カテゴリー「観たこと&聴いたこと」の51件の投稿

2017年12月26日 (火)

語れるホームタウン

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当たり前だと思っていたけど、ステージでホームタウンを語れることは、もしかしたら誰にでもということでもないんじゃないか。
当たり前だと思っていたけど、違うんじゃないか。

ホームタウンを語ろうとしても、語らない人もいるはずだ。いや、語れない人もいるのだ。
いや、もっとイジワルな言い方をすれば、どう語るかを探れない人もいるし、語ろうとする発想すらない人もいるだろう。

だから
ホームタウンを当たり前のように語るは自然のこと、でもないんだ、と私は今ごろ、気づいた。
なぜならホームタウンはやはり特別な息吹を吐き出したり、吸ったりした人でなければ、歌にできないのだ、と当たり前のような大切なことに気づいたライブだったから。

当たり前に語れる、歌える故郷を、私は抱いて歩いている。
新宿や六本木の景色とは真逆でも、歌の内側の景色は、どこか似ている。

ちょっと生意気な言い方だけど、ホームタウンに遊んで残してきた様々な感情が吹き出る人は、ずっと表現者でいられるのかもしれない。

2017年12月16日 (土)

ディランとバエズ

ディランの初期、これもまた光満ちるエネルギーですね。
バエズとデュエットのディランは幸せそう。歌うべき道を見つけていた純真さに打たれます。

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今、私はどんな歌を書けるだろうか。

2017年12月 5日 (火)

好きな声 ジャケット

ここのところhelen merrillの声に魅了されています。
ずっと前から好きな声。でも夏には聴かなかったな。
秋に、いや冬が来ると知る季節に聴きたくなるという声。
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ジャケット写真がまた好き。

そしてこちらもまた好き。
全く違うテイストの歌手だけど。
bille holiday もまたマイクの前の写真。


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2017年10月10日 (火)

歩く。

共演する相手の方が、どのような楽曲を提示してくるかによって、その曲の奥行きに、ある種人生観まで覗かせていただくことになる。

それは共演者として至極、幸福な出会いであり、突としてキラリ、これまで知ることもなかった道を見させていただくことになる。

突如現れたその道を自己流で解釈したり、想像したりはできても、実際にその道を歩めるか、と問われれば難しい。そして同じようには歩めない。

2005年の初対面の時に、リハーサル室で交わした会話まで覚えている。若気の至りで、同調するかのような会話をしていた自分を恥じる。しかし、見え始めていた。 その時点から、とてつもなく寛大で柔和で、そして自由な音の道しるべ。

チャボさん、仲井戸麗市氏との巡り会いに自分の音を振り返った。いや、自分を振り返った。心に降りたものは、衝撃的で新鮮で恥ずかしながら「私にも小さな翼があった」と心底思わせてくれた。

今日、夕刻の空を煽るようにロックンロールが響いていた。
深いドラムの音に身を任すようにギターと歌のチャボさんがそのビートの上で軽やかに歩いている。こんなふうにマリンバを弾きたい、と思った。
そう、こんなふうに、道を歩くことができるように、そんなイメージを抱くことから
、さてさて、、また始まり、始まり。

チャボさんの誕生日。息子の誕生日。
万歳!!
Fullsizerender

2017年10月 1日 (日)

日曜のシャンソン

朝の一枚


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流石、恋の国、フランスだ。
ジェーン バーキンの若き頃の声、上手下手を超えて、あらら、男はメロメロ間違いなしですね。
でも、ボーナストラックのジュリエット グレコの声は女の私もとろけます。
日曜日の朝は1人でシャンソニエ。

アルバムは『ゲンスブールと女たち』
モテ男さんか…


2017年9月10日 (日)

シャガール アレコ

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青森県立美術館のシャガールの大作、バレエ、アレコの背景画4幕が展示されています。
20代でシャガールの絵に虜になってから、あちこち観てきましたが、はい、観てきましたが、ここが最高、青森県美のアレコ!

四方を巨大絵幕が飾るアレコホールは、この地下に広がりますから、美術館の規模もスーパーサイズ。
さ、スケール広げていこ〜!
故郷合宿は終わり、充実なり。

2017年9月 7日 (木)

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何度聞いたかわからないけど、毎回、回帰する風景が違って見える。
ふわりとした優しい歌声なのに、なぜこんなにこちら側を強く揺らすのか。

なぜなんだ。
なぜなんだ。

ただ静かに受け手になって聴きたいのに。
震える歌ばかり。

2017年9月 6日 (水)

柔らかい風の祭り

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十数年ぶりに故郷の祭りへ。
秋の柔らかい風吹く日。

心踊ったあの頃、祭りがずっと続きますようにと願っていた少女時代。
祭りの後は、厳しい季節がくるばかり、、、
そんな気分に塞がれていたっけ。

でも、その晩秋も雪の冬もすべて、この心身を形成するに必要な季節の調べであったのだから。

2017年8月26日 (土)

講評席から見えること

第32回府中市青少年音楽祭の講評席に座らせていただきました。

いつも花を飾ってくださるその席に、何度か招いていただいております。

私は午前の部で役目を終えましたが、和太鼓、ジャズ、吹奏楽、オーケストラ、と豊かなサウンドが次々とステージに広がり、彩り豊かな府中市の音楽活動は常に羨望を抱きます。乱れぬ演奏ハイレベル、ご指導の力、会場設営のスムーズさ、音楽祭の進行の華麗さ、、

特に、和太鼓合奏は府中市の教育活動に欠かせないものであること、伝統を受け継ぐ、そして新しい創作が生まれる、世代が交代していけば同じ曲でも時代の風を受けて、表現方法に変化が生まれる、自然な循環作用があり、その継続力たるや。

いや、循環するにもそれ相当のパワーがいります。そのエネルギーを維持し、そこへ送り続けるのは地域の応援と理解。保護者は当然家族のメンバーの応援をします。ホールは賑わっています。しかし、しかし、、あれ、あれ、、??子どもの出番が終ればすっと席を立ち去っていく、、、他の団体の演奏を聴いていかないの?子どもの姿を録画におさめて、、終る、、、の?

こういう光景は初めてではありませんし、むしろ見慣れているけど、それにしても、、

音楽祭、という意味は家族記念行事であること以上に音楽への気持に乗せて、他者への関心と優しさでもあればいい、とふと思ったりします。

全体講評の時間になり、マイクを与えられて5分ほど舞台でスピーチ致しました。演奏出番が終ればすぐ会場を去った団体様も多いことに気づきました。子どもたちの熱演が眩しかっただけに、、、

いつでも楽器がある、いつでも音出しできる部屋がある、こんな立派なホールで演奏できる、有名人と共演だってできるらしい皆さん。

豊かな環境に恵まれて、楽譜も音源も入手して普通に音楽している、、そこから貪欲な繋がりを求めようとするのは無理なことなんだろうか、、

などなど、普通の困惑も混じった感情を抱えて帰途につくのは今回も同じでありました。

大掛かりな音楽祭は明日合唱の部。どんな風景が見えるだろうか。

Fullsizerender

2017年7月 6日 (木)

John Coltraneを聴きながら

混沌としたなかに美の秩序が内包される。

高校卒業と同時に、型破りといい表されるかような音楽と出逢っていた。
それはでもそれは一つの「型」だった。
特別な方法論をもったかのような、優れた型を背景にしなければ生まれ得ない、私には最先端であるかのような音の集合美であった。

得体の知れない、、
裏より遠く、逆のそのまた逆、、
計り知れない繊細なる時間軸の交差。
熱く語る大人たちが眩しかった。
あの頃は、具体的な感想を抱くより、その得体の知れないものに身をうずめる自分がいただけだったかもしれないが。

時代を越して、今もこれを聴く。
今は、この偉大なる、革命の音の発信者のかすかなディミニュエンドも聴きのがさない自分と向き合う。
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