カテゴリー「読んだこと」の24件の投稿

2017年6月 3日 (土)

音大時代にマリー アントワネット

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絵葉書を受け取ってハッとしました。
遠藤周作の小説マリー アントワネット、上下巻を何度も読んだ音大時代。
あまりにハマりすぎて、1番仲良しだったクラリネットの同級生にもプレゼントした記憶。
驚いたに違いないけど。いきなり長い長い小説本をプレゼントするなんて。

何がどうしてマリーアントワネットに行き着いたかは謎、でも一枚の絵葉書の翳りと威光を見て、あの頃、私が憧れていた古典的な重厚な薫り、当時出会ったフランス音楽作品の気だかさ、だったのか、
本を差し上げた友に偉そうにも私は
これを読めば演奏に役立つよ、なーんて添えた言葉まで思い出しました。

若気の至り。
実家の書棚に置いてある上下巻、この夏また読んでみようと思います。


2017年6月 2日 (金)

読み味わい

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何度も繰り返し読んでいる本です。
著者がご存命のときはステージでスクリーンで語るシーン、番組などたくさんありました。
若い頃に難解だと感じたページ、今はすーっと読み込めるし、音楽文化人類の分野、とりわけ民俗と音楽、楽器にと興味を覚えた始まりの日々を思い出します。

ついついお弟子ちゃんにも読みなさい! と語る私。
聞けば最近本というものを読んでいないとか。
大学図書館に行っても確かに学生はポツリ、も寂しい光景。

以前ちょっとやったことのある読書会、
やっぱりやろうかな?
専門分野のページ指定をして意見交換会。
誰と?から考えなくちゃ。

立ち寄った立川市高島屋のジュンク堂、本好きな私でもこの広さにはクラクラ。
カフェには☕️
本語るご婦人組

コレコレ^ - ^

2017年5月22日 (月)

弾きたくなる本

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恩田睦さんの蜜蜂と遠雷


ピアノコンクールの話しの中にちょっとだけマリンバだの津軽三味線だのを、、言葉を美に包むそのブロタッチに楽器の気づきもあり、ハッとしました。
でも叩くを、弾く、と一箇所でも言葉置きかえてくれていたらな、この方にぞっこんだったけど。
リサーチされたとしたら、やはり叩くマリンバを聴かれたのかな?
ちょっとイジワル発言、恩田様、ごめんなさい。


さておき、
私がとても惹かれた文章は
ロンド カプリチオーソ
喜びの島
の2つの章。


コンクール話しなんて、音楽家には通俗的で読みにくいかなと感じる間もなく、隙もなく、ただただ文学作品として音楽を扱った美作品に向き合わされました。
クラシックのタッチばかりでもありません。
私は読み終えて、この中のある一曲をマリンバで弾けるような錯覚症状におち入り、
で、朝から弾いています。
錯覚症状にはしたくないぞ、弾きたいのだ、どうしても今、それを、やめたくないのだ、という禁断症状に近く。


膨らむ喜びと希望。これって以前にはなかった読後感。

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昨日の近所のパスタ屋さん、ウッドデッキで好きな本を読んでいたい。

2017年4月14日 (金)

ハネキミヤノキミ

世良啓さん、近年知りあうことのできた目がキラキラ輝く女性。出会いは2年前の寺山修司音楽祭、三沢市で。 お父様のお仕事の関係で10代の頃は青森県内を移動され、私の故郷七戸町にも住んだことがあると知ってから即!親近感を抱き、また文学はじめ芸術に造詣深い、寺山修司を追いかける私に様々な情報をもたらしてくれる女性。チャボさんとのデュエットライブに駆けつけてくださいました。
世良さんが私のフェイスブック投稿をシェアしてくださり、そこにこんな文章を寄せてくださいました。
我が故郷の歴史と私がライブで発したことを、このような光線を充てて記述してくださるとは。
正直に言えば、東京で活動している今、自分の背景をこうまで説明されることはないし、誰も知る由もない。それは故郷で演奏しても然り。しかし、自分のなかの何処かにいつも流れてはいるだろうと、一人奥底にしまい込み、作品や演奏する身体、生態、癖、節、本性が濃く露わになるとき、苦く一人納得する。

以下、世良さんの文章。ご本人に許可いただき転載。

RCサクセションライブ以来のチャボがこんなに間近で…、という感激はもとより、その伝説のギターと拮抗する神々しいまでの新谷さんの歌と演奏に圧倒される。

無数の鈴が振り鳴らされるとそこは南青山からいきなり七戸界隈の鎮守の森へと飛ばされた。

マリンバの素朴な響きに誘われるのは、二ッ森縄文遺跡があり、津軽への境界の護りの南部の名城・七戸城があり、由来もわからないほど古い神社群と神楽と祭りが残り、昭和まで日本有数の名馬の産地として栄えた南部七戸。
マリンバの音色が木霊したり、重なりあったりするたび、その野や深い巨木の森を思い出す。地霊をまとう演奏にここが東京だということをすっかり忘れてしまう。このリズムの底辺にラッセラーの青森のねぶたがあったりヤーレヤレの七戸まつりがあったり…。それは司馬遼太郎や三浦雅士が指摘したようにユーラシア的、じゃわめぐ騎馬民族の末裔的なもの。日本の能文化とは一線を画すという。

"ハネキミヤノキミ"、と、いきなり呪文のような青森ことばから始まったライブ、"柳町のカルメン"から"月光"、"浅い月"と、新谷さんのマリンバシンガーとしての魅力が爆発。チャボのカバー"魔法を信じるかい"やシャンソン"ラストダンスは私に"も、矢野顕子の名言「自分の歌は自分のもの、人の歌も自分のもの」ではないが、もうすっかり新谷さんのものになっている。その歌やリズムのありようもアッコちゃんを思い出させる。アッコちゃんが海山や街を吹きわたる風の声なら、新谷さんは大地から生まれる声だけれども。

チャボのギターとお喋りはもちろん文句なしのチャボ節であるし、「この人は年を取りわすれているんだろうか」と思ってしまうほどお茶目で元気。意外で面白くて色っぽかったのが滝廉太郎の"花"などの唱歌シリーズだった。"ダニーボーイ"だの"今日の日はさようなら"には参った。たぶんキャンプファイアー以来だが、こんなにいい歌だったか…。

全くジャンルも違うし、人生も違う(なんとなくクラスの不良と委員長みたいな)のが、お互いをすごくたいせつに、リスペクトしあっている様子が端で見ていてとても微笑ましいし、楽しいし、うらやましい。自分の音を持つひと同士はこうやっていろんな人とセッション、化学反応できるんだなあ…

新しい春が始まる予感に満ちた時間をたっぷり過ごした初南青山マンダラ。

新谷さん、ありがとうございました。

世良さん、ありがとうございます。

ライブのはじまり、新谷祥子ソロ「ハネキミヤノキミ」

(写真撮影/三浦麻旅子) 2o3c3741_2

2017年4月13日 (木)

好きなコラム

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以前は北村想氏のコラムが目的で日経夕刊を配達願い。
今は川村元気さんのコラムが楽しみ。
創作する原点には皆、喪失から始まる何か、エネルギーに変容していくように感じる。

2017年4月 7日 (金)

ライブリポート/リンク先訂正

改めまして、春に奏でるデュエットへのご来場誠にありがとうございました。
様々な観点からライブのことを書いて下さる方々がおります。フェイスブックの投稿などご本人の許可を得てこちらに転載いたします。
ライブにお越しいただけなかった方にも、こららからかなり詳しいライブの様子が伝わりそうですから、他にも紹介したいメッセージたくさんありますが、まずは以下の方々の文を、ちょっと長いですがおつきあいくださいね。
ブルーさん、横山さん、芳賀さん、ありがとうございます。

●ブルーさんの投稿cafe
ブルーの雑記帳より

new以前貼付けたリンク先アドレスがミスのようでした。

以下↓から再度ご覧いただけます。心強いリポートです。up

http://blue19812nd.blog50.fc2.com/blog-entry-3427.html

●横山さんの投稿
おそらく元RCサクセション、古井戸のロックギタリスト・仲井戸麗市さんをご存知の方は多いと思いますが、仲井戸さんが隔年くらいでマリンバ弾語りという特異なスタイルを貫く新谷祥子さんとデュオライブを行なっていることは知られていないと思います。このライブは新谷さんをかなりメインに据えた構成で、最初が新谷さんソロ、次が仲井戸さんソロ、デュオやってアンコールはそれぞれの曲交互でフィナーレ、の計3時間コースです。ギターとマリンバの相性はというと、さすがに音数はギターが圧倒的ですが、打楽器としてマリンバを使うとかなりガッチリ噛み合います(新谷さんは各種パーカッションも繰り出します!)客席かぶりつきはほぼチャボさんのディープなファンで埋め尽くされますが、2人へのリスペクトフルな拍手に包まれ、ロマンティックかつスリリングな演奏が楽しめます。

●芳賀さんの投稿
ちょっと時間が空いちゃったけど、日曜日に観たCHABOさんと新谷祥子さんのライブがとても印象に残ったので、ちょっと感想を…。

実は、ふたりの共演を観るのは数年ぶりだったんだけど、二人の密度が格段に濃くなっていたのにはびっくりした。以前は、CHABOの楽曲に新谷さんが色を付けるような感じだったけど、今は一緒に一枚の絵を描いているようなタッチ。これはもう共演というより一つのユニットと言って良いのでは?

久々に見た新谷さんはソロの表現者としての魅力倍増。もう、登場してきてパーカッションを一音鳴らした瞬間から、耳も目も奪われっぱなしだった。メイン楽器はマリンバだけど、その主旋律に効果的にパーカッションを散りばめていく様は、とても絵画的なアプローチを感じた。この日の新谷さんの衣装、ハチドリをあしらったワンピースによく合うカラフルな色合いの曲や、少女時代を過ごした東北の田舎町の風景…。耳を傾けていると、僕自身の忘れかけていた心象風景も次々に浮かんできた。そういうイメージが喚起されるのは、やっぱり新谷さんの表現に強い力があるからだと思う。
それと、以前の共演ではあまり聴けなかった、彼女自身がボーカルをとる曲が多かったのも印象的。落ち着いたアルトヴォイスで丁寧に言葉を噛みしめるように歌う佇まいは、まるで越路吹雪さんを髣髴とさせるよう。ボーカリストとしても素晴らしい表現者だなあ、とあらためて思った。

CHABOさんのソロコーナーでは、久々に歌われた「プリテンダー」が嬉しかったなあ…。

でも、やっぱり一番の見ものは二人の共演。「うぐいす」にしろ「春たけなわ」にしろ、新谷さんが入ると一気に色合いが増す。ギター一本だと微妙な心理状態がクロッキーのように濃い陰影を描くのに対し、新谷さんのマリンバは、淡い色合いを幾重にも重ねていき、曲はまるで水彩画のようなタッチになっていく。千手観音のような超絶プレイに息を呑んだ「ま、いずれにせよ」を山場に、二人のステージは見所たっぷりだった。

それぞれのソロコーナー+共演+アンコールでたっぷり3時間。大満足の一夜だったんだけど、欲をいえば、もう少し長く共演を観たかったなあ…。そのぐらい二人のステージはスリリング。
もう一回言いますが、やっぱユニットです、この二人は(笑)。どの曲だったか、CHABOが“これはもう新谷さんと一緒の時ぐらいしか演らなくなった”って言ってたけど、それ、すごくよくわかる。

思うんだけど、この二人はやってる音楽のジャンルこそ違うけど、それぞれのフィールドから少しだけ外れてるアウトサイダー同士なんじゃないですかね。そして、アウトサイダーってのはとっても自由なんです。様式や定型に拘らず、頭の中に浮かぶものや身体に感じたイメージのままに音を鳴らし、お互いに微笑み合える。なんかね、軽い嫉妬を覚えた(笑)。こうやって、音で遊びながら性別もバックボーンも飛び越えられるんだから、音楽家ってイイなあ~と心底思いました。

ぜひ、また共演を観たい。この二人は場を重ねるたびに、どんどん良くなっていくような気がします。

2017年2月27日 (月)

古典と現代

作家井上荒野はちょっとスゴいぞ、、と日頃思っていますため、買って積み上げているのが何冊も。

こちらはカバー装画にも惹かれて、、
あ、題名は今までとは違う作風だなとも予感して、ようやく読み始める。
そして、読み終える。

そして、もう一度読み始める。

古典知らずしてこの普遍的な人間のテーマを読み解くことはできそうもない。
薄っぺらい文庫本の紙に文字がべったり張り付くような読み物は好きではないが、
井上荒野小説はぴょんぴょんと紙から跳ね返って、生活の隙き間に人物もしくは思考が躍り出てくるものだから。

そう簡単に清々しい叙情を与えてはくれません。
充分に重苦しい本ですが、忍びやすい入り口を用意してくれる、繊細な仕事だなあ。

さてさて、言葉を使う、を始めた私、、まだまだ修業修業。

Fullsizerender

2017年2月 5日 (日)

天の配剤

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音楽家の先輩女性、優しく大きな方。
一筆一筆が美しい

いただくお言葉を、真摯に受けとめて…
肩の力を抜くことを教えられる

さて…自分は相応しい言葉を誰かにきちんと向けられているだろか。
言葉は難しい
言葉は果てなく…

2016年10月29日 (土)

村上春樹の語る村上春樹

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読み終えたらムショウに村上春樹を読みたくなる。
職業とはやはり、いや、プロ、とはこうでなくては。
私なりの解釈。

けっこう読んでいたけど、また短編なら一から読み直したくなる。
最近好きなページを繰り返し読み、勇気いっぱいもらった一冊。

2016年9月27日 (火)

むこうの木琴

映画化されているようなので、行きたい、と思ったけど時間がない。

駅前本屋でまずは。というより、井上荒野ファンの私が知らなかった1冊。これではファンとは言えまいが。笑

映画では木琴の音が最後に流れる(通崎睦美さんの演奏)と情報をいただいたので、そういう音の映画の幕終わりは大変関心あるので、いつか観ます!

でも、やはり本、です。今のところ。
木琴という記述が一瞬のように浮かび上がります。
その描写がたまらなく切ない、と私は思いました。
もっとも、本筋をちょっとそらせて、ある音を小説の中に一瞬表すメタファー、それは多くの作家がやっていることだと思いますので、特にびっくりとか、新しい、などではなくって、、だから木琴がどうしたのか、という具体的な回答がそこにあるとは最初から考えて読んだわけではなく。
打楽器のような、、木琴のような、、という曖昧な音の記憶がこの作家の選んだ叙情、意外や打ち楽器であった、、ということが、私の中の打楽器観へ直結してくれたから、、やはり井上荒野はこれからも読み続ける、、と思ったまでの話ですが。
ストーカーの話ではなくって、、これは切ない人間叙情かな。
映画の宣伝はなんとなくストーカーもの、で通じやすくなってはいるけど。
井上荒野さんの「切羽へ」も最高の読みものです。


以下は余談ですが、
荒野(こうや)に木琴、、
これは北村想戯曲「寿歌Ⅳ」で音楽を担当したとき、
私の演奏はそういう風景でなければならなかった、北村想ワールドにも通じる記憶を甦らせるもの、、も一度、むこうの木琴を弾きたくなってくる。

一冊の本から遠くへ、、むこうへ、、と。

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