カテゴリー「学びのこと」の71件の投稿

2024年1月18日 (木)

こんな日もある

八王子の鎌田鳥山カフェでの打ち合わせ中、、散歩でトコトコ歩いてきた子どもたちと丸太太鼓でつながるひととき、、

子どもってみんなバラバラだ、、どの子も同じことをしないし、同じことを言わない、

しかし、誰かの真似はする、いいことの真似、あんまり良くないなという真似もする

誰かの言うことを聞く、誰の言うことも聞かない、

何かをしようと誘う大人もいるが、見守る大人もいる

お弁当の時間になれば、そっちがいい、、食べなくちゃ、、その時間をしっかりカラダが覚えていく

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自然体という言葉があるけど、私は自然というところまでが好きだ、そこに自然体、という体という字をくっつけると、全てオーライ的な匂いがあまり好きではない。だって、自然と体、はもう宇宙以上に壮大な文字がくっついていて、自然体って何?と問われたら、実際には、自分では答えられないだろう。

丸太太鼓に吸い付くようにやってきた子どもたちの小さな姿を見ながら、この柔らかな動き、反応する目、触覚を確かめようとする手、考えはじめるかのようなわずかに動いている口元、唇、、

生き物、楽器、カラダ、

気づけは「自然」という言葉は、ずっと後からついてくる

カラダが何かに反応する、つまり体験、何かを一つ一つ解いていくようなこと、時間を豊かに過ごすこと、それは物質的なことではもちろんなく、

今できること、今感じること、結局はここに行き着くんだな、、

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2023年1月16日 (月)

時を経ても、、

たとえ、子どもが成人しても、それまで培った土壌に戻ったり、新しい人と交わったり、というのは嬉しいことです。つまりは繋がりの恩返しのような時間でもあること。

セイロで餅米を蒸す、餅をつく、味わう、昔なら薪ストーブから煙がもくもくとあちこちに見えた光景かもしれませんね。

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そんな時間の合間に、小雨降り出し、瞬く間にブルーシートのステージが。

ブルーの光の下はちょっとしたコスモ。晴れても、雨でも、子どもたちは居場所を失わない。

隠れ家のような竹藪の向こう、、

住処というのは開拓してこそ、、自分にそれが無理なら、どこか拠り所を探すもよし。

野外活動に消極的だった自分を、子どもが、子どもたちが導いてくれたんだな、と感じた日曜日。

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2022年10月18日 (火)

アメリカへ再び

アメリカでマリンバ弾き歌い、そして、恩師の打楽器活動の功績に贈られるHall of Fame殿堂入りを祝う記念のコンサート、

世界中から注目される打楽器国際コンヴェンション。かつて何度か参加していますが、重要な役割を担うコンサート。

恩師や友人、再会も楽しみです。

準備真っ只中です。

練習以外にやらなくてはならないことのリストの多さ、、しかもコロナ禍を経た今、海外渡航への準備は以前と全く異なりますね。

昨日は世界データのことを聞きに近所にできたauショップ、これは楽チンと思いきや、事前予約とのこと。さまざまなことが「予約」なしでは成立しないという。。

これとは関係ないのですが、近所の清掃工場がリニューアルし、粗大ゴミの持ち込みと思いきや、こちらも予約。しかも日程合わせが大変。

ネット予約時代は、便利なのか、面倒が増えるだけなのか、よくわからない話になってきました。

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練習日。これには予約などなし、自らの時間調整って、なんて楽なことでしょう。

しっかり、音符や拍変化の見落としのないよう久々の現代音楽の新鮮な感触を楽しみます。

2022年9月18日 (日)

発見まだまだ。

マレットリペアの話。マイナートークです。

ずっと毛糸巻きばかりに専念しておりましたが、、秋に予定しているアンサンブル曲のために、綿、麻、絹、の見直しをしています。

知人の服飾作家さんから購入してからずっと引き出しに眠ったまま。糸も新鮮なうちがいいと言われていますが、木板を打つ糸はどうしたって消耗するわけですから、糸が弱くなったらまたリペアをするだけ。好きな作業だから苦にならず。

毛糸とはちょっと違うコツもあるので、気づいたことを忘備録。誰かのお役にたつなら嬉しいので、記録します。

新谷の自己流巻きかたで気づいたこと!

1、糸は立ったり、寝たりする。

まず、マレットを巻く際の隙間問題というのがあります。機械で巻くのではなく手作業なので、計算された緻密さには程遠く、何度も解きながら指で糸を押し込むように均しながら巻いていきますが、その時にわかってくるのが「糸」は立ったり寝たりするっていうこと。糸はヨレる。その際の状態のことです。糸はなるべくマレットに沿って寝かせながら巻いていく。そうしないと糸の重なりが厚くなって凸凹が生じる。細い糸だから些細な気づきですが、触っているとわかってきますね。これは糸と糸に隙間を作らないために重要な作業だと感じます。

 

2、糸は吸い付く

マレットを巻く芯は良質のラバーを使っているものに巻くのが良いかと思います。硬いゴムよりある程度の弾力あるものの上に巻いていくと、滑らず糸を吸い込ませてくれる、まあ、それは基礎巻き最初の部分ですが。しかし、糸が重なってくるとゴムからの吸盤的要素はなくなるため、指で押すように巻いていくことは必要です。

 

3、糸を2重にして巻くより、どんなに細い糸でも2本束ねて巻くのではなく1本が繊細に仕上がる。当然といえば当然ですが、配色を楽しむために毛糸では極細を2重にして巻くことがあります。でも綿糸はそうはいかない。分厚さが増してしまいますね。

 

さてさて、手作業リペアに関しては、細かなことはもっとたくさんあるのですが、自分は完璧主義ではないし、綺麗に上手には巻けない。かなり雑であるかもしれない。でも、いつの日かその「ぐっ!」とくるであろう「良き加減」を知るために、ただそのためだけに自分でリペアすることにこだわっています。それは

1、自分の求めた音色を作りたい。

2、要求される音に近づくものを作りたい。

既製品ブランドさんには申し訳ないけど、買って気に入ったマレットがないゆえに、自分でリペアしているというのが本音です。

 

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送られてきた時に、同封されていたメモの紙の裏側が服飾作家さんらしく、素敵な布地模様のペーパーでしたので、それを活かしてラベルを作りました。

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心は久々のアサンブル曲へ向かっています。

リペアの近況にすぎないブログでしたが、お読みくださりありがとうございます。Shoko Araya

2022年7月31日 (日)

ラジオ体操と好きな音楽とねぶた囃子と

避暑のつもりが、なかなかそういうわけにもいかなくなってきた日本列島。

冷房のない1階と冷房ありの2階の温度差にウロウロして生活。

自律神経もちょっと危うい。

最近はじめている体操は効果大。それはラジオ体操!

心身、朝からリセット。

オイゲン キケロの軽やかなバッハをLPで聴きながらゆっくり過ごす時間もいい。

暑さで一番打撃を受ける部分はどうやら「脳」らしい。涼しい部屋にいれば体温は下がるけど、猛暑では脳を休めることが重要らしいので

広がる景色、海、山をドライブもしている。

でも、気づいたことの一つは、好きな音楽を集中して聴くこと、これが自分をやはり休めさせてくれる最高の薬。

音楽の仕事をして音楽を聴いている、これじゃ脳が休まらないと思われがちですが、仕事脳で聴く耳、心身を休めるために聴く耳、実は使い分けができているようです。

現在参加していてるねぶた囃子も、同様。

打楽器として同列でない。決して同列ではないということを今日も感じ取って稽古より戻りました。技の美学の視点と岐路がそれぞれ全くと言っていいほど異なる。使う脳が違う。体の使い方がまるで違う。聞き分ける技、使う技、見せる技、全部違って面白い。

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2021年7月26日 (月)

体で指で聴く作業

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予定が大きく変わり、普段なかなかできなかったことを、、

個人的すぎる内容ですので、このブログで書いてもどうしようもないことではありますが、

体の使い方の指導を受けてからマレットの握り方も変化してきました。

体幹、マレットの運指法、演奏するときの耳の位置、当たり前のことだけど、今だからこそ「わかる」ゆえに、変えるこが「できる」

自然な取り組み、そして自分の心に柔軟性を「満たす」、、今ゆえのことかもしれません。

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そして、音色の変化がよく「聞こえる」体になれるかどうかが一番重要なこと。

左の耳が不自由になってから、特にこの音色の変化を察知する能力においては、注意深さが増したことは確かです。

マレットに毛糸を巻きながら、音を試さなくてもどんな音になるかが、ちょっとわかるようになっています。

真夏にウールやモヘア、カシミア、アルパカの触り心地は冷房の効いた部屋においては、かなり快適な時間です。笑

私は細い糸で巻くので、時間は相当かかりますが、指の加減(巻き加減)は慣れてきたので解くことはなく、くるくる、くるくる、、

リペアも体で聞きながら、感じながら巻きます。

 

 

2021年7月21日 (水)

夏の打楽器見聞録

先日ちょっと浮気して、他大学での打楽器コンクールの審査の依頼を受け、出かけてきました。

こちらからの依頼が早かったので、自分の通う大学の試験日と重なるなど予想できず、まあ、そこは許されて、他の風を浴びに、そしてこの先の還元の為にも、、と。

やはり依頼を受けて出かけた価値がありました。まず、キャンパスに色が溢れているのですね、、、これはちょっと羨望の眼差しでありました。

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昼休憩のスペースから見えるこの空間。コンクリートに囲まれたキャンパスではあっても、配色とフォルムのバランスに唸ります。

建物好きな私は、他の校舎に忍び込み、ちょっとした階段の工夫や、スクリーンの位置や、花壇と花壇のスペース、煉瓦の模様、グリーン、写真はないけどシルバーや、赤や、真っ黒などの建物を見て、音を作る環境のコンセプトとして、これはモチベーションが上がるに違いないと感じました。

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肝心のコンクールですが、エントリーの18人、こちらには学年などは知らされず、とにかく審査員がシビアに順位をつけていくという方式。

楽譜の読解力が反映される演奏内容、レベルはすこぶる高い。打楽器演奏、マリンバ演奏ともに、、

自分がアメリカのリサイタルで初演した13ドラムス(石井真木作曲)などは、これこれ、、こういう演奏を求めたし!というくらい、抜群のセンスを生かした演奏パフォーマンス。

マリンバ演奏においては、もうこの世の中、情報過多というくらい映像やらがあちこちに満載されているから、高レベル奏法は当然であろうけど、表現力という意味でも、若者にして熟練的な舞台アプローチを持った学生の登場には驚いた。

大学内でコンクールを企画するだけの裏付け、才能ある学生たち、ご立派、、である。

自分の関わる大学の空気に中だけにいては、やはり現代の打楽器作品への取り組みの意味についてなかなか客観視は難しい。

こうして他の空気に触れてこそ、一つのヴィジョンとして打楽器作品の今を知ることにもなる。

コロナでますます外部との交流が閉ざされている今、こうした取り組みを社会に示す画期的な学内コンクール(審査員は全員大学関係者以外で、外部から)の発案は、打楽器作品への敬意も感じられて、なんとも爽快な時間でした。

 

 

2021年6月22日 (火)

ローズウッドへの視点もまた、、

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先日の月舞台の主宰者である、落合氏の上梓された本、毎日魅入っています。

美しいページ、文章が、心をその地に運ばせ、新しい文化に目覚めさせてくれます。

リサーチされた落合氏の森への想い、建築美学、そうした思想が生んだ一つの場所で、演奏できたことが何より幸せです。

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この日からまだ1週間、身体は解かれ、快適な日々を送れています。本来、あまりコンクリートの中にいる生活はしていない自分ではありますが、それでも改めて意識する音と体、歩きながら見つめる空の角度、木々の色の変化、サウンドスケープを身体に取り入れることはある種の訓練も必要あると知りつつも、体がそこに向かっていかなくては何も得られない。

 

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マリンバもローズウッドの生命を現代に生かした音の道具であります。

一音を愛おしく奏でる意義を、また新しき視点で知らされた日。

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落合氏もマリンバを弾いてくれました。低音をゆっくり、、

この日のマリンバはブルーマレット社からの品質の高いマリンバを運んでいただき、二日目にはこの場に落ち着いてか、深い響きとなりました。

皆様に感謝を込めて、、

 

 

 

2021年2月19日 (金)

リズム文化

コロナの時期に読んでいる新聞記事には、保存したくなる寄稿文、コラム、エッセイが多いです。いつもより自宅時間が増えて、新聞を熟読しているというだけのことかな、、とにかくいい記事が見つかるとハサミでチョキチョキです。海外と日本の比較論などについての面白い記事もチョキチョキ、こちらは海外で学生をやっている新聞好きの息子へ送る用。

このブログでは人様の文章は引用はしませんが、ざっくりと書かせていただくと、リズム文化について、人間の生活に必要な同調のリズム、拍動について、音楽とは限らずのリズム、スポーツの文化も含めて、私たちが体内生理に求めるもの、欲するものが産み育てる文化。

コロナでの自粛、人に会わないことの危惧から考慮される「文化を無くしてはならない」論は読んでいて納得するものが多いです。

そんな中、この2月はようやく対面で小学生と出会っています。昨年からの延期がこの年度末に集中しています。

人が音楽を楽しむ、湧き上がる、、ただそれだけのことがどれほど貴重な体験であろうか、と痛感します。

現場で音楽を奏でることが普通であったこと、、コロナ以前には考えも及ばなかった新しい事項が今、明確に緊迫するくらいの勢いでその重要度を示している。

生演奏を届ける。

一般的にいう「音楽」ではなく、より重大かもしれない「人と人の律動を導く」その「リズム文化の端くれで担っている役割」がある。

視点が変化する。

夢が広がる。

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2021年2月12日 (金)

セニョール

ここのところ、ずっとマリンバでチックコリアの曲を弾いていました。

最初のアルバムにも録音し、次作にも録音し、、昨年の自粛中にもチックコリアが自室から配信する「練習」をずっと視聴していました。

練習というタイトルではあっても、それはもう至芸。

今朝のニュース、チックコリアの訃報、、合掌、、

 

20年活動した私のデュオアルバムは、活動年数が長くてもアルバムは寡作。レパートリーは相当数になっていたけど、アレンジや、自作は録音として多くは残せなかった。この最初のアルバムにチックコリアの曲を入れる時は迷いがあった。さて、取り組んでいいのだろうか、垣根が高すぎて、そういうものを録音していいだろうという迷い。あの時の葛藤を思い出す。

しかし、今ならもっと迷うであろう。あの時だから決行(録音)できたんじゃないか、そんなことを、つい数日前に思っていたばかり。

超絶な技巧であっても、どこかに優しさをこぼして耳に柔らかい。いや、ジャンルなどに括られない音楽。初めて聴いたのは高校生時代。「あれ?なんだこれは?なんてことだ」であった。その「なんてことだ」を今もずっと。。

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