カテゴリー「観たこと&聴いたこと」の66件の投稿

2019年10月16日 (水)

天の歌舞伎展と木琴のこと

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猛烈な台風が来る直前のこと、国立劇場、王子ホールと続けて、木琴weekでありました。

国立劇場 天竺徳兵衛の弾く木琴の調べ。これぞ日本の元祖弾き歌いでしょうか。通し狂言として魅せる大歌舞伎。20年ぶりの上演とのこと。見逃すわけにはいかない、そう意気込んで出かけました。父が大の歌舞伎ファンでもありましたから、父の命日10月10日には「天(10)の歌舞伎展(10)」と自分で決めて、その日は可能な限り歌舞伎鑑賞の日にしております。

江戸時代に西洋から伝わっていたという木琴、これについては大変興味があって、一体誰がどんな風に、どんな場で使ったのか、、、を調べているうちに、その古い貴重な木琴を実際に崇めるチャンスが、2015年にやってきました。細かいことについては、音響の専門家たちが集まるレクチャーで話をしました。

今回の歌舞伎演目では、ほんの一節だけ越後節と共に、ちょこっとその音が聴けるのですが、舞台で使ったものが江戸時代から残っている楽器であるかどうかは不明です。私が過去に実際に見たものより、かなり小型だったので演目のために復元したもの?かな、という感じもしました。

でも木琴が歌舞伎に登場するなんて、これは稀有なる現象とも言えますから、大いに楽しみました。その待ちに待った場面、中村芝翫がちょっとだけ音を外すんですが、それはもしかしたら、このストーリー的には演出の一つ?であろうとも思いました。完璧に演奏したら、この場面はちょっと薄味になってしまいます。おどけた節と盲人のふりして役どろこに奥行きづけの見せ場。歌声と木琴を弾く場面はとてもスリリング。ほんの一瞬ですが、そーれ見て見て、、原初的にも木を打って歌う、ってこと、自然です、人類はやってます、そういう瞬間に拍手を送りたい気分でした。

この演目は相当舞台が大掛かりなので(大きなガマガエルの登場)、照明や早変わりも楽しく、わかりやすい物語でもあるし、もう少しスタンダート化してもいいような、、っと思いますが、さて、演るのと見るのは違うのですから、なんとも言えません。

父の命日なので奮発してちょっといい席、ま、自分への褒美として満足満足。

そして、その翌日は1930年代の木琴(ディーガン)の音色を味わいました。王子ホール。昭和にアメリカと日本で活躍した木琴奏者平岡養一の楽器を譲り受けて演奏活動を行う通崎睦美さんの木琴リサイタル。まず、初めて聴くその音色、奥深さに驚きます。きらびやかに見える新しいフレームの化粧を施した木琴、しかし音はゴージャスということではなく、通崎さんの音楽作りがその木琴の存在を「こんな音もあるのです」と代弁するかのようにコロコロ、カランカラン、美しくクラシックホールに踊ります。弦楽をバックに演奏する内容、構成、トークの理知的な運び、そして布を合わせて独自の演奏衣装についてまでも説明してくださる。聴く楽しみ、見る楽しみ、ですね。  

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プログラムも素晴らしい資料となっています。

通崎さんの著書「木琴デイズ」は、専門性高い内容ですが、こんな重要なる日本の木琴の歴史はここでしか読めません。何度か読み返しておりますが、今では付箋だらけ。

さてさて、話は戻ってしまいますが、私が4年前に出会った江戸の木琴。

こちらの写真です。先日の歌舞伎では徳兵衛が背中に背負ってそろ〜りそろ〜りと登場します。演出上、それは背中に背負うために小さい形にしていますが、実際に舞台で演奏する木琴は黒子が慎重に運びます。こういうタイミングのセンス、采配もまた歌舞伎ならではですね。歌舞伎の「間」は一瞬一瞬が生き物。自分のマリンバを背負って登場できたらな〜〜

歌舞伎鑑賞はやめられません。お次は、はい、正月大歌舞伎!!!

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2019年9月29日 (日)

「あゝ荒野」鎮魂歌

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ひょんなことで、寺山修司ファンの関西の方と会話(取材受ける)ということになった。著作を相当読んだけど、前編しか観ていない映画「あゝ荒野」、これはあかん、、と配信で後編を追いかける。映画を見終えて、以前作曲と演奏で関わった朗読劇の台本を引っ張り出す。このとき、いきなり開幕前に新谷「あしたのジョー」を歌うという指示文字。想定外の曲、演出に戸惑ったことは確かだけど、これを聴くと歌うでは大違いだということをあの時知らされた。

映画は全編で5時間。

こんな映画を観てしまったら、他の映画が甘ったるくてしばらくは何も鑑賞する気分になれない。ただ、寺山修司の長編小説の方を読んでいないというのは悔しいので、それはやはり原作を読むに走る。

写真の台本は寺山偏陸氏によるもので、三沢市寺山修司記念館で三上博史(朗読、歌)、福士正一(ダンス)、新谷祥子(作曲、マリンバ、打楽器、歌)でたった一度っきりの上演で終わった。これは面白かったなぁと素直に振り返る。映画はこの後にできたから、このスポーツ版人生という抜き出しの台本に対し、このような映画等資料から受ける影響なしに関わったことはある意味幸いだったかもしれない。私なりに音と言葉の絡みに対し戦った時間があったことを思えばである。

そして、台本(原作でも)に登場する挿入歌とか、あしたのジョーなどは映画では一切登場せず、映画は都会での今と未来に焦点かかったサウンド作りのようにも聞こえる。

もし、「あしたのジョー」を歌うという指示が舞い込んだら、今だったらきっともう少し理解深められるだろうなと思って観終える。たぶん、歌うことはないだろうけど、、でも、覚えていますよ、、これ、来年もあなたに歌って欲しい、と言った方々。カッコだけつけた言葉なんかいらないのよ。

映画は本気でそう言っている。

 

 

 

 

 

2018年11月25日 (日)

寺山修司展

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寺山修司の孤独、そして人としての優しさを感じる展示

どんなアングルで寺山修司を伝えるのか、は寺山修司とどう向き合ったか、ということで大きな差が生まれるように思います。
長年沈黙にいたと言われる田中未知氏が自身で保管し、管理していたものが中心であるならば、やはり今回の展示を見逃すわけにはいきませんでした。
作詞家とばかり思っていたけど、随分前に読んだ田中未知書簡からは秘書であり、仕事のパートナーとして信頼関係の深さは誰よりも強かったのではないだろうかと察します。

今日の展示、
「田園に死す」の箱書きをみるなんて、想定外でしたし、また仕事のために幼い息子を親戚に預けて九州に働きに出た母親へ、寺山少年が綴った手紙、、それは胸を打ちます。
「母」を作品の愛憎眼点とする驚くような文筆にも、この少年の手紙を読めば、孤独の深淵が産んだものをまざまざと見せつけられる思いでもあります。

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2018年9月21日 (金)

五感緩めて、、

瓶入りのコーヒー豆をいただいておりました。

そして、せっかくなので新調したコーヒーミル。
仕事がはかどる、、、
香りのせい、、でしょうか。
飲み過ぎはいけませんが、こんなコーヒーの味は初!!!
柔らかい、、優しい、、穏やか、、そんなコーヒーと出逢っています。

そして、、ここのところ素晴らしいドキュメンタリー映画と出会っています。
スペインの映画、「工事中」
ピアニストの「フジコヘミング」ドキュメンタリー
そして、
アニエス ヴェルダの「顔たち、ところどころ」

勧められたものを観て、歩く。全部は無理だけど、、、
資料として観るも楽し、でも五感を緩めて、新しい世界を受け入れて、、
step step,
そんな秋もいいですね。
Img_6817_2Guatemala の豆が入った瓶。
そして、前から欲しかったcoffee mill! (左)
ちょっとカッコイイのだ!

2018年9月11日 (火)

呼吸と動き。それは音を奏でる上で、永遠のテーマ。

今月初めに出かけたダンス。
毎回、ポスターが楽しみですが、テーマ「幻」という文字造形がそのままポスターの青の身体に反映されています。
大きな会場で味わう身体パフォーマンスもいいのですが、小劇場空間に散りばめられる生息感、、その緊張は、参加者に直接「問いかけ」提示するかのような迫力、いや静謐さにたじろぎさえします。

勅使川原三郎のダンスメソッドに参加したのはつい最近のこと。
終わった後には、これまで経験したことのない身体作用が起こったこと、、
20代に交じって、これは正直同じレベルでの動きはキツイ。でもくじけることなく、、続けられたことに、誰より自分が驚いたこと。

踊る人の身体の作法と、日頃踊らない人の身体の技術差、能力差、はあってもしかし、そこに瞬間、見出す身体反応の鮮度はそれほど変わらないのではないかな、、、

黙って鑑賞するダンスにおいても、踊らなかった身体に新鮮な水が漲っている。

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2018年9月 8日 (土)

灯が戻りますように。

北海道の友人宅は今夜も停電とのこと。

自然災害、人間のなすすべのない天災の前で「生きてく」ことの小さな営み、しかし尊い一歩、やはり今目の前にあることに、誠意尽くして、この歩める足で進む、そう思うばかりです。

秋が巡り、素敵な仕事を授けられております。
朝から音楽を部屋に鳴らして、鳴らして、、
いろんなヒントになる曲を探して探して、、
いい仕事がしたいな、、と思える、挑戦の素晴らしいチャンスをいただいている今の時間を尊いものと感じて。
私にはこれまで経験していなかった新しい分野の仕事ですが、、(今はまだお伝えできずすみません)

久々に
ピンクフロイド、、
レイ チャールズ、
トム ウェイツ、、
聴き流すことなんてできない、しびれる唸り。


ロックが紹介されている一冊、全ての曲に触れたくなる。
その中でもチャボさんと鮎川誠氏の対談が好き。
なんだか一番ロックを感じるページ。
「愛」かな、、
ランダムに色々聴きながら、、
ロックな秋で行きます!
灯せよ、、今を。
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2018年8月28日 (火)

チャボさんのDJ

ライブには何度も通えども、チャボさんのナマDJには初参加の昨夜。

こんな日に限って選曲されたものをメモするペンケースが丸ごとバックの中から消えている。
あとはこの頭で記憶するしかない。
恥ずかしながら、Aretha Franklinの存在を知ったのはチャボさんと共演させていただいてからのこと。それ以来、ずっと聴き続けているのですが、この夏、青森の実家でこのソウルフルな歌声を聴いていた朝、訃報を知ることに。
昨夜の始まりに、Aretha、、深紅の曼荼羅のステージに似合う女性ヴォーカル。
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チャボさんのDJ中、やはりご自身の曲もかけてくれるかなという期待、、そして、、「久遠」
初共演のあたりですでに私は久遠の「重たさ」「苦さ」に直面する。耳から離れない曲というものになっていくのは、こういう旋律でしたから。

The Metersのインスト、そうだ、今の私のマリンバに必要なのはこれ。理想郷を見つつ聴くDJはなんて楽しい!

Neil Young、こんなふうにマリンバを弾いて歌いたい、と思った時期を思い出す。
時折、バンドでマリンバを弾く日を夢見る。でも独りで作った歌を独りで完成させたいと思えるのは、こういうふうに、自分の歌詞を自分の奏でる楽器だけで包める独り力の美しさ。
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どんどん音世界の小径を開いてくれるチャボさん、やっぱりパッションに生きるって素敵だ。
すごいんだ、my ヒーロー!

そうそう、奈良美智さんの存在を教えてくれたのは画家だった私の伯母でしたけど、巨大サイズの絵葉書を購入して、この構図を見よ、幼子の眼光の先を見よ、、、というニュアンスで私の演奏を叱咤激励した伯母もまた、スゴイぜ、、って心の中で。
そんなわけで、DJチャボさんが奈良さんのことに触れている途中でなぜか、、ホロリっ、とする。

2018年5月25日 (金)

美しい現代音楽

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ドイツに住むという、韓国出身の女性作曲家、しかも同い年と知って、久々に現代音楽をオーケストラ作品で聴く、というチャンス。

ウンスク チン
堂々とした女性の顔アップのポスター写真。いい写真だと思っていた。
観る人がたじろぐことなどおかまいなし、の佇まい。この人が作曲家であると知ったのは最近のこと。しかも世界的、、というタイトルがつく。
やはりですね、緑の草原にシャランと立ってどこを見ているかおぼろげな、、そんな女性性の写真などこの作曲家には似合いませんし、ご本人だって間違ってもそんな写真をお撮りにならないでしょう。

聴いたこともないような響が流れ、ついキョロキョロする私。
明らかにステージから聞こえてはくるけど、でも不思議な錯覚。
なんたる斬新性。

職業柄、オーケストラを聴いていてもすぐに打楽器を追いかけてしまうけれど、打楽器がこうも特殊性などに無縁な存在となり、管弦打楽として終始、発音の度合い、色を問われる曲など、個人的には私の耳に相当打楽器革命的曲でもありました。

曲名は
マネキン

2018年5月15日 (火)

ドリス ヴァン ノッテンの花

それはそれは、もちろんのこと、別世界と言えば別世界。
せめて映画でどっぷり観せていただこう。
瞬きするのも勿体無い、、そんな美ひしめく。
あー、この映画を服飾のプロとして、、晩年は画家として生きた伯母と並んで観たかったことよ、、
感嘆のため息か、、驚愕の悲鳴か、、、

http://dries-movie.com/

私には、今日、この映画で最も心打たれる場面が、主たるショーのプロセスより、休息の庭園で花を選んで運び生けるシーン。
これは、例えば、背景は異なるけど利休の茶室の切り花の儀式にも似ているのではないだろうか。

様式など施しようもないましてや作意的でもなし、そのただ目の前の花一輪、という美が人を動かすであろうモメント。それを映し出しているドキュメンタリーの質。
生け花、どんな豪華な服にも勝る然たるもの。

映画館のどでかいスクリーンで観るべき映画って、まさにコレです!
服、、着るは夢として、、笑
芳香漂う90分。

2018年5月 2日 (水)

濃いお茶の朝。

19歳の春に、アフリカで打楽器を学びたい、と宣言したことを思い出す。

小さな教室で、自己紹介、ちょっとばかし、元気溢れてる風女子だった。
実際は、臆病女子だったのに。笑

一番行きたいと思っている西アフリカは未踏。
北アフリカへの旅は、同じアフリカと言えども宗教、暮らし、文化そのものが大きく違う。
それでも、大陸の一端に赴いた記憶は途切れない。
ちょっとスリリングで濃いミントティの味はずっと喉の奥に引っかかっている。

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以前、本屋さんで手に取った雑誌PENの表紙が衝撃的だったので、写真展まで。
少数民族の住む地にスススッ〜ーっと入っていけるこんな女子、、
突進する女子。
迷わない決断。

あ、そうだ。今年はミントの苗を買い忘れている。
急げ!

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