カテゴリー「学びのこと」の56件の投稿

2020年3月10日 (火)

陽気さと忍耐は隣り合わせ。

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今月学生たちと一緒に演奏する会も延期になりましたが、予定していた曲はラグタイム。
やはりラグタイムには木琴道に欠かせない宝が満載。弾いても弾いても、どこかに引っ掛かりが次々生まれて、そして転びそうになる。
基本をおろそかにすると、正直なリアクションが出るのが2本マレットで、基本に戻っても、進んでも進んでも手強いパターンがドンと待ち構えているかのようです。無限大に面白いマレットワークです。
よく4本も持って演奏できるなんてすごいですね、って言われるマリンバ奏者は多いと思うけど、それは当事者からするとちょっと違うことだなって感じるのです。弾き込めばわかってくることだけど、4本より2本の技を仕上げることの方が実はとても繊細であり、時間を要することであり、忍耐要るものなのだということ。
かの矢野顕子さんが以前インタビューで、やっぱりピアノが上手くなりたい!とおっしゃっていたのは意外だったけど、私め生意気ながら、それはよーくわかるような気がいたします。あんなに凄腕のピアニストでもそう思っていらっしゃる。
私の場合はレベルも楽器も違うけど、4本より2本でちゃんと上手くなりたい。歌を書いているけど、やはりマリンバの単音でもっといい音に、、伴奏が輝きたい、、などなど欲は尽きません。
ラグタイムに話を戻します。
最近、オダギリジョー扮する藤田嗣治の映画を観ていたらパリの酒場でチャールストンを踊っています。1920年代の酒場。アメリカから伝わってフランスの地にこのリズム。フォックストロットも大正期から日本でも流行ったということだから、人々が現世を忘れて飲んで交わり踊る、やはり音楽、リズムに興じるは私たちの生理本能ですね。
ラグタイムは気楽に聴けても弾くとなったら至難の技です。ステップ知らずにはリズムの弾みは生きてこないのではないかとさえ思います。
10年以上も前にネクサスのボブ ベッカー氏のラグタイム学校1週間朝から晩まで木琴漬け、というのに参加しました。当時の資料を紐解いています。面白い。ステップこそは習わなかったけれど、シロフォンの打法は無駄のない腕運び、手首運動。Rollにおける倍音を知ると右手、左手の役割がわかってきます。

2019年12月25日 (水)

巡りくる、ただそれだけ。

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毎日の空を眺める。

毎日のありがたみを知る。

毎日の心の浮き沈みに自分で寄り添う。

そして、一つの活力もあれば、一つの諦めもある。

そう思える今は、自由だ。

季節の巡りに寄り添う、それくらいのものでしかないような気がする。

「時」とは、、

2019年10月24日 (木)

アートシーンを古に学ぶ

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ご縁いただいて素晴らしい講義を聴講しています。東京郊外、近所にはたくさんの大学があるのですが、見事な環境をもつ美大で、芸術学の授業。人類史と芸術の関わり、そこから見える現代の科学や芸術と人間の関係。毎回、大学ノートびっしりにメモをとっています。追いつかないほど。

授業が終わると夜のキャンパスは光のアート。オブジェのような建築。あちこち。ちょっとぐるぐるっと回り道で帰りたくなります。Img_9440

自分もこの11月でまた一つ年齢を重ねる。音楽とどう関わって、何を思い、何を渇望し、何に疑問を抱き、何をこれから探そうとしているのか、この循環を鬱する中で、それでも表現者という形の仕事のほんの触りに立っているのか、、そんな自覚だけは芽生えてきた齢。

今だからこそ、優れた講義が身体に染み入る。アイリッシュ音楽のシーンを様々知る。音楽として感受する以前に自然崇拝やら楽器という造形が生まれて来た意味などにも及び、その教授の心地よい声のトーンと重厚な内容に触れれば、大学の教室内にいる間は異国情緒と、知る愉しみに溢れて深い、、

音楽の奥の壮大なる扉は、またしても小さな体に問いかけてくる。

2019年10月 8日 (火)

まだまだ面白いワークショップ探訪。

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週末の体調不良から快復しましたが、聴く予定だったコンサートとライブを3つもキャンセルということになりました。

チャボさんのライブを聴けない10月は悔しすぎました。大好きなフィリップ グラスの曲を演奏するN響の公演も、、、日曜夜は相模原の友人宅で聴く予定だった歌会も、、、残念ですが、体の声を優先して休暇に充てました。昨年も同じ時期に同じように体調不良であったことを思い出すと、やはり夏の疲れがここにボトント落とされているのかな、、、自己コントロール、反省反省。

昨日から元気に、子どもたちとセッション。

ワークショップは毎回、出会う子どもたちは異なる地域、環境、年齢、体験方法の異種、、こちらが内容をアップデートや適宜変化させないことには、自分にもバネが効かなくなります。昨日は新しい試み、、割れたマリンバの音板をくださる方がおりまして再利用の試み。森の音楽会など、、、これは面白い内容になりそう。これから発展させてみたい!

そう、まだまだ知られざる音の不思議に出会うこと、それが自分自身のワークショップにも繋がっている今です。

 

2019年10月 2日 (水)

例えば今日の音楽

日によっては扱うテーマが相当飛躍する一日になることもありますが、講義やレッスンを終えてノートに順をおってテーマを記入してみると、音楽の無限と果てなき旅を感じさせます。。

朝〜クラヴェスアンサンブル (マイケル ユドー作品)

午前〜サンバ基本楽器と扱いについて

午後〜合奏基礎打楽器のバスドラム、シンバル、スネアドラム、基礎

午後〜フレームドラム成り立ち〜基本ストローク

午後〜梁塵秘抄の話

夕方〜音大図書館でケルト文化に関する資料リサーチ(これは自分の予習時間)

このブログをアップしている時間はちょっと休憩。

これから

夜〜マリンバ(数日後に弾く一人マンボのアレンジもの)

深夜〜リスニングタイム〜今日の予定は「ジョニ ミチェル」

眠りへ〜〜〜〜💤💤💤💤💤💤

書き出してみることもちょっと楽しいですし、自分の不足分も反省するし、整理にもなりますね。

 

2019年4月11日 (木)

企画展へ

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日本未来科学館。工事中という企画展へ。音は聞けないけど、見たことのない重機を知るは幸せ。ご褒美時間をいただき、翻訳でお世話になった編集者と出かけました。
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2019年3月22日 (金)

明照保育園さん、ありがとう。

同じ保育園さんが、何度も呼んでくださる。これはとても素敵なこと。
継続を重要なこととして、子どもたちとの触れ合いの中から探り、作り、感動し合う。
これはやはり小学校の講座でも同じように呼んでいただく場があり、とても貴重なことと捉えています。
上記のリンクから、一コマがブログに紹介されております。
子どもは敏感。
音の動きを目と体で追っています。
私の場合、フリースタイルで、あまり形式張ったことをせず、おおらかな流れを作っての進行ですが、自由で幅をもつ、教えない、感じ合う、伝えることって難しいとか思わない、一緒に笑ってみる、一緒に聞いてみる、、仕上げを急がない、、とことん楽しむ。 次なる課題を自分に向ける。

2018年9月 7日 (金)

その椅子を欲すべからず

夏の始まりの出来事。

マリンバを弾く大御所の先生から人を介して私へ、海外のマリンバコンクール審査員の打診をいただいた。
クラシックなマリンバのコンクール、私の今の活動からは少し縁遠くなっている現場だ。

あいにく、私は日程が重なり、お断りすることになったけれど、
さて、はて??
その日程がもし重なっていなかったとして、それでも私はその役割を受けただろうか、と、もう過ぎたことを今夜突然自問している。
この業界には審査員を受けることをある種生命線にしている方々もいらっしゃる。
私はここ最近、とてもこういうことに慎重になってしまっている。審査をするその対象の主旨に賛同できるならばおそらく積極的な返事をするのかもしれない。
主旨、コンクールの主旨って何だ、ということになるのだけれど。
やはり競争ということは点数支配である。音楽も同じ。

恩田陸の著書「蜜蜂と遠雷」に描かれた世界は、ピアノコンクールの厳しい現実寄りな人間関係描写と文学ゆえの夢ならばの幻の世界を行き来するかのようだ。
実際は人が人を数字で判定する基準ほどあやふやで不確実なものはない。
私はコンクールの審査に不適合人間に違いない。

それにしても、私を推薦してくださった大御所の先生には、優秀なお弟子さんがゾロゾロ、、、なのに私を指名くださった理由が未だ不明だけれど、光栄なことと思うべきかと悩みながら、以前私のマリンバ演奏に対し発してくださった言葉を思い出す
「あなたは全く違う、他の誰とも」

おっと、これは自慢になるか、、、いや、そうじゃない。
こんな言葉が渡されたのは、他の誰と違ったとしても、それは決してコンクールで1位、ということと同義ではない、これがコンクールって何だ、、という問いかけの発端でもあろうから。

私も齢、50代半ばをとっくに過ぎている。
だけど、全くもって心は18歳。そう、初めてマリンバを触った年齢のまま、、、、
それでいい、、

2018年8月 9日 (木)

カラダの声!夏は聴きまくる季節

今日は煉瓦のチャペルがある大学へ。

台風去っての空はどこかしら清らかな高さを誇っているようにも、、、

体験するカラダ、、
今日は前から楽しみにしていた講座を受講しました。カール  オルフの音楽教育セミナー!
以前はこのセミナーでワークショップを担当させていただきましたが、その時以来のご縁もあり、そして、何より、知りたいことだらけ。
今年はさまざな受講、実践、体験が多いことが自分でも喜ばしく、こういうチャンスは意思を持って積み上げないと、、、ということまで、本日は深ーく深ーく感じて帰りました。
いつか、いつか、はいつでもなくなっちゃいますからね。(自分への言葉)

様々なアーティストから、または研究者から未知なる世界を知らされることの多さ、深さ。
音楽するカラダに、これまでは習慣にはなかったことを与えて育てる。
どんなことが変化するのかなと楽しむくらいじゃないと、、(自分へハッパかける)


だって体験は決して楽チンでもない。やっていないことをやるのは新鮮だけど。。。
この夏は相当カラダの声が聞こえてくる。集中の連続。
それはここのところ投稿続いていたねぶたの手振り鉦の技法も同じ。
さ、この夏は盛りだくさん。
でも、こなせる。
カラダ大丈夫ですか?という声もいただく。
嬉しいこと、欲求に対してカラダはうまく反応するらしい。
カラダの部位がそれを受け止めているらしい。カラダは常に正直。
休めることを知らなくては、継続は無理だから、、、

体験することは、普段酷使しているカラダの声をきくための大事な休息でもあるようで。
はい、いい一日。
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2018年7月25日 (水)

童心

昨日、北国の実家で目覚めた時には18度、東京へ戻ると八王子38度の表示。20度差越え。 日本列島、、どうなるの?

いつでしたかスペイン、トレドを息子を連れての家族旅行、それは早朝から43度の酷暑でしたが当時は日に何度もアイスクリーム、と平気な若さもあったけど、今はそういうわけにもいかず。岩塩持ち歩く友人を見習おうか、くらいの夏到来。

でも災害のあった西日本の方々の今を思えば、断水がようやく終わったというニュースに、未だ自分が経験していない苦難を、いつこのような事態がまた起こるのかと、他人事ではなき昨今の空模様です。

思えば、幼少期。町内の家が何軒か浸水しました。その洪水の翌日、母親と無残に壊れ落ちた木造の橋を遠くから眺め、濁流の恐怖に足がすくんだのは昨日のことのよう、、
幼い心に、母の隣で感じた「物言わぬ自然」の驚異、畏怖
それは確実に消えないシーン。
幼こころとは澄みきるほど鋭角で露骨に鮮度を保持した画像孕むのか、、

今日のブログは、その幼ない時分に初めて花柄の草履を買ってもらった気分のことを思い出して、、、
なんだか先述のような残酷さと隣り合わせの花柄を思い出してしまったための、一項です。
まさに、童心に浸っています。

オーダーいたしました手振り鉦が届きました。
この夏のねぶた初日で初使用です(予定)
職人さんによる、手打ちの美しい鉦。

やるべきことが山ほどあるのに、今、その手も止まり思考回路も一時休止。
ただただ、鉦の音に魅せられております。
鉦の厚さ、指に馴染む感触、触っては眺め、音を合わせては裏返し、擦り、、縁を撫でるは、ふさの豊満さを眺めるは、と。
最初の稽古で知らされた打つ形の大切さ、その意味、心臓の前に手合わせ、根幹にある「祈り」の形。
打つ、何度も繰り返す、でも節ごとに微細な音の違いを表し得る技術。
普段の「打つ」とはちょっと趣が異なる、密かに願い続けた手振り鉦の秘法的美学を極めたい。

ということで、憧憬のねぶた手振り鉦と最初の一歩が始まりました。
今年は岸壁練習に3度参加。昨年よりずっとできることが増えています。(これは自分がよくわかります。一つわかって、次に進める、という修練がたまりません)

ありがたい仕合わせ。
祈り、打ち続けたい。
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