カテゴリー「歩いたこと」の70件の投稿

2024年8月28日 (水)

遠野への旅

少し前の旅です。実家から車で東京へ戻る(今や、どっちへ戻る、と言い表すべきかが曖昧になっている昨今)旅路には、岩手県の遠野に立ち寄りたいと計画しておりました。東京での仕事ギリギリまで青森にいたので、今回の遠野は下見程度の短い時間でしかありませんが、それでも十分に私はこの地を楽しみ、驚き、そして再訪を決めました。

遠野が気になっていたのは、さまざまな理由からですが、その一つ、フェイスブックに投稿した文を以下に

遠野を訪れた理由の一つとなったきっかけは、普段大切に読んでいる2冊の本、阿部ヤヱ著「わらべうたで子育て」にあります。

この著者の生まれた地、風、水に触れたかったこと。授業や講座で使用するたびに湧き上がる何か、切り離せないエニシ(縁)、唄の本ですが、それ以上に伝わりくる切なさ、哀調、、あゝ、私はこれを知っているような気がする、そんなふうに思ってページをめくる、その時間がもう少し肌に浸透するような時間が欲しい、、

時代は違うけれど「家」とか「本家」の意味あい、歌のような方言の丁寧語、私の幼少期に感じていたものがチラホラ、共通したものが本の中に吹いてるようで…
昨日まで続いた打楽器講座の中では、もちろん打楽器やリズムの話しのために紹介した2冊(CD付き)です。
こんな素晴らしい記録の本が残されている、その風土とは、、人々の暮らしとは、、
子どものためのわらべうた、という解釈を超えている、人が人に関わる歌、そして育て上げるという言い方より、互いに生きやすく、楽しくなるような知恵、、そうした根本にどんな空気が流れているのかな、、遠野の神秘を知りたい、、
時代は違うけれど、きっと何か肌で感じたいものを求めて、、ただ風を求めて、、そんな時間でした。
遠野博物館のエントランス、、この写真が導く世界が素敵でした。
今回は街中をぶらり、、

南部神社付近


暑すぎて、お山の上までは行けず


柳田國男の「遠野物語」を辿る社の森、、
今回の旅はまずは導入編でした。
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建物も、景色も写真をあまり撮っていませんが、デザインの素敵なショットをいくつか、
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石畳、、このあたりで、イギリス人女性と会話、日本のことをよく調べての旅をされている。
一緒にコーヒーを飲んで、、川をじっと見つめて、、
こんなふれあいも旅の楽しさですね。
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2023年8月28日 (月)

そこに生まれなかったゆえの、、

青森ねぶたのことを少し書きたいと思います。

青森イコールねぶた、ではなし。私は県内でも南部地方に育ち、八甲田山の南西側に生まれた。青森ねぶた、弘前ねぷた、などは津軽地方に根付く古い歴史ある祭り。その言葉訛りも南部とは異なるし、チャンスがなければ「ねぶたを見て育つ」という環境にはない。なにしろ海沿いの浅虫海岸沿いに走るにしても、八甲田山を突っ切って青森市まで降りるにしても、90分、昔の道路だったら2時間以上はかかった。

親と一緒に見物に行くこともなかった。私は中学の時に初めて体験し、そして20代後半で「手振り鉦」を打つ老齢の男性の手捌きに惚れ込んだ。

今はみちのく有料道路があるので、自家用車なら60分で到着はできるけれど、もっと早い方法なら新幹線で楽チンに移動も可能。親が生きていたら自分が連れ出して一度は見せてあげたかった。。。

でも、、ねぶた祭りはやはりまだ遠い地の祭り、という感じが県内にいても感じることがある。それはねぶたの練習や、ねぶた本番を終えて長いドライブの後、実家にたどり着いた時、、、

そこは漆黒の空と無声の町、虫の声が時折聞こえて反響する町内の通りに、ふと自分の身を置いて、今この場所では、あの狂うばかりの祭りを誰とも共有していないなだと気づいたいとき、、空を見上げて思うこと。

そんな瞬間、皮膚に残る海風の感触を確かめながらも、ねぶたの波動がまた遠ざかっていく。それを追うかのように薄い声で「らっせら〜」と呟いてみる。声は私一人、、

遠い幻想の街にあの巨大な火祭りが舞い、踊り、囃子の音がうねり、そこに自分がいたという現実感が一瞬で消え去るくらいの暗闇が待っている。

それほどに強烈、

それほどに夢、

それほどに、私は焦がれている何かが、、そこにあって、、

そこに生まれなかった、ゆえの何かか、、

そこに生まれ聴き育っていないゆえの、別物の郷愁

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2時間3キロ近い道のりを打ち歩いた後、疲れ切っているはずなのに、すごく気持ちが明るい、表情も生きている、、

仲間ができて嬉しい

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竹浪比呂夫氏のねぶた、ねぶた大賞4連覇、総合1位、、

とんでもない団体に入ってしまったものだ、、誰かにも言われたけど、実感、すごく感激だけど。

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生きてる、、出陣前に光(火)が灯される瞬間は、天と地のハザマにねぶたが揺れ出す、

出陣の場面に立ち会うファンも大勢います

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2017年の私の初めての手振り鉦経験からずっと稽古、指導をしてくれる長谷川部会長、ショーケン似、イケメンですね〜〜

新谷さん、まだまだって、言われてます。。当然ですよ、まだまだ、、手振り鉦は深い!!

私よりずっと若い方々に囲まれて、指導を受けているのは新鮮です。

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蘇民将来、子孫家門

疫病が治まって、新しい息吹めぐり来ることへの祈祷、そんな意味合いも含めて、美しいねぶたを背に打ち歩くことができました。

初の4日間参加も、少し自信がつきました。暑い夏でした、、、

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2022年12月 3日 (土)

わだばわになれ、、

このたび青森県褒章というものを授かりました。アメリカより帰国し、数日してその授賞式へ向かいました。

5年前に青森県文化賞を授かり、その後の活動記録の提出を求められておりましたので、まさかこのような賞へ繋がるなどとは予想もせず、文化賞受賞者の受賞後の活動報告の義務づけだと思っての提出でした。

実際、その5年間に起こったことは自分でも想定外だった内容が多く、絵本翻訳、支援学校での音楽ワークショップ、ライブ盤アルバム、アンビエントアルバム制作、美術家とのコラボレーション、ホームライブの継続、国立劇場での公演参加、髙田(伯母)の画廊の紹介、故郷でのボランティア活動、小論文発表、そして先日のアメリカ公演、緩やかながら多くの方々のサポートに恵まれ、やれることを実践できた時間、感謝ばかりです。

私は文化、教育、学術部門での受賞、授賞式はホテル青森、ここでは演奏したことのある孔雀の間、、広い!

老舗ホテルに前泊しての驚きは、、部屋の快適さ、そして朝食。他の都市で味わったことのない快適さ。なんだろう、この落ち着くホテル泊。

緊張の授賞式の後、もう訪問は最後になるかもしれないと思い、3月に閉館が決まった棟方志功記念館へ。

「わだばゴッホになる」と語った棟方は、ゴッホではなく、世界の棟方になった、とどこかで読んだ。その通り、、この記念館で毎回静かに向き合う棟方志功の「釈迦像」は世界でここしかないだろうと思える静謐美に満ちている。ああ、、なんとも残念。ゴッホ美術館はアムステルダムにあるというのに、青森の地が生んだこの芸術家の名前を冠した美術館がなくなる。

美術館というのはそこに在るだけではいけないのだろうか、いろんなイベントを提供し人の交流の活発化がなくては存続できないということだろうか。確かにそうであろうと思う。一つの経営、事業であることに違いないのだから。でも、、そこに在るだけでいい、そこに棟方志功の作品の息たるものに触れるだけでいい、とは時代遅れの発想なのだろうか。

ここには両親とも出かけた思い出の場所。父のアメリカの友人を招いての小さな旅。入院中の父がこの時だけは外出を許された。医師が父の残りわずかであろう人生に対し、やりたいことをやってください、と残酷にも寛大に父へ告げた言葉。しかし、父は、たった一度のアメリカ出張で知り合った友人夫妻を笑顔でおもてなしできた貴重な時間にもなった。それは私自身のアメリカ留学直前の小さな、しかし忘れることのできないかけがえのない時間、家族旅行でもありました。

父が友人に見せたかった場所がこの棟方志功の生への欲望、生の葛藤、息絶えるまでの魂の在り処、、、、であったことは間違いなく。

一つのケジメのように、一つの報告のように、授賞式のドレスのまま走った。

父さん、母さん、おばさん、ありがとう。私はゆっくり歩いています。

伯母のコート、母の指輪

棟方志功の写真の前で

わだばまだ何者にもならず、、

わだばわになれ、、

突き放せ、

楽ちんになれ、

狂うくらいで、

奔放に。

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2022年12月 1日 (木)

街歩き、リフレッシュ

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国際コンベンションでの大きな本番を終えての街歩き、ホッとする時間でした。なんでもない舗道とか、歴史的建造物とか、古風なカフェやジョークTシャツを売る店とか、ごっちゃな街角など、旅などまだ先のことだろうと考えていた自分には、見るものが新しく反射され、心が軽くなる散歩。

ホテルの朝食は飽きたので、どこかで食べようと出かけたものの、あの角の先にあるよ、と言われてもそれは遠い遠い先。でっかいアメリカを再認識。

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アメリカの歴史と新しさをミックスしたような街、インディアナポリス。

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ドライな秋風、11月中旬の空。この街は初めてではないけれど、不思議なもので以前は気持ちの余裕などない旅をしていたのだなと、、

今なら、静かに歩き、人々を観察し、慌てて何処かへという時間にも追われていない、、以前より英語力はちょいアップ。旅はやはりいいものですね。

2022年11月27日 (日)

フライト変更にも平常心で。

フライト時間変更はこのコロナ禍では当然だと思った方が良いと言われたけど、こんなに何度も変更連絡が来るとは、、、

そのたびに手荷物検査、かなり厳しいチェックでした。

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国際線でシアトルから乗り継ぐ際、ゲートを間違えて走った、走った、、、。

移動手段のメインが飛行機のアメリカは、5時台から多くの人が行き交います。空港は好きな場所、ゆっくりコーヒーを飲むのも楽しい場所、のはずがミネアポリスへ向かう便に遅れないようにと、朝からダッシュ。電車じゃあるまいし、、笑

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息子の卒業した大学を一度も訪問できていなかった。コロナ禍であったし、家族が巡るキャンパスツアーというものに一度も参加はできていなかった。もともとそういう余裕もないだろうと(時間もお金も)思っていたけど、この演奏のチャンスがあったことで、思わぬギフト時間、ゆっくり歩きました。

建築に関心があるから、古きも新しきも、存分楽しみ、そして息子のガイドツアーはなかなかユニークで、ふむ、ふむ、苦労したんだなと思わせる詳しいガイド付き。笑

マンモス大学のほんの一部だけを見て回っただけですが、冬に向かうキャンパスの緊張感さえいいなと思える、見事な建造物にうっとり。

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やはり、アメリカの大学は諸設備、建築の歴史、システム構造、ここぞという場所は図書館に表れているように思います。

雰囲気に圧倒されます。螺旋階段が美術作品のよう。

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11月に一つ歳を重ねた私は、誕生日を息子の祖父母、叔父夫婦に祝ってもらいました。

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2022年11月26日 (土)

アメリカへ まずは楽器のことから

ようやく東京自宅へ戻ってきました。

11月3日から続いていた旅。何から書いていいものやら、、、

アメリカの旅は3年ぶりに会えた息子に同行してもらい、久々の海外もそれほど負担なく行動しました。

いい時間でした。

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ミネソタ州〜オハイオ州〜インディアナ州〜ミシガン州と巡った旅。

アメリカで初めて弾き歌いをした場所はボーリンググリーン州立大学。ポピュラー音楽の資料がアメリカではダントツに多いとされる図書館も巡り、そしてウッディで古いけど、クリアで温かなサウンドの大ホールで演奏。恩師の打楽器アンサンブル曲の難解さもあって緊張はマックスでしたが、自分の弾き歌いをさせてもらえたこと、そんなチャンスが巡ってくるなんて思っていなかった自分には大きなステージとなりました。

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幸い、この大学のマリンバワンも優れた音質で、弾きやすいのなんの、、

乾燥した空気の中に木の一つ一つが共鳴フルパワーの楽器。よく扱われている様子です。大学の楽器はこうしてケアされるべきが本来の姿。

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アンサンブルの仲間とのことはまた別ブログで。

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こちらのマリンバワンは新品のこれまた最高峰とも言えるレベルを用意していただきました。出番の大ホールに時間になると運ばれてくるのですが、なかなか到着しないためヤキモキしていたら、、きました。この楽器のローズウッドは独特な響きでした。まだ新しいから、という理由ではなしに、おそらく製法なのでしょう。バッソブラーヴォ式の共鳴パイプの音を拾う容量が今までのものより深いという印象です。柔らかいタッチでもすくっと拾ってくれるような感触。木が固くてもパイプがフォローするというか

最初はやはり楽器の話になりますが、、この旅の充実を少しずつ忘備録として残していきたいと思います。

 

2022年10月13日 (木)

空よ、、

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故郷の最寄駅でレンタカー、息子の運転で山へ山へと走る。

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小学生の頃の林間学校といえばここ、田代平。八甲田山の麓、空気が澄んでリフレッシュ。

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近頃、一人でも行くようになった谷地温泉。400年の歴史、これこそが秘湯。

しばらく体から硫黄の匂いが消えないけど、心身休まる場所です。

八甲田連峰の中にひっそりと、、緑の車道、隠された小径、、少し異界へ彷徨う気分になります。

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弾丸旅はスリリング。この日の車窓は特別でした。最高の瞬間は写真など撮れないほど見惚れています。

これは、その赤い帯のような雲が静まったあたり。

ちなみに、この日の朝は虹を見ながらのドライブ。

空の下に、小さなこの身を埋めては、小さな呼吸ひとつさえも愛おしい。

今を生きる悦び。

 

 

 

2022年9月20日 (火)

ゆらぎ

全国、台風の被害が少ないことを祈ります。

今日は雨が続いている東京、昨日は晴れ間に外出。

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この川沿いを歩く理由は、水の音、山の稜線、夕暮れの光を味わいたいため。

つまりは、、ゆらぎ、、でしょうか。きっちりしたもの、ではない解放感に浸るため。

右でもない、左でもない、ランダムに風の吹くまま、、

樹木のそばに身を潜める、土に近い場所まで顔を近づけて、息を吸い込む。

枯れた草の上に自分の足音だけ、、

時々、ノート持参で言葉を書き綴ったりしますが、本当に憩いたいときは、ペンも本も登場しませんね。

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そう、時々「逃げて」ますか?

私は、ええ、しょっちゅう。ごめんなさい。逃げるって快感ですから。笑

逃げられない時間を知っているから、知ったから、、だからこそ「逃げる」のですよ。ぜひ、、ね。

しばらく散策した後、近所にできた農場カフェへ。ミルクファームのメニュー「ミルク」はなんと美味しいこと。

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牧場の散策道と、無人販売をのぞいて、ぶらぶらっとまた揺らぐ。

雨が降ってきたので、途中で引き返しましたが、このまま雨に濡れながら歩いてもいい、そんな気分で過ごした休日。

昨日のこと、、

 

 

 

 

2022年7月10日 (日)

東京の灯

美しい日本、という時代は幻だろうか。

これから希望を抱いて、そういう時代を創っていくのだろうか。

この国の一員として、決して枠の外からの意見ではなく。

銃による悲痛な、そして衝撃的な事件が日本に起こる2日前、こんな展覧会にいた。

歌枕「あなたの知らない心の風景」

歌詞を作り、言葉の前で立ち止まっているとき、自分の知らない世界を創る。

でも、この展覧会はそういう手法というより、現実にこういう世界の美(日本の美)を求めた日本人の切実さがあったように感じる。

戦いが終わらぬ世界に、美を求めて彷徨う生命体としての、一縷の望みをかけて。

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青い光、反射された地上の別世界にハッとする。

青は精神安定の色でもあるようだから。

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あちらこちらにミラー。

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夜、お茶をした店から見えた東京タワー。写真では伝わらないけど、迫力直下。

光の矢が飛んできた。

人工的な光にも、人を動かす力があることを感じながら。

でもそれは、優しい光であり続けてほしい。

 

2022年6月 6日 (月)

青森ショートショート

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3年ぶりに青森ねぶた囃子稽古に参加しました。音聴けば血騒ぐや、岸壁練習の気持ちよさよ。久々でしたが、なんとか皆さんについて手振り鉦打ち込む。3年の月日、、稽古一つも参加できない日々。

コロナ禍とは実に多感性も養ってはくれたけど今を生きる瞬間瞬間についても深く考える時間だったように思います。

家に戻って鉦を磨く。気持ちが落ち着く時。

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昨日は青森に行けば必ずの場所、棟方志功記念館へ。送迎の友と一緒にゆっくり美味しい鰻も味わいました。

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この日は祝祭/祈り がテーマの棟方の息遣い。迫力とどこかに漂う寂寥。だから何度通っても慰みを受け、明日に向かえる。

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昨日の青森市から一転、故郷の天気は毎日大きく変化します。今朝からストーブとセーターで新曲練習。音に混じり気がなく澄んで聞こえる、自宅は静かな時間だけが流れる。

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