけのメモやノートが積み重なってきた。
断片や言葉のはしきれ、、いつか組み合わせてみたいと思っていても、そういう破片のような言葉はなかなか繋がらない。
そのまま何年もそこに居続けている文字。

気に入った歌詞が生まれるときは、やはりスピーディに生まれるものが多いから、その突如現れた言葉の欠片は行き先を待っているのか、それともそのままじっと静かに流れてしまうのか、なんだかそのままでゴメンね、と語りかけていることが多い。

きっとこのノートも様々な道へ転がり込む言葉で埋められてしまうことだろう。
できたら今度こそは、もっと高らかに、普遍を、、書きたいのだ。
今よりは少しだけ。

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2014年7月22日 (火)

音の場を録る。

8月15日、弾き歌いCDの三作目「マリンバシアター」がリリースされます。

信頼するエンジニア、共演者、デザイナー、応援してくださる方々の心に支えられ、勇気をもって作り続けてきました。

今回もすべて自分の詞と曲です。そして音楽専用スタジオという場所ではなく、自分がこれまで経験してきた場所のなかで、居心地の良いスペースを選び、楽器を一番心地よい場所にセットし演奏しました。歌と演奏を一緒に録音しています。
楽器に触れる音、自分の歌呼吸と演奏呼吸の一致、演奏位置を移動するその足の動き、すべてが臨場感ある音として反映されている、と思っています。マレットを拾う音、まで、がすべての音の場です。

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