正月の墓参り時の花は雪に埋もれて、、再び1週間後のお墓参りは雪にそのまま百合とカーネーション、お線香も真っ白な雪の上です。
江戸末期あたりからの古いお墓が3つ、そして母の代で作ったこの新しいお墓が中央に、古い方はすっぽり雪に覆われてしまいました。小学校1年の時に十勝沖地震で倒れた墓石を、父と翌日直しに来たことを鮮明に思い出します。他のどの家の墓石も倒れていたあの風景、子どもながらに自然災害の怖さに直面したものです。父が真剣な表情で一つ一つを起こしている姿、寡黙だった父が静かに一人で作業している姿。お墓って大事なものなんだと感じさせてくれたこと、うっすらと、、
さて、3日間のホームライブ。数年前から継続してきた家に人を呼んで行うというこの形式。お正月に企画するのは初めてでした。
どれくらい雪が積もって、風嵐などであれば、やはり家に来ていただくことは難しいかもしれず、判断もできないままお誘いしていましたが、こちらの心配をよそに、3日間は雪も止み、皆さん明るい表情でやってきてくださり、ほっとしました。ありがとうございます。
生の音、そばで演奏が聴ける、これは贅沢だと叫んで帰って下さった方も。これを継続してくれてありがとう、という声が今までで一番多かったライブでした。正月はむしろ家に閉じこもっているから、こんな機会は最高だと言ってくれた友人は常連。音の調整(音響)、選曲、トーク、声の使い方、などこれまでよりは自分でも充実した内容ではあったけど、いやいや、精進精進。
家であろうが、心の準備、音の準備はハイステージであることに違いありません。小さな空間にもさまざまな計算を施して音を鳴らします。それらが少しばかり調整可能なレベルをもちえてきているかもしれない、と感じたライブでした。
2日目は八戸市から打楽器奏者の佐々木啓恵さんが聴きにきてくれて、アンコールは飛び入りでお願いしました。私のカホンを素晴らしい音色で奏てくれました。故郷に打楽器仲間がいることは心強いですね。
家での過ごし方、じっくり本を読みたいという気分はありながら、やはりこの体を使いたい、音を奏でたい、人を迎えて分かち合いあい、自身の弾き歌い、創作を継続する磁場としてもう少しその先に何があるかを知ってみたい。。。好奇心ゆえのライブ活動かもしれません。
東京に戻る日、駅ピアノでわが町の小唄を即興的に弾きました。友人のR子さんが動画を撮ってくれました。私のフェイスブック、インスタで流しておりますのでご覧くだされば嬉しいです。
新幹線に乗車する束の間、時折即興して5分くらい弾きます。自由です。そして誰も気に留めない感じのこの駅ピアノで、ぽぽろんと自分を開放してみます。いいですね。
先日はここでラジオ体操の伴奏ピアノを弾く女性がおりましたし、前回は中学生のショパン。母親が厳しい表情で眺めている、、これも一つの駅ピアノ風景なのでしょう。私は自由、、もっと自由に、、即興します。風に流れていくような、いや、風がさらってくれるような音を奏でたいものです。誰かと連弾もいいな、もちろん、それも即興で。フワッと、今日も。
元旦の夕方から新しい雪が舞い始めました。
みなさま、あけましておめでとうございます。
今年の一人おせちは、いつもの具沢山茶碗蒸しと黒豆と巻き寿司、だし巻き卵、そしてお煮しめは短い滞在の実家では多くは作れず、友人や親戚から分けていただきました。
普段作っているものとあまり変わらないメニューのような気もしますが、いつもより丁寧に。食材を普段よりレベルアップ。そりゃあ、気分も味も違う、って当たり前ですね。黒豆煮は静岡の友人が昨年2度も送ってくれました。煮込み加減、味深さに感動したことをきっかけに、自分でも作るようになりましたが、まだまだ友人の味には近づけない。
外は時折強風、、この音を聞くと幼少期を思い出します。木造の古い家に吹き付ける風、、このままどこかに飛ばされていくのかな、と怖いながらも凍てつく外気のあの純で濁りのない漆黒の空と相舞って、私はどこか呑気で、地上のこの白い世界の中にいれば、私は守られ穏やかだとさえ感じていた。
もう戻らないだろうか、あの時間。
さて、大晦日は画廊の猫ちゃんと一緒の時間。穏やかにすぎる時間。晴れやかに進める気持ち、それを大切にその瞬間に感謝したいと思います。
どうぞ、皆様もお健やかな2023年でありますよう。
聴きたいコンサートに連続で出かけています。リズムを聴くことは体を元気にします。一つのカタルシス効果もあるかと思いますが、それは「好きな」リズムを体に馴染ませる、その一つとして、私は青森ねぶたの囃子方に参加できていることは心身への影響は大きいと感じています。
そして、「聴く、じっと集中して聴く」がいいようです。リズムと旋律が旋回する調和、たとえば、運転中によく聴くのは「ジプシーキングス」です。運転中はじっと、というわけにはいかないので、気分を落ち着かせてくれる音楽、そこに安定したリズムが流れていることが必須。穏やかに走行できるのですね。
長時間の運転には音楽のチョイスが結構大事です。他にはUAKTIを聴きます。楽器の音色、それ自体を美学としている創作楽器、打楽器奏者としてはこのサウンドを知らずにいられない。と、ここまでなら世界中に創作楽器の表現はたくさん存在しますが、UAKTIはその音の選び方、配列にまず全身が震えます。モーツアルトもフィリップグラスも、この世にすでに存在する音楽でありながら、それはまるで新しい小窓を開けるような玉手箱を胸にいただくようなサウンド。これは演奏法を知っているだけではなくて、多層に音楽の魅力を引き出す技とセンスに満ちていなくてはと思わせる音楽です。
もし、自分に新しいバンドメンバーのオファーが来たら、(夢、夢、夢)迷わず、私はUAKTI、目指すんじゃないかな。。笑
さて、秋、新しい音楽ダイアリーが始まります。
金曜日はクセナキスの打楽器音楽。土曜日はディズニージャズ。
日曜日には小型マリンバを置いていただいている場所へ、、小さい子が静かに歩み寄ってきました。。
ここでも一つのダイアリーが生まれています。さあ、心を高めて、穏やかに、ゆっくり。
今日奏でる音、自分の耳をしっかり自分の体をチューニングする日々に努めます。
〜盆が来たとて〜なにうれしかろ〜〜、とは、竹田の子守唄の歌詞ですが、昨年は東京の仕事もあったので帰省できなかったお盆。
今年はゆっくりと盆の習わしを自分なりに過ごしています。とはいえ、ご詠歌は来るでなし、町内のあちこちに聞こえた盆踊りもなし。
灯籠流しなどとっくの昔に「幻」になってしまった故郷でのお盆です。
昨夜は迎え火。早い時間に火を起こすと先祖は火の在り方を見つけられないということから、夕刻、空が闇に溶ける頃が相応しいはずでしょう。しかしながら、随分と早くに火起こししました。なんだか一人で寂しくなったからかな、、ご先祖さまに早くおいでおいで、、そんな気分のお盆。
お一人で7件のお墓参りをされるという人がいました。お寺は3カ所とのこと。私は3件、お寺は2カ所。これでも大変だなと思っていたけど、いえいえ、きっちりとご先祖様の供養をされる方、いらっしゃるのですね。やろうと思えば、自分ももう少しありますけど、それはもうおしまいにしました。
髙田の伯母は墓参りなんてしなくていい、と遺言ノートに書き記していて、そんなことをする時間があったら子育てをしっかりせよ、と追記。割り切った人でした。でも、子育てピーク時間も過ぎているし、そして、墓参りというのは、どうやら自分の心のため、そこにたどり着くと安寧境地。
帰省中は盆に限らず、頻繁にお墓参り。いや、参るというより散歩。
お盆の家の中もいいものです。お線香は常にどっさりと焚きますが、この静けさに仄かな賑わいがあると感じられるから、でしょう。
二つの家を行ったり来たり、、
髙田雨草水墨画館
音窓ARAYA
プチ旅より戻りますと、プチガーデンに昨年種を撒いていた紫陽花が、昨日、薄紫色をほんのりと漂わせ私を待っていてくれました。
母の命日が近くなって、それに合わせてくれたかのように。
花瓶に移して色調を楽しんでいます。
さて、私のミニ演奏投稿がきっかけになって、急遽、久々にオンラインでのトーク。マリンバ仲間のTさんとzoomで1時間。zoomってどうやるんだっけ?から始まるくらい久々でした。最初はマリンバの部屋で、マリンバ弾きながら、、そしてリビングに移ってからトーク会。
そこに、はい、、そうそう、、この紫陽花は、画面背景にばっちり。ちょうどいい具合に部屋にマッチしてくれました。
バッハの運指、スケールの運指、グリップ、マレットチョイス、いろいろ。シビアなトークもたまにはいいものです。
強い、ひっそりと、静かに咲く花たち。
毎朝、友が送ってくれた新茶をゆっくりいただく。一杯のそのふくみ、香り、、
小さなmy野菜ガーデンもこれからの楽しみ。
仕事、生活のペースを意識的に少し緩めて過ごす日々。
見えないと思っていた景色が見え始めているよう。
昨日は勤務先の大学のオープンキャンパスを担当し、終了後は寄り道をして、福生あたりを走っていた。
頭上には横田基地へ降下する大きな飛行機にびっくり。バイデン大統領の来日か、、
穏やかな方向へ向かっていくことをひたすら願う。
この国にも軍事力、防衛力、反撃力、とかいう言葉が頻繁に聞こえてくる時代。いつの間にこんな風向きになっているのか。
大統領が乗った飛行機は水色と白の穏やかなカラーに見えたが、あの大きさはやはり威圧的にも映った。
〜〜道端に花が咲く〜〜
その景色を灰色で覆うような世界、小さな花の輝きが私たちに与えてくれるもの、その景色を失ってはいけない。
そう願っていく国であってほしい。未来のために、、、
ようやくこの日がやってきたかという感慨。
日本時間では深夜だったので早朝にアーカイヴで観る。3時間に及ぶ壮大な卒業式。
これは一つの学部の人数。入場だけで30分の画面が流れる。ゲストや総代やリーダーのスピーチが終われば一人一人の授与式。
アップで映し出される学生一人一人の表情。肌の色が違う若者たちが皆上を向いて入場してくる。
角帽、ガウンの着こなしも皆個性的、マスクも自由(強要はしていない様子)
スピーチにはボン・ジョビの歌詞を引用するゲストのスピーチ圧巻、アカペラの生演奏コーラスなど。
コロナ禍でなければ参加したかった。とはいえ、この時期は日本なら休暇を取るのは難しい。ちょっとは検討したけど、渡航費がまず難題。
明らかに今の時代は10年前より海外が遠く感じる。いや3年前より。
息子のアメリカの祖父母、叔父夫婦が参列してくれた。
送られてきた写真の数々を見て、早朝から涙するくらいは許されたい。
2022年とは、明らかに節目の年のようである。
おめでとう。息子よ。君の「旅」もまた始まるね。