カテゴリー「観たこと&聴いたこと」の86件の投稿

2024年1月 4日 (木)

Tom Waitsを聴く正月

まだ支援物資が届かないという孤島、道路が寸断されれば深刻なことばかり、、

スーパーに並ぶ人の列、普段の生活が急に変化してしまう自然災害、

物語の筋なんて、人間の描く理想なんて、一瞬にして軌道から逸れてしますことがある、という現実がそこに流れている

こんな日々、

なぜだかTom Waitsを聴きたくなって、実家に置いたアルバムをローテーション

全く、今頃、Tom Waitsは似合うだろうか、、こんな今だから、なんだかしっくりくるようで、何度も繰り返し、壊れかけそうなCDデッキで

聴いている。乾燥した部屋のせいか、音がよく響いてくる、こんな小さな安いデッキでも、奥行きのあるライブハウスのような響きになるのか。

もちろん、大音量で聴く

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かの仲井戸麗市、そうチャボさんにTom Waitsを知らされて、それからたくさんの曲を聴いて聴いて、そして買った最初のアルバム。

どうして実家に置いているかというと、このアルバムが好きすぎて東京と青森の移動に持ち歩いているうちに、、どちらに置いたかわからなくなって、今はここに。

わざわざ持ち歩かなくてもサブスクで聴く方法が簡単なのに、私はCDデッキで聴きたいアルバムというのは特別なものなのでこうして持ち歩く。

このどんよりとした曇り空の北国で、北陸の地震災害のことを思うと、このアルバムに綴られている歌詞が、ジンジンと響いてくる。

なんとか、助かって、、

人生を綺麗事に生きていくなんて愚か、

人生にはいろいろある、その苦しさ、もがき、訣別、決心、希望、

すべてある。

それをこうした音楽が、一緒に、何か、落とし込んでくれている、たぶん、どこかに連れ出してくれている

 

2022年2月22日 (火)

ジョニ ミッチェルの朝

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動き始めた次へのジャンプ。いや、飛ぶほどでもないけど、そんな気分で行きたい朝。歌詞を読んでいる朝。

そういえば、、と、、ジョニ ミッチェルのWoodstockを聴いている。美しい高音をさりげなく奏でるジョニのハイヴォイス。

私は1994年の奈良東大寺で行われたロックフェスティバルの舞台。生のジョニの歌声を聴きながらジョニのずっと後方でこの偉大なソングライターを聴いていた。ここにいるんだ、そして歌っているジョニミッチェル、生の響きに現を知った瞬間さえ思い出す。

ダークな紺色のパンツスーツとギターを持って歩く、決して周囲に媚びないその女性の歌手の背中の大きさ。大河のような歌のスケール。歌詞は長い。そして英語の中にも秘められたパッションや時にアイロニーがミステリアスな響きで流れていく。

途中からジョニの歌声は遠くに離れて、自分はどこか別世界に彷徨っている。旋律だけでも追うことが難しいけど、子守唄のようにも響くこのwoodstockを聞くと、ふと、マリンバという楽器ではなぜ美しいロールを持続しにくいんだ、、なぜなんだと、現実的な自身の演奏のことにまでも。

全く異なるアプローチ、届くはずもないこうした何か別天地の品位というか。いや、でも、きっと手繰り寄せたいと思える、でもそうではないと知る葛藤。隣り合った何かへの糸口に狼狽える自分。

それでも心地良い朝だ。今日の予定をどうしようかと迷っているくらいに、、、

 

2021年6月 8日 (火)

ミネアポリス美術館

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一度だけ行ったことのあるミネアポリス美術館。

このアメリカの大都市にはワーカー美術館という現代美術を楽しめる場所もありますが、古典を味わうならミネアポリス美術館。

日本の名品、知られざる作品がずらり。

六本木ミッドタウンのサントリー美術館に現在、優れた作品の数々が並べられています。

江戸時代の墨の芸術、粋、色香、迫力、ユーモア。

倣えぞ江戸スピリット。時間が許せばもう一度行ってみようと思うのですが、そう思うだけで2度目がないことが多いので、

この分厚い図録を購入し、眺めています。

そして、白眉たるは、、私にとっては生まれて初めての思わぬ作品と遭遇。

伯母髙田は内山雨海に師事しましたが、その内山が私淑とする浦上玉堂の長子、浦上春琴の作品を観たこと。

予想外に目前に現れたその作品、構図にまず圧倒されました。シンフォニーいや、交響詩というべきか。文字のない墨と線の物語。スケール感では父親を超えたとも言われている春琴の作品。

まだ油断のできない日々、外出は控えめにしてはいるものの、、こういう展覧会に足を運べば、やはり体が欲する「振動」

心ふるえる、、人はそういう生き物ですもの。

 

 

 

2021年5月16日 (日)

続ける

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相変わらず、オンライン配信のライブ、様々聴いている。観ている。

もういい加減、画面越しって疲れてきたな、、と思っていたりもするけど、昨夜、チャボさんの「RCサクセションが聞こえる」を聴く。

ここ最近のオンラインの中では、一番グッときてしまった。

なんというか、すごく重みが残った。

 

「聴いた」という耳の感慨。

「言葉」をかみしめた感慨。

瞬間瞬間「歌」がずっしりと。

小さな部屋が劇場のようになっていく。

圧巻、、という言葉でもあるし、まるで今ここに湧きいずる「泉」「透明感」

 

歩む道に様々な川が流れている。自分もその川辺をゆっくり歩んでこられた。

でもつまづいて 寝転び、空を仰いで、ため息して、、連続して巡る「問い」に対して、

「続ける」

という答えだけは、離さないでいられるのだ。

 

 

 

2021年4月18日 (日)

どっこい歌舞伎

黒木綿蛇の目繍四天(くろもめんじゃのめぬいよてん)、、今日は、もうとにかくこの衣装に度肝を抜かれました。

演目は「絵本太功記」ここでの佐藤正清役が着用するこの蛇の家紋、迫力です。

私が歌舞伎に通う理由は多々ありますが、義太夫に惚れ込んでから、その独特なる声の回しや響きに酔うことはもちろん、下座音楽の鉦の音、などを聴ける日はハレの日です。そして、「ツケ」の大ファンであるため、今日はお二人の音の違いを芝居を見ながら分析する?くらい、面白い差異に心高ぶりました。

まず会場の壁から天井が反響する音の方、そして、ツケ板、ツケ木、そのものを唸らせている感じの方、この2者がいらっしゃることに驚きます。聴いていて「鳴る」のはどちらかと言われると、どちらも「鳴る」わけですから、、、、おっ、っと、っと、、

ここからは、言及を避けます。もう少し自分にリサーチが必要ですから。そして演目のどの場面で、どう鳴らすか、、を知らずしてはただ「響き」だけについて語ることも非常識すぎますし。音楽演奏とは違う観点、概念に触れての音たちが存在することを、深めたくなります。

そして、音以外でこの歌舞伎に誘われる大きな要因が、色彩バランス、江戸の配色、伝統模様です。それはそれは荘厳な美術鑑賞のようです。今日は先述のその衣装のケレン味に惚れ惚れとして大拍手してしまいました。

歌舞伎は1年に多くて4回の楽しみ。シーズンに一つ選びます。(お財布の事情です)本当は毎月でも通いたいのですけれど。

昨年は0回。今年はこの四月歌舞伎が最初となりました。徹底した会場の感染予防対策によって快適に鑑賞できます。

歌舞伎好きは父譲り。父とはたった一度だけ一緒に出かけたこの歌舞伎座。次回はいつ来れるだろうか。いっそ五月歌舞伎、としようか。

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歌舞伎の前は朝の青山外苑、若い音楽家さんとカフェオレタイムもしました。

なかなか爽快なる一日。さあ、2021はとっくに始まっている。

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2021年4月 1日 (木)

型とリズムに酔う

青森市、棟方志功記念館には何度も足を運んでいますが、この3月も再び。

あれもこれもと展示する大きな記念館ではないため、作品のごく一部を、その企画のために選りすぐりの作品を、という風情。

上質な一品料理のごとく。

それなのに、ずっしりと重く深い味わいを得て、ああ、またここにやってくるぞ、、と振り返る。

型があるようで型がない。リズムがないようで、リズムがある。

アイシテモ あいしきれない、、

と始まるこの棟方の言葉5行に(写真右)

板画をみる前から、そして鑑賞の後にも、滝流るる崖の下に、水しぶきがこちらにかかってくるかのようでいて、実は一粒もかかってこないような

遠い水の魔物、触ってもサワレナイ、誰にも、、そのくらいの高貴さを讃えた「文字」にひざまづきそうになる。私の場合は、、、である。

 

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2021年2月23日 (火)

プチ旅

パリの街風景の写真を見ることが好きです。

ドアノー写真展は十分に満足させてくれる展覧会でした。

特に音楽の視点からの展示は興味津々。

第二次世界大戦後の街の活気、音楽家のポートレートもいいのですが、それ以上に、映画でしか知らなかった歌集売りの街角の写真や、市中音楽隊がスーツ姿で練り歩くその小太鼓、大太鼓のむき出しの楽器の生き生きした感じとか、見入ってしまいます。

本当に欲しいポストカードはそんな風景ですが、ショップに並んでいるのは、美しい女性音楽家たちの佇まい。もちろん、惹かれます。

また今夜もフランス映画を楽しみたい気分です。

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感染対策もしっかりで、会場は混んでいません。

詩集やCDなど、今聴きたいもの、見たいものを購入し、心だけでもプチ旅。

(東急文化村ミュージアム)

2020年11月 7日 (土)

Great Spirit チャボさんライブ

映画のようなライブ。

歌詞とギター揺蕩いだけで作る一つの映画。
チャボさんのライブ、また新しい。
オンラインで聴くギターの音が、無観客のせいか透明で、そして強い。
私がいつも横に並ばせていただく、その場所に揺れているのは
ドリームキャッチャー
Great Spirit
以前共演した曲、遥かな手紙、やはりこの曲の大きさが好きだ。
果てしなく広い空を感じる。
そして、希望。人間の作る道、、人間の悲しみ。
この曲は切ないけど、、ニジェールには行けないけど、どこかへ旅したくなる。
羽が欲しくなる。
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2020年10月 5日 (月)

太鼓自動演奏車

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日曜日の午後、近所の美術館へ。車で20分。ダイナミックな展覧会をする場所。その所有コレクションにも驚きます。

閉館寄りの時間に入館すると、案の定人はまばら。

テラスカフェもわたしのお一人様席。金木犀の香りにクラクラします。ソフトクリームのバニラ味はとっくに空に溶けて。

目的は江戸初期からの名宝、襖絵、屏風絵など。でしたが、、隣接のダヴィンチ没後500年展の迷宮が面白いことになっています。

太鼓自動演奏車のCGや模型を見ました。兵器まで発案したダヴィンチはこの太鼓も戦場で相手の馬を驚かすために考えたもの。

ティンパニのチューニング作動機械も発案したこの画家、芸術家、化学発明家、思想家、、それ、本当に使われたのかどうかはわからないけど、音程を決めるティンパニにまで案をひねり出していたとなると、天才ダヴィンチも、なんとなく特許取得の発明おじさん風。

でも、昨日の自動演奏車をみてふと思ったこと。ティンパニに音程を決めた意味、悲しくも太鼓の歴史には戦争の話もまつわることが多いわけで、もしかしたら音程の脅威も研究したのでは、などど余計なことを考える。明らかに和音には癒し、平穏、威嚇、威圧、沈静、覚醒、、は伴う。

あのダヴィンチおじさんのことである。音程の響き、不協和音の効用。構想したとき、どんな顔をしたのだろう。

想像する「微笑み」は、、やはり、、ちょっと謎。

ソフトクリームは苦し、、、でも、いい午後でありました。笑

2020年8月14日 (金)

レコードは呼吸する

針を落として聴く。LPの音はやはり優しい。

ここのところ、自分の成す生音以外、振動を受けて聴くという機会が減ってしまい、画像やら配信からの音が多様に飛び込んでくる。

外の空気も澄んで、空は星が輝き、そんな夜に静かな部屋でレコード針をそっと落とす。

この静けさに、けな気な力の見せ所、、レコードはくるくる回転し、波打っているではないか。

朝も聴く。でもやっぱり夜だ。鬱積とも言える深い黒い空が見える窓に、、レコードの針が呼吸する。全てが画像を伴って情報化される現代、音だけを頼りに想像する世界。

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大学を卒業して聴きだしたミルト ジャクソン、この音色、今またゾッコン

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