カテゴリー「読んだこと」の44件の投稿

2021年3月12日 (金)

10年目の3月11日

昨日は東日本大震災から10年目の3月11日。

穏やかだった東京郊外の午後。

梅の花が蕾を広げて、柔らかなピンクをゆっくりと咲かす。

こんな生命の大きなエネルギー期に、人の体も春の呼応に戸惑う。

ライブ前の体調管理が難しい。

横になって、本と楽譜を代わる代わる読んでいる。そのまま寝落ちもするけど、体の声が一番騒がしい季節なので、あまり熟睡もしていない。

頭だけが冴えて思い巡らすことばかり、、、

またこの本を繰り返す。涙なしには読めないけれど、耳に、皮膚に、臭覚に働きかけてくる。

この行間にも、想像という誰でもが内包する能力を、試してみよ、と言われているような気持ちになる。

ライブ前なんだけど、今朝も読んでしまう。

祈ることしかできないけれど、海に山に鎮まった命にむきあうために、こういう文学が人間を助けることもあるんじゃないかな、

文学が人を導く、これは正しいことだろうと思う。いや、導くことのできる素晴らしい文学が存在するということかな。

そんな一冊。

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2021年1月26日 (火)

目覚めるヒューマンストーリー

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ノンフィクション、圧巻の一冊です。もう少しサクッと読める本だろうかと思っていたら違った。

章ごとにズシンとやられる。知らなかったことを知るのは面白いが、知らないでいようと目を耳を塞いていてはダメなんだ、ということを

ドカンと運ばれる。そんな本に出会えた。

少年のブルーがやがて違った色へと変化する。この文体の流れといい、まず世界の事実も含め、日本はやはり平和すぎているなと感じてしまう。

穏やかに見えてしまう自国。実際はこの書物と重なるファクトがあっても、人々の思考の結び目がゆるいか、硬いか、解き直すか、解かないままか、そんなことを考えさせられる。

それにしても、こうも逞しい日本人女性、といいがちだけど、、やっぱり、こういうこと普通に発言できる、書き記せる現場が日本は圧倒的に少ない。根性論ではない。常識的なヒューマンセンスの問題。

2020年12月24日 (木)

冬読書「井上鑑さんの本」

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刊行された2011年か2012年に購入しているけれど、雑な読み方をしていた。飛ばし読みでそのままだった。本に申し訳ない。でも再読したら覚えている、ほとんど。そして、こんなに味わい深い本であることを、、もう一度読むべき本はこれだと感じた昨夜。

井上鑑さんにお誘いいただいた仕事や、金子飛鳥さんとの「鳥の歌」収録などは大きな一歩だった。大森昭男氏に繋がって弾き歌いアルバムへの助言もいただくことになったので、ありがたいチャンスをいただいていることになる。反原発運動のライブにもゲストで出演させていただいたことがある。井上鑑さんの素敵なアレンジ作品などに多く出逢って、ジェントルなお声で指示をいただいたスタジオの仕事など、その流麗さというか、そして堅実な音への姿勢に触れさせていただいているチャンスがあったけど、でも実際にはあまり会話を交わしたことはなく、仕事の現場でやることをやったら、はい、終了。

自分はどう評価されているのか、何も言葉がなく終わった仕事の時などはかなり落ち込んでしまったことも実際ある。でも、そういう時は逆に「自分は何者でもないのだから」と言い聞かせ、やる気スイッチを得て次へ向かうこともできた。

プロフェッショナル、そういう言葉は当然かもしれないけど、スパッと仕事が濁りなく終わる感じだ。あれはなんというかこちらが鋭い頭脳に切られて降参、というものかもしれない。

「僕の音、僕の庭」

どのページにも、極意というか、音楽人の精神、これは見習うべしと言わせるものばかり。例えば、自分の知っている演奏家、音楽業界の人の名前がでる。その人に対する視点、考察、そして距離感と俯瞰。そこにハッと気づかせてくれるものがある。

佐野元春への記述、筒美京平との仕事の交わし、カクラバロビの音楽、イギリスの音楽シーン、三善晃レッスン風景、学校の音楽教育に触れる人間への優しい眼差し、打ち合わせのヒント、何より音楽思考、創作への細部を明かしてくれる一冊。今の自分ゆえに、受け取れる文体、文面かもしれない。これから音楽家を目指す人には必須のような1冊だけど、私はこれは自分への1冊だと感じている。音楽書と分類するなら、とてもヒューマンなストーリー構成の読み物にも感じる。

これまで随分と様々な音楽の経験をさせていただいているが、こんな一冊に出会うと、自分はまだはなたれ小僧、あと少しでまあ一人前と言われる年代に突入かと、、焦るけど、でも今読んでよかったな、と思う。

お堅い本でもなく、何か構えて読むような専門書でもない。でも「おい、しっかり生きろよ」と言われている感じもする、ずっしりの1冊。

 

2020年5月17日 (日)

風が、木が、私ではなく。

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何を隠そう20代、私はこのタイトルの前でうろたえておりました。語感リズムに酔ったのかもしれない….
昨年リリースした自作アルバムタイトルは、この語法の持つ不確かさに同調したくなり、風が木になった。

フリーダ ロレンスが誰かも知らず衝撃的な内容の一行も知らず手にした。D.H.ロレンスとの愛の書簡、手紙のやりとりを読むことになるわけだが、重く厳しい規律の時代に翻弄されながらも、ああ、この生命力、揺るぎない一人の女性の信念。

このタイトルのように、風吹くままに綴ったというフリーダ ロレンスの最後の文が天晴れです。

いつのまにか5月も半ば。緑に反射する朝の光、寝坊な私も目覚めが楽しみです。

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2020年5月 8日 (金)

エフリコギ男衆

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本棚の奥からまた探し出した1冊です。

父が参加していた俳句の会、連歌の技法に驚く。メンバーは町のエフリコギ旦那衆。モダンボーイたちだ。

エフリコギとは私の故郷の方言でいい格好したがる、カッコつける見栄っぱり、直球ではそういう意味だが、私が理解するエフリコギには、もう一癖ある。カッコつけて、カッコよく見える、実際にそれが様になる人、、と言っては父を褒め過ぎになるが、ここに並ぶ男性たちは本当にそういう言葉が似合う人たちだ。

父の連歌を読むが、謎めいている。行ったこともない遠い異国の地名なども登場する。飲んだこと、食べたこと、やったことのないものでもトリップした語句を遊んでいる。早くに亡くなった父だが、心はのびやかに旅をしていたのだと思いたい。定年したら行きたい場所はさぞ多かったことだろうし、、晩年は好きなことをして暮らす夢もあっただろう、、でも、在職中も父はずっと家で寛ぐタイプの人間ではなかった。本当に好きなことをしていたようにも見える。

 

この1冊は父が亡くなってから出版されたようで、早くに亡くなった父の俳句の掲載は少ない。それでも、ここに父の冒険が読み取れて、この2週間ほど家にいながら私は、知らなかった父のちょっとやんちゃ気分の想い、その言葉に出くわしたことを少し幸福に感じて過ごしている。

2020年4月23日 (木)

4月の本棚から

物の整理の中で、時間が止まってしまうのは本棚。資料のための本と愉しみのために買って読んだ本と、いただいた本と、原書の本(いつか読もう癖の収集)やはり音楽の専門書の数は多いけど、好きな作家の文庫本もそれぞれのコーナーを作れるくらい増えている。

収納できる場所もなくなってきて、数年前、小説を書いている後輩にどっさり本を差し上げて、昨年は車で帰省した際にダンボール箱で2つ分の本を実家の本棚に移動した。

最近はなるべく図書館利用。年齢を考えるとそういう感じにはなってくる。

そして最近久々に読み返している本2冊。

行動範囲が狭くなっているからか、自分の周囲の音に敏感になっている。というより、これまで注意深く聞いていなかったに過ぎない、そんな「音」が聞こえてくる。

耳は受け身だ。。でも耳は育てるもの、育つもの、、であることを知らされる。

「サウンドエデュケーション 」著マリー シェーファー

「宇宙を聴く」 著 茂木一衛

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2020年4月 3日 (金)

ここに書かれていること

https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

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今朝、この寄稿文を読みました。もしこのブログにたどり着いてくださる方がおりましたら、ぜひ読んでいただきたい内容ですので紹介します。

私は心動かされました。あまりこういう投稿のシェアは普段やらない方ですが、じっくり内容を自分の周辺やらに注視しつつ文章を読み進めると、

最終項のクリオの審判は特に考えさせられます。

 

2020年2月 6日 (木)

図書館で出逢った1冊に

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日本の祭り、民謡のルーツに絡んで様々なレポートが記されている貴重な1冊。興味深くて図書館から借りた1冊。そして、、そして、、

え??自分の名前が。こういう偶然は驚きとしか言いようがないけれど、やはり嬉しいものです。

ある演奏で奏でたマリンバについてちょっとだけ触れてくれておりました。それはこちらの演奏会

2004年、三宅坂国立劇場での日本の太鼓第30回の記念となる大掛かりなイベント「空海千響」

林英哲さんにお誘いを受けて、山口小夜子さんと共演した内容に触れていただいております。私が大学生の頃、ファッションの仕事に関わっていた伯母に連れられ、東京コレクション(ファッションショー)に何度も通いました。周りに大学生なんておりません。バイヤーや報道陣、専門家、評論家などの並ぶ一等席のような所に、私が座れたのです。緊張しつつも現世からちょっと離脱の旅。夢のような世界、でも厳しいアート人たちの目に晒されるデザイナーの世界、凄み、ゴージャスでありながら、その積み上げられている多くの手仕事の裏側も知ってみたい。そんなことを思う自分のあの瞬間が蘇ります。そして、イッセイミヤケ、とりわけケンゾーのショー、そこに登場するモデルの山口小夜子さんは特別な存在感。欧米のモデルが主流な時代に、ショーのトリをつとめる重要なモデル、デザイナーが特別に仕立てたであろうここぞという服を纏って登場するのが日本人モデル、東洋の美、小夜子さんでした。

一緒の舞台に立つことがあろうとは、19歳当時の自分には想像すらできませんでした。この1冊の中に記された小夜子さんと私の音の交わり、、記録されている喜びをひしひしと、、この本が蘇らせてくれました。




2020年1月29日 (水)

Sさんに寄せて

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読んだ本を互いに紹介していた年配の女性が昨年秋、天国に召された。かつてあるコンサートで裏方に走ってくださり、その後は「アラヤさん、元気でやってますか?」「最近、読んだ本だけど紹介していいかな?」というカジュアルなメールをいただいて、私の方も読んだ本をお伝えして、感想のやりとり、短い期間でしたがそんなやりとりが生まれていました。ある時は達筆な文字が並ぶお手紙、偶然にもあるデザイナーの写真集にお互い掲載されたこともあることがわかって意気投合。コンサート会場で偶然会ったりすると、ニヤッと笑いで挨拶。好きな女性でした。

越路吹雪の本を今読んでいる。これはどっさり借りてきた資料の一部なのですが、人物伝としても歌のことにしても、女性としてもちょっと興味津々のツボが同じような気がして、Sさ〜ん、越路吹雪を読みましたよ〜というメールを、っと思った瞬間、もうその方はこの世にいないことに気づいている。

豪華客船の演奏の依頼をしてくださったのはSさんでした。でも一度も受けなかったのは、船酔いのひどい私には到底無理な仕事だとわかっていたので、断り続けたこと。でも離婚後の私の生活を助けたい気持ちもあったはずのSさん、、一度も貴女の仕事を受けなかったこと、後悔です。

今はなんとか生活は乗り切っています、でも、、やはり大波に揺れる船上は乗り切れない、、ごめんなさい。ひ弱な私に変わりはなく。でも感想を交換したい本はこれからも積み上げられそう。Sさんからはどんな感想が帰ってくるのかな、、それを想像するのも楽しいような気がしています。

安らかに、、、

2020年1月21日 (火)

横浜メリーって誰?

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数日前に読んだ新聞記事が気になり、横浜メリーって?早速知りたがり屋の鍵を開けてしまいました。

メリーさんと交流したシャンソン歌手の存在も気になり、そこは果てなく涙腺を刺激する。

今華やかな賑わいをイメージする横浜だか、戦時下の街の姿にも触れ、何よりジャパニーズロックの発端に少しばかりヨジリつつ辿りつく。グループサウンズの成り立ちがこの一冊の中に予想外の展開で書き込まれているから。音楽書ではないのに煙焦げ付く漆黒のライブハウスの天井が見えてくる。

天使は存在したんだ。

懲りずに私は今から図書館で予約済みの本を受け取る。戦後の女たちを読めば、日本の音楽シーンに触れることになるなんて、これは予想外だったから。

山崎洋子さんの著書

天使はブルースを歌う、イッキ読み。