跳ねる兎、飛ぶ鳥
簡素ながらも、テーブルに食事を並べるプチ幸せで、使っていない食器を引っ張り出したり、未知の調味料にチャレンジをしてみたり、まあ、失敗もするけれど、、それなりに楽しい未知数が待っていることにもなる。
昨夜は尊敬する年上の女性と小さなディナータイム。短い会話でもいつもぐっと深く濃い時間になる。兄弟姉妹のない私には勝手に姉のような存在だと慕っているけれど、、、
いつも手土産をいただいてしまうのですが、それがまた美しい玉手箱のような菓子。
京都俵屋吉富の福はねうさぎ、ボンボン。見る味わいです。口に一つ含みたいけれど、ちょっと勿体無い。笑
この小箱ひとついただいただけで、また京都行きたい熱が高まります。
今日の故郷は快晴。まだ肌にぶつかってくる風のつーんとした軽い痛さはありますが、残雪と北帰向前の白鳥や雁の準備飛行?を見上げたりするたびに春が近いことを知らされます。
あの鳥たちの鳴き声は切ない、、仲間と交わし合う声ではあろうけど、また寒い地へ向かう、そのとてつもない旅の長さ(人間目線の)への覚悟の叫びか、、
湖畔や川辺で漂う白鳥ではなく、もっぱら餌の確保に忙しい地上の白鳥たちが、夕暮れには優雅に羽を広げて舞い去る姿、、
美しく強い生き物たちをみる故郷の時間、自分は何をする人ぞ、と考える時間もまた、真に意味ある時間なのでしょう。
姉さんが言うことには、薄いブルーに描かれている絵はお月様とススキ、なのでは、、と。
ぴょんぴょん、、何みて跳ねる。