こんな日もある
八王子の鎌田鳥山カフェでの打ち合わせ中、、散歩でトコトコ歩いてきた子どもたちと丸太太鼓でつながるひととき、、
子どもってみんなバラバラだ、、どの子も同じことをしないし、同じことを言わない、
しかし、誰かの真似はする、いいことの真似、あんまり良くないなという真似もする
誰かの言うことを聞く、誰の言うことも聞かない、
何かをしようと誘う大人もいるが、見守る大人もいる
お弁当の時間になれば、そっちがいい、、食べなくちゃ、、その時間をしっかりカラダが覚えていく
自然体という言葉があるけど、私は自然というところまでが好きだ、そこに自然体、という体という字をくっつけると、全てオーライ的な匂いがあまり好きではない。だって、自然と体、はもう宇宙以上に壮大な文字がくっついていて、自然体って何?と問われたら、実際には、自分では答えられないだろう。
丸太太鼓に吸い付くようにやってきた子どもたちの小さな姿を見ながら、この柔らかな動き、反応する目、触覚を確かめようとする手、考えはじめるかのようなわずかに動いている口元、唇、、
生き物、楽器、カラダ、
気づけは「自然」という言葉は、ずっと後からついてくる
カラダが何かに反応する、つまり体験、何かを一つ一つ解いていくようなこと、時間を豊かに過ごすこと、それは物質的なことではもちろんなく、
今できること、今感じること、結局はここに行き着くんだな、、