追悼
大森昭男さん、CM音楽の時代を築いた音楽プロデューサー。
病に伏されてからは会えませんでしたが、、今頃はあちらでゆっくりと、そして新谷のことも時々見守ってくださっておりますように、とわがままなお祈りをささげております。
2日間のライブは曼荼羅。そこからすぐの場所に事務所がありましたから、ライブ前、その部屋の前、ドアの前で手を合わせ今から本番です、とご挨拶。
マリンバシアターを応援くださり、コンサートに毎回通っていただきました。アルバム作りを大森さんに相談しようだなんて、私もすこぶる勇者ではないか、、、
しかし、、快く私の弾き歌い最初のアルバム、そしてセカンドアルバムに立ち会ってくださり、僕の名前なんてCDにはどうぞいれなくたっていいですからね、、と。でも私からの切望でお名前を入れましたこと、お許し下さいましたね。
進もうとすることを、目指したいと思ったことを、心から応援くださった。。
「絵がうかびますね。僕はこの歌が一番好きかな」とおっしゃった、それはセカンドアルバムにおさめた「それだけのこと」
曼荼羅でのお客様にちょっとお伝えして演奏しましたら、同じくこの曲が好きと語る方々も、、
ヨーロッパの現代的なちょっとぶっ飛んでる、、そんな歌唱をするシンガーのアルバムなんかも聴かせていただいて、
「こういうのも聴いておいたらどうでしょうね、新谷サン、、」と決して押し付けるような語り口ではなく、紳士な佇まいが好きでした。
深夜まで及んだレコーディングの最後に写真を撮らせていただきましたね。
Singer Song Marimba、その最初の弾き歌いCDが完成し、お届けに伺った日、
CM音楽の録音記録の分厚い手書きのノートを見せてくださいました。
それは日本の音楽界の歴史そのもののよう、、、
私などが応援していただけたのは、奇跡というもの。そして希望でありました。
どうぞ、やれますよ、、と励ましていただいた道です。曲を作り、唄っていきなさい、とにこやかに、、
はい、だから、そのように、曲を作り、唄い、歩んでまいります。
それだけのことを、続けられるように、生きていきたいと、、
大森さん、ありがとうございます。心から、、、
合掌