カテゴリー「観たこと&聴いたこと」の72件の投稿

2019年12月 3日 (火)

「木」への愛です!

新しいアルバム「NOT I BUT THE WOOD...」の1曲め「暁」がアムステルダム、ニューヨークに続き、日本は幕張メッセでの国際放送音響展でのデモ音源として広く紹介されたようです。こだわりのレコーディングを実現させてくれたエンジニアや音響会社のおかげです。

このアルバムのタイトルを日本語表記にするか、英語メインにするかで悩みましたが、やはり英語にしてよかったと思います。アメリカの友人から「こんなに興味を引くタイトルはないよ、そしてタイトルに引き込まれるように木の呼吸に惹きつけられるCD」嬉しいコメントも届きました。

日本語では「私ではなくて木が、、、」どんなふうにマリンバを聞かせたいか、、歌のバッキングだけではもったいないよ、楽器と歌詞と声、これらが喜ぶバランス、その方向性をしっかり考えた方がいい、そういうプロデューサーからの提案を受けたことはアルバム作りの大きな一歩にも。

「木」をもっと知りたい、レコーディングはやっぱり動機を与えてくれるし、成長させてくれそう。

そんな日々ですが、11月は映画やコンサートなど出不精の私にしてはかなりの行動力!オススメしてもらったこちらの映画はとても興奮しました。なんたって、「wood」そこから生まれるギター。職人の店が主なシーンでそこに集まるギタリスト、何より私には「世界で一つのギター」「素材の木」「音楽への深い愛」短いドキュメンタリー映画ですが、そこに漲るパッション、このドラマに様々な発見をしました。

私の楽器、Marimba One、初期クラシックスタイルの楽器。ウッディです。音に派手さもなく、今では私の体に馴染んでマレットをちょとだけ触るだけで自分の体調のコンディションまでわかる。愛する楽器ってそういうものなんだと感じます。映画では職人が材料を探して、木の声を聞きながらアートなギターを作成していくプロセス。ギタリストが訪れては、イカした会話をしながら楽器を選んでいく。

私は留学時代にニューヨークの街を何度か歩いているけど、あの騒がしいイメージの街に、こんなにあったかいストリートがあったなんて、、、

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2019年11月27日 (水)

定点のような音楽

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ふらっと出かけるお決まりの場所。落ち着きます。しばらく水と山と空を眺めて、それで十分満足します。暮れゆく時間が一番いいのですが、帰り道がちょっと心配になることもあり、くねくね道のドライブを減速して下るのはこの時期なら16時前と決めています。

定点というほどでもないのでしょうけど、同じ場所を繰り返し歩けば自分の心の状況がスーッと解けるように、起点に戻る、そして同じ景色のはずが、全く違う景観として心に染み込んで、気持ちの整理になったりします。

時々、聴く音楽も同じような作用になることがあります。昨夜、ついに聴きたかった楽器の音、その奏者の生演奏に触れました。深草アキさんの秦琴。この音色に魅せられたのがNHKテレビ番組での音「蔵」1990年代のことだったと思います。そのときは いったい、何が起こっているのだろう、今まで聴いたことのない音、いや、音楽に触れ、まだ駆け出しの私にはショックなほどの新しい響きの世界でした。そして音楽創造のスタートでもありました。

昨夜、これまでCDでしか触れていなかった深草さんのナマの音に接しました。その感動を文章にするのはあまりにも言葉というものの力のなさを露呈するようなものなので、その術も得ていないので、今はうまく書けません。一つだけ確かなこと。それは音が鳴って数秒、私の頰に何か感じた、それが、あ、涙なのだな、と気づいたことです。同じように休憩時間に深草さんが客席の初顔、私に気づいて会話をしてくださったと、その途中でもまた似たように、、音楽は「人」だから、、です。少しの会話の中で音楽に真摯に向き合う姿、そして作り続けることの意味を知っている人の声の深さ、想い、、苦悩、、希望までもが伝わってくる時間。

好きな音、奏でられる調べ、そこにはなぜ?という理由、理屈はなく、ただ、心にゆっくり静かに染み入ります。ある種、その響きにだけ反応するかのような「音楽という定点」

やはり待ち焦がれた生演奏に触れることは幸せである、、特別である、、そんなひと時でした。

今日は昨夜の音を思い出しながらマリンバを奏でています。

 

 

2019年11月26日 (火)

LP復活

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LPをそのまま寝かせて置くのはもったいない。父が残したものも含めて貴重な音源探しをしたくなり蓄音機型の簡易なレコーダーを購入。プラグインなしで本体内臓スピーカーというのも、お気軽。とは言っても、青森の実家に配送してもらったので東京ではLP生活はできていない。

東京に置いた50枚ほどのLPを全て実家に送り、そちらで楽しもうと思う。青森にはそれ以上にLPがあり、先日はもう本当に懐かしくてずっと針を落として、裏返して、あ〜〜この音だ〜とノスタルジーに豊かな一人音楽鑑賞会でした。

あまりに好きなLPはCD盤も購入していたので聴き比べもできますが、やはりLPの針ノイズと一段階確実に柔らかに響くLPは耳に優しい。

ジャンルは様々なのですが、このブログでこれまで聴いてきた私のとっておきのLP1枚1枚の紹介もしたいと思います。かなり気ままペースですがお付き合いください。

写真のLPは留学していたミシガン大学の大学院時代に入手。大学生が古き良きアメリカのサウンドを再現する試み的な(ジャケットに騙されそうですけど、皆現役学生さんたちの装い)ですから実際にはかなり音源が精巧で、20年代風の仕上げではなく、こんな音楽が流行っていました、どいうダンスホールの想定盤。(楽器も現代のものを使っている)

それにしても紙ジャケットのこのサイズは、部屋にさりげなく置くだけでmoodもりもりになりました。これまではラックにザクっ。これからはジャケットも飾ってみようかな、、

2019年11月 6日 (水)

十和田市歩き

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新幹線でたまたま並びの席に座っていたおふたりのミュージシャン。

以前お世話になったライブプロモーターさんが駅でそのお二人を迎えにいらしてたようなので、なんだか未体験のサウンド聴きたくなって、初めて十和田市キューダスに出向きました。

まず、何より会場に着いたら自分がライブすることなんて何も決まっていないのに、あ、ここは搬入が理想的、となる。打楽器奏者は皆こんなふうに会場の裏から先に知りたがる。たぶん、まあ、私はもうそういう習性。

で、ピアノの羽仁さん、歌の井出さん、デュオでのライブを存分に楽しみました。羽仁さんと会話させていただきましたが、共演の八木ノブオさんとは時折チャボさんのカバーをされるという話し。これは絶対に行きたいなぁ。

ライブハウスはオーナーの歴史に包まれてアルバムジャケットが見飽きないのでありました。

2019年11月 2日 (土)

美しい毒も、、あり。

 

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昨夜、下書き保存したブログがなぜか途中のまま投稿されていました。なので、続きです。

会場の人たちみんなの孤独を吸い取るかのようなライブ。

浜田真理子さんの弾く、あるいは歌うテンポはずっと変わらない。一つの音楽会でテンポをこうも維持できるミュージシャンってあまりいないと思う。打楽器育ちの私は、同じテンポで紡ぐということ自体に、まず勇気がいる、忍耐がいる、変化を求めたいと思う、アップダウンの景観を作ろうとする、、のだが、、浜田さんはずっと同じテンポで聴かせる。会場の隅々までそれを浸透させている。

でも、会場には一見して孤独そうなお客様はいない。しかし、えぐりとる。こちらが忘れかけていたその感情を吸い取られてしまう。だから、哀しいはずの歌が、どこか別の世界でドラマ化されて「逸品」になるのだろう。

私はちょうど、自作について考えていたところ。自分の歌に自分を埋めてしまってはいないか、自分より他の次元に行けているのか、、その穴から這い出ているのか、と。でも、今日のライブで確信もしたことは事実。「新谷、それでいい。自分が思うなら、自分の方式がそれだと思うなら、新谷、行け!」これは自信とかではなく、迷ってはいられない、、のだという変な自覚と勇気。

文化会館の小ホールでは何度もマリンバを弾いている。ああ、でもここでこそ歌ってみたい、そんな気持ちは高まってしまった。クラシックホールではあるけれど、思いの他、ここは夜の静けさと異界が似合うホールであるような、、、

~~~そう感じさせてくれるコンサートに出会った2019年11月の始まり。いい予感を持ってしてあとは行動あるのみ。

美しい毒も含んでいる言葉と、そこに自然に寄り添って変化するコードの隙間からスーッと立ち現れる匂い、浜田さんの歌から感じることですが、品のいいホールにいよいよそんな匂いが立ち込めて来たのは後半のプログラム、、、大好きな♫静寂(しじま)という曲も聴けました。あと3曲くらい聴きたいな、この曲だけを3回でもいいな、なんて勝手な思いのまま、あっという間に終演。

会場でいつも応援くださるブルーさんとY子さん、そして音楽プロデューサーのMさんにも会えたという嬉しい日でした。私に浜田さんをオススメと言ってくださった方々です。

さ、いい秋巡れ〜〜。いい秋、作ろ〜〜。

 

 

2019年10月29日 (火)

化鳥

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雨が続きますね。晴れ間が貴重な時間に思えるほど、、そんな時は窓を開けて外気を取り込みます。大きな音では弾きませんが、窓を開けたときこそマリンバを奏でる気持ちが弾みます。ちょっとだけ、、ポロロンと打てば鳥が呼応する。昼間にピーロロ、ピーロロ、鳥の名前はわかりません。今日はまた雨、、締めきった部屋でシャッターも降ろし、弾いています。

先日亡くなった八千草薫さんの出演映画としては、あまりメディアには記載されていない「田園に死す」、岸辺のアルバムなどのテレビドラマなどが印象的ではありましたが、私はこの田園に死すを外せません。何しろ、私の故郷の田園や線路が撮影地として選ばれていることも含め、八千草薫さんの登場するシーンの儚さ、危うさ、翳り、色香にまず魅せられます。寺山修司ワールドには異色すぎる配役ではないでしょうか。いえ、この映画の格付けといったらなんですが、全ては八千草薫さんの存在感あってこそ、と勝手に私自身は感じています。

八千草薫さんも恐山ロケに関わっています。そのシーンはちょっと衝撃的ではありますが、観ていて時間を巻き戻したいと思わせる俳優の登場でした。寺山修司のこの作品での「時計」の意味は如何様にも解釈はできそうですが、現実にこの映画を観る側に求められているような衝動、時間は過ぎ去るものだけど、時間を止めることはできないけど、永久的とは言えないその儚い「間」において、時を戻せぬ人との交わりを命とする、そんな残酷さに似た恋慕、あなたは本気で誰かを愛したことがありますか?というようなテーゼを植えつけられるかのよう。

映画は自由な鑑賞法で良いのですが、このドロドロっとした万人受けはしない映画の中で、もっとも大切な「愛」の捨て身を演じているのが、、もしかしたら、、化鳥という役の八千草薫さん、、、なのかな、、観るたびに感受する側の柔軟性を求められる映画。

マリンバを弾いている時に、聞こえる鳥の鳴き声、、聞いたことのない鳴き方、、不思議な鳥。つかの間の響。

寺山修司の詩にも「ひとり」という鳥(とり)

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2019年10月16日 (水)

天の歌舞伎展と木琴のこと

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猛烈な台風が来る直前のこと、国立劇場、王子ホールと続けて、木琴weekでありました。

国立劇場 天竺徳兵衛の弾く木琴の調べ。これぞ日本の元祖弾き歌いでしょうか。通し狂言として魅せる大歌舞伎。20年ぶりの上演とのこと。見逃すわけにはいかない、そう意気込んで出かけました。父が大の歌舞伎ファンでもありましたから、父の命日10月10日には「天(10)の歌舞伎展(10)」と自分で決めて、その日は可能な限り歌舞伎鑑賞の日にしております。

江戸時代に西洋から伝わっていたという木琴、これについては大変興味があって、一体誰がどんな風に、どんな場で使ったのか、、、を調べているうちに、その古い貴重な木琴を実際に崇めるチャンスが、2015年にやってきました。細かいことについては、音響の専門家たちが集まるレクチャーで話をしました。

今回の歌舞伎演目では、ほんの一節だけ越後節と共に、ちょこっとその音が聴けるのですが、舞台で使ったものが江戸時代から残っている楽器であるかどうかは不明です。私が過去に実際に見たものより、かなり小型だったので演目のために復元したもの?かな、という感じもしました。

でも木琴が歌舞伎に登場するなんて、これは稀有なる現象とも言えますから、大いに楽しみました。その待ちに待った場面、中村芝翫がちょっとだけ音を外すんですが、それはもしかしたら、このストーリー的には演出の一つ?であろうとも思いました。完璧に演奏したら、この場面はちょっと薄味になってしまいます。おどけた節と盲人のふりして役どろこに奥行きづけの見せ場。歌声と木琴を弾く場面はとてもスリリング。ほんの一瞬ですが、そーれ見て見て、、原初的にも木を打って歌う、ってこと、自然です、人類はやってます、そういう瞬間に拍手を送りたい気分でした。

この演目は相当舞台が大掛かりなので(大きなガマガエルの登場)、照明や早変わりも楽しく、わかりやすい物語でもあるし、もう少しスタンダート化してもいいような、、っと思いますが、さて、演るのと見るのは違うのですから、なんとも言えません。

父の命日なので奮発してちょっといい席、ま、自分への褒美として満足満足。

そして、その翌日は1930年代の木琴(ディーガン)の音色を味わいました。王子ホール。昭和にアメリカと日本で活躍した木琴奏者平岡養一の楽器を譲り受けて演奏活動を行う通崎睦美さんの木琴リサイタル。まず、初めて聴くその音色、奥深さに驚きます。きらびやかに見える新しいフレームの化粧を施した木琴、しかし音はゴージャスということではなく、通崎さんの音楽作りがその木琴の存在を「こんな音もあるのです」と代弁するかのようにコロコロ、カランカラン、美しくクラシックホールに踊ります。弦楽をバックに演奏する内容、構成、トークの理知的な運び、そして布を合わせて独自の演奏衣装についてまでも説明してくださる。聴く楽しみ、見る楽しみ、ですね。  

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プログラムも素晴らしい資料となっています。

通崎さんの著書「木琴デイズ」は、専門性高い内容ですが、こんな重要なる日本の木琴の歴史はここでしか読めません。何度か読み返しておりますが、今では付箋だらけ。

さてさて、話は戻ってしまいますが、私が4年前に出会った江戸の木琴。

こちらの写真です。先日の歌舞伎では徳兵衛が背中に背負ってそろ〜りそろ〜りと登場します。演出上、それは背中に背負うために小さい形にしていますが、実際に舞台で演奏する木琴は黒子が慎重に運びます。こういうタイミングのセンス、采配もまた歌舞伎ならではですね。歌舞伎の「間」は一瞬一瞬が生き物。自分のマリンバを背負って登場できたらな〜〜

歌舞伎鑑賞はやめられません。お次は、はい、正月大歌舞伎!!!

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2019年9月29日 (日)

「あゝ荒野」鎮魂歌

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ひょんなことで、寺山修司ファンの関西の方と会話(取材受ける)ということになった。著作を相当読んだけど、前編しか観ていない映画「あゝ荒野」、これはあかん、、と配信で後編を追いかける。映画を見終えて、以前作曲と演奏で関わった朗読劇の台本を引っ張り出す。このとき、いきなり開幕前に新谷「あしたのジョー」を歌うという指示文字。想定外の曲、演出に戸惑ったことは確かだけど、これを聴くと歌うでは大違いだということをあの時知らされた。

映画は全編で5時間。

こんな映画を観てしまったら、他の映画が甘ったるくてしばらくは何も鑑賞する気分になれない。ただ、寺山修司の長編小説の方を読んでいないというのは悔しいので、それはやはり原作を読むに走る。

写真の台本は寺山偏陸氏によるもので、三沢市寺山修司記念館で三上博史(朗読、歌)、福士正一(ダンス)、新谷祥子(作曲、マリンバ、打楽器、歌)でたった一度っきりの上演で終わった。これは面白かったなぁと素直に振り返る。映画はこの後にできたから、このスポーツ版人生という抜き出しの台本に対し、このような映画等資料から受ける影響なしに関わったことはある意味幸いだったかもしれない。私なりに音と言葉の絡みに対し戦った時間があったことを思えばである。

そして、台本(原作でも)に登場する挿入歌とか、あしたのジョーなどは映画では一切登場せず、映画は都会での今と未来に焦点かかったサウンド作りのようにも聞こえる。

もし、「あしたのジョー」を歌うという指示が舞い込んだら、今だったらきっともう少し理解深められるだろうなと思って観終える。たぶん、歌うことはないだろうけど、、でも、覚えていますよ、、これ、来年もあなたに歌って欲しい、と言った方々。カッコだけつけた言葉なんかいらないのよ。

映画は本気でそう言っている。

 

 

 

 

 

2018年11月25日 (日)

寺山修司展

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寺山修司の孤独、そして人としての優しさを感じる展示

どんなアングルで寺山修司を伝えるのか、は寺山修司とどう向き合ったか、ということで大きな差が生まれるように思います。
長年沈黙にいたと言われる田中未知氏が自身で保管し、管理していたものが中心であるならば、やはり今回の展示を見逃すわけにはいきませんでした。
作詞家とばかり思っていたけど、随分前に読んだ田中未知書簡からは秘書であり、仕事のパートナーとして信頼関係の深さは誰よりも強かったのではないだろうかと察します。

今日の展示、
「田園に死す」の箱書きをみるなんて、想定外でしたし、また仕事のために幼い息子を親戚に預けて九州に働きに出た母親へ、寺山少年が綴った手紙、、それは胸を打ちます。
「母」を作品の愛憎眼点とする驚くような文筆にも、この少年の手紙を読めば、孤独の深淵が産んだものをまざまざと見せつけられる思いでもあります。

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2018年9月21日 (金)

五感緩めて、、

瓶入りのコーヒー豆をいただいておりました。

そして、せっかくなので新調したコーヒーミル。
仕事がはかどる、、、
香りのせい、、でしょうか。
飲み過ぎはいけませんが、こんなコーヒーの味は初!!!
柔らかい、、優しい、、穏やか、、そんなコーヒーと出逢っています。

そして、、ここのところ素晴らしいドキュメンタリー映画と出会っています。
スペインの映画、「工事中」
ピアニストの「フジコヘミング」ドキュメンタリー
そして、
アニエス ヴェルダの「顔たち、ところどころ」

勧められたものを観て、歩く。全部は無理だけど、、、
資料として観るも楽し、でも五感を緩めて、新しい世界を受け入れて、、
step step,
そんな秋もいいですね。
Img_6817_2Guatemala の豆が入った瓶。
そして、前から欲しかったcoffee mill! (左)
ちょっとカッコイイのだ!

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