カテゴリー「学びのこと」の66件の投稿

2021年7月26日 (月)

体で指で聴く作業

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予定が大きく変わり、普段なかなかできなかったことを、、

個人的すぎる内容ですので、このブログで書いてもどうしようもないことではありますが、

体の使い方の指導を受けてからマレットの握り方も変化してきました。

体幹、マレットの運指法、演奏するときの耳の位置、当たり前のことだけど、今だからこそ「わかる」ゆえに、変えるこが「できる」

自然な取り組み、そして自分の心に柔軟性を「満たす」、、今ゆえのことかもしれません。

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そして、音色の変化がよく「聞こえる」体になれるかどうかが一番重要なこと。

左の耳が不自由になってから、特にこの音色の変化を察知する能力においては、注意深さが増したことは確かです。

マレットに毛糸を巻きながら、音を試さなくてもどんな音になるかが、ちょっとわかるようになっています。

真夏にウールやモヘア、カシミア、アルパカの触り心地は冷房の効いた部屋においては、かなり快適な時間です。笑

私は細い糸で巻くので、時間は相当かかりますが、指の加減(巻き加減)は慣れてきたので解くことはなく、くるくる、くるくる、、

リペアも体で聞きながら、感じながら巻きます。

 

 

2021年7月21日 (水)

夏の打楽器見聞録

先日ちょっと浮気して、他大学での打楽器コンクールの審査の依頼を受け、出かけてきました。

こちらからの依頼が早かったので、自分の通う大学の試験日と重なるなど予想できず、まあ、そこは許されて、他の風を浴びに、そしてこの先の還元の為にも、、と。

やはり依頼を受けて出かけた価値がありました。まず、キャンパスに色が溢れているのですね、、、これはちょっと羨望の眼差しでありました。

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昼休憩のスペースから見えるこの空間。コンクリートに囲まれたキャンパスではあっても、配色とフォルムのバランスに唸ります。

建物好きな私は、他の校舎に忍び込み、ちょっとした階段の工夫や、スクリーンの位置や、花壇と花壇のスペース、煉瓦の模様、グリーン、写真はないけどシルバーや、赤や、真っ黒などの建物を見て、音を作る環境のコンセプトとして、これはモチベーションが上がるに違いないと感じました。

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肝心のコンクールですが、エントリーの18人、こちらには学年などは知らされず、とにかく審査員がシビアに順位をつけていくという方式。

楽譜の読解力が反映される演奏内容、レベルはすこぶる高い。打楽器演奏、マリンバ演奏ともに、、

自分がアメリカのリサイタルで初演した13ドラムス(石井真木作曲)などは、これこれ、、こういう演奏を求めたし!というくらい、抜群のセンスを生かした演奏パフォーマンス。

マリンバ演奏においては、もうこの世の中、情報過多というくらい映像やらがあちこちに満載されているから、高レベル奏法は当然であろうけど、表現力という意味でも、若者にして熟練的な舞台アプローチを持った学生の登場には驚いた。

大学内でコンクールを企画するだけの裏付け、才能ある学生たち、ご立派、、である。

自分の関わる大学の空気に中だけにいては、やはり現代の打楽器作品への取り組みの意味についてなかなか客観視は難しい。

こうして他の空気に触れてこそ、一つのヴィジョンとして打楽器作品の今を知ることにもなる。

コロナでますます外部との交流が閉ざされている今、こうした取り組みを社会に示す画期的な学内コンクール(審査員は全員大学関係者以外で、外部から)の発案は、打楽器作品への敬意も感じられて、なんとも爽快な時間でした。

 

 

2021年6月22日 (火)

ローズウッドへの視点もまた、、

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先日の月舞台の主宰者である、落合氏の上梓された本、毎日魅入っています。

美しいページ、文章が、心をその地に運ばせ、新しい文化に目覚めさせてくれます。

リサーチされた落合氏の森への想い、建築美学、そうした思想が生んだ一つの場所で、演奏できたことが何より幸せです。

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この日からまだ1週間、身体は解かれ、快適な日々を送れています。本来、あまりコンクリートの中にいる生活はしていない自分ではありますが、それでも改めて意識する音と体、歩きながら見つめる空の角度、木々の色の変化、サウンドスケープを身体に取り入れることはある種の訓練も必要あると知りつつも、体がそこに向かっていかなくては何も得られない。

 

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マリンバもローズウッドの生命を現代に生かした音の道具であります。

一音を愛おしく奏でる意義を、また新しき視点で知らされた日。

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落合氏もマリンバを弾いてくれました。低音をゆっくり、、

この日のマリンバはブルーマレット社からの品質の高いマリンバを運んでいただき、二日目にはこの場に落ち着いてか、深い響きとなりました。

皆様に感謝を込めて、、

 

 

 

2021年2月19日 (金)

リズム文化

コロナの時期に読んでいる新聞記事には、保存したくなる寄稿文、コラム、エッセイが多いです。いつもより自宅時間が増えて、新聞を熟読しているというだけのことかな、、とにかくいい記事が見つかるとハサミでチョキチョキです。海外と日本の比較論などについての面白い記事もチョキチョキ、こちらは海外で学生をやっている新聞好きの息子へ送る用。

このブログでは人様の文章は引用はしませんが、ざっくりと書かせていただくと、リズム文化について、人間の生活に必要な同調のリズム、拍動について、音楽とは限らずのリズム、スポーツの文化も含めて、私たちが体内生理に求めるもの、欲するものが産み育てる文化。

コロナでの自粛、人に会わないことの危惧から考慮される「文化を無くしてはならない」論は読んでいて納得するものが多いです。

そんな中、この2月はようやく対面で小学生と出会っています。昨年からの延期がこの年度末に集中しています。

人が音楽を楽しむ、湧き上がる、、ただそれだけのことがどれほど貴重な体験であろうか、と痛感します。

現場で音楽を奏でることが普通であったこと、、コロナ以前には考えも及ばなかった新しい事項が今、明確に緊迫するくらいの勢いでその重要度を示している。

生演奏を届ける。

一般的にいう「音楽」ではなく、より重大かもしれない「人と人の律動を導く」その「リズム文化の端くれで担っている役割」がある。

視点が変化する。

夢が広がる。

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2021年2月12日 (金)

セニョール

ここのところ、ずっとマリンバでチックコリアの曲を弾いていました。

最初のアルバムにも録音し、次作にも録音し、、昨年の自粛中にもチックコリアが自室から配信する「練習」をずっと視聴していました。

練習というタイトルではあっても、それはもう至芸。

今朝のニュース、チックコリアの訃報、、合掌、、

 

20年活動した私のデュオアルバムは、活動年数が長くてもアルバムは寡作。レパートリーは相当数になっていたけど、アレンジや、自作は録音として多くは残せなかった。この最初のアルバムにチックコリアの曲を入れる時は迷いがあった。さて、取り組んでいいのだろうか、垣根が高すぎて、そういうものを録音していいだろうという迷い。あの時の葛藤を思い出す。

しかし、今ならもっと迷うであろう。あの時だから決行(録音)できたんじゃないか、そんなことを、つい数日前に思っていたばかり。

超絶な技巧であっても、どこかに優しさをこぼして耳に柔らかい。いや、ジャンルなどに括られない音楽。初めて聴いたのは高校生時代。「あれ?なんだこれは?なんてことだ」であった。その「なんてことだ」を今もずっと。。

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2021年1月19日 (火)

水と土

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緊急事態宣言がはたして、完全解除される日はいつになるのか、、、遠いような予感もしますね。

お寺さんにご挨拶、そして、春のコンサートが叶うかどうか、椅子の配置などを工夫し、ミーティングにも気をつかいながら、少しの歩みが叶うのか、、否か。

生の振動ってなんだろう。当たり前に考えてきたことに今一度スポットをあてて考えてみる。

かしこまらずに、気軽に音楽と触れていただく場所ってなんだろう。

空間に生きる生物体、音楽を欲するのはなぜだろう。

私は、欲している。

私は「私」を毎日実験体にして、

考えている。弾いてみる。歌ってみる。

生命体、生物、植物、皮膚、脳の仕組み、欲、、、

「生きている」だけで充分、という言葉の年賀状もいただいた。

で、

やはり

その、生きる植物は水と土を欲する。

幽かな息を吐く、部屋で呟くように歌っていると、

より、感覚が研ぎ澄まされる。

何かに繋がることへの欲求も

より、高まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年12月 2日 (水)

原稿あれこれ、、

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12月なのに、昨日は一日中、窓という窓を開けて過ごす。

何事もなく時間が過ぎていく、自宅をオフィスとし、創作場所とし、稽古場とし、ミーティング場所にもしている。

昨今はオンラインで繋がる場所にもなった。

そんなおり、ある組織より原稿を依頼されて書くも、校正願いをしたにも関わらず(原稿確認って当然のことなのになあ〜)確認もないまま冊子が刷り上がっている。

そして、送ってもいない写真を勝手に使用されている。なんで〜〜?

原稿も写真も差し替えは必要はないと判断できる内容だったけど、文章の扱いなのであるから、、と、つぶやくしかない。笑

何度もお断りした原稿だったけど、提案通りコロナでの現状をそのまま書くことにつとめ、等身大のことを書いてみた。

みんな手弁当、文句をいうより言葉を掲載するページをいただいたことは感謝すべきかもしれない。

 

で、ここではその不平をいうブログではなく、嬉しい出来事の方を。原稿の内容ですぐ反応をくれた人がいらっしゃったこと。

ちょっと救われた。。

自分が部屋から発信している30分講座(自分の担当学生限定)について触れた文章もあったので、これをやってみない?という提案をいただいた。関東近郊なら対面でとしたいところ、でも集まるにはちょっと遠い場所に住む先生。お弟子さん数人に向けたマリンバ講座。

遠隔お稽古ではなく、こちらから一方的に講座をさせていただく。30分できっちり終了。話す要点、見せる内容、しっかり組んでやってみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年6月20日 (土)

美しい楽器たち

楽器の本の数が増えた。いや、自分レベルでのことだから驚くほどの冊数でもなし。

楽器の紹介はどの国で出版されるかによっても面白い現象がある。日本の打楽器の紹介と中国の打楽器の混同は、交差された歴史も考えると正しいことがどうであるかは難しい判断だとは思う。でも明らかにちょっと笑ってしまう記述方法もあることは、ある。

自分には未知の打楽器も、親しんだ打楽器も、私自身まだその奥深いところまでたどり着く研究ができていないから、どの楽器紹介本を読んでも、頭の整理がつかず、惑い、え〜?そうだったの?じゃあ、あの話しはどうなるの?となる場合もある。つまり、、楽器は謎が多い。特に打楽器は、、、

が、それで終わってしまったら謎の楽器で終わる。そうではない。きちんと人類史や歴史の悲しみ、生活様式からの発展、音楽としての耳を育て、発明されてきた逸品、など、、楽器を誕生させたものは何か、という魅惑にうなずきたいのだ。人と人を繋いでいることにうなづきたいのだ。

オンライン授業で4コマ分の講義作成なんて、全くの想定外だったけど、楽器の紹介を取り入れる部分もあるため、これに関しては紐解きが楽しい。いや、ちょっと苦しくもある。情報が多いということと情報が少なすぎること、のハザマに悩んでしまうから。自分が演奏で体験したことからの感覚も必ず伝えていきたい。触った、聴いた、それが自分をどう動かしたか、、

楽器学、もちろん私はその専門ではない。でも楽器学は音の響き、ふるえ、を知らずしてデスクトップでは成り立たない。

神秘と向き合うこと、、

楽器が「謎」であり続けて欲しい、とも言える。

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2020年5月24日 (日)

朝陽と新茶と日本酒と。

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窓いっぱいに広がる緑、に、ちょっと色を挿したくなりました。如雨露で水やりのひととき、朝陽という贈り物。

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 郷里のMちゃんより、アマビエ?日本酒を🍶贈っていただきました。イラスト、惹かれるなぁ、呑みたいけど御守護の文字にもう少し飾りたくなりました。

町に誇る盛田庄兵衛酒店特別純米酒。

遠くの友から届く手紙やエールに、心温まる日々。

静岡の友は新茶の香りを欠かさず贈ってくれるのですが、五月の朝に上質なお茶🍵を一杯、自分のために丁寧に。

こんな時間は、さて、コロナ以前に自分が設えたことはあったかな。お茶をゆっくり、気分だけはあったような気はします。でも味わい、という一つの大切な生活の味覚文化に自分のセンサーをゆっくり合わせるゆとりは、これほどになかったのかもしれない。

学生とオンラインにしても、文書の交換が増えた利点に驚いてもいる。複数の学生の前で講義する時間が、いきなり動画、文書、音声にシフト。

自分の発する言葉や、書き文字が空気中に消えることなく記される。話し言葉の曖昧さを、文字起こしで補正するうちに、新たな打楽器の魅力を掘り出したいと欲望も増す。

オンラインのツール理解も苦戦するが、操作は繰り返しでやがて身につける。それより自分の発信は繰り返しのマンネリ慣れはやめたい。今が一番新しい、そんなライブ感ある内容にしてみたい。

やっぱり、今夜はアマビエ日本酒、丁寧にいただこう!

ひとり酒、遥かな時間も祈り酒。



2020年4月17日 (金)

家にいる

家にいても毎日が同じではない。こんなに狭い場所でよくもやることがあるものだ、というほど毎日のメニューが多様。

部屋から部屋への移動だけで何回繰り返しているのだろう。

例えば、CDが聴ける部屋が2箇所、あのタイトルはどっちの部屋で聴いたか忘れて何度も往復する始末。

掃除もかなり徹底してきて、モノの整理に目覚める。(遅いっ)

非常勤で通う一つの大学からはオンライン授業の詳細が送られてきて、かなり心強い。これなら自分も負担なくできそう、、と、資料などをまとめる時間もかなり有意義。でももう一つの大学は、なかなかオンラインという方式が困難極めることが予想されていて、こんな非常事態になると大学のシステムって良し悪しもあらわになるのだな、と。

音楽は練習時間の確保はたくさん、でも音を出しているだけが音楽でもなし。こんな余裕時間(老後の暮らしはさておき)だからこその思考、自省なのだろう。。って

昨夜、ゴダールの映画を観る。ヌーヴェルヴァーグの旗手、、ゴダールの映画が好きなわけではない。でもフランスの音楽にちょっとタイムトリップ中で、他国の芸術、文化運動の歴史に一層興味が湧いてきたこともある。こんな今だからこそなのか、世界の動きを見ているうちに、文化背景にあるものが人間の思想に根っこを張らすことはやはりあるだろう、と感じている。当然のことだけど、、

他国の文化支援を嘆く投稿やニュース関連も多くなった。日本はどうなっているのか、と嘆く気持ちはノンポリの自分にも深刻だけれど、芸術、芸能の誕生なんてものはやはり1度飢えてみないと本当の創造世界に到達しないのではないか、、、そんな気持ちにもなる。

飢え、とは何も物質的なものからの距離ではなくて、心底、創造を掻き立てるような状況に落ちてしまう、、そんな状況や解決策の見つからない悲痛さ、心に発芽する飢餓感。

やるせなき理由によって移動を余儀なくされる民族、しかし貧窮の中で一輪の花に出会うことがあれば、そこからまた異種との繋がりも生まれて、、、。今、移動もできない人類の嘆きのとき、「家にいる」が意味するものはなんだろう。

自分、他者、深く見つめたい今。

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