かもめはかもめ(2015年のマリンバシアターより)
https://youtu.be/HzPHacKQEco?si=HxlyEiEd_hp6HqX7
Our Voice (2026年長沼の森、春祭りより)
https://youtu.be/5y6tMWfWKcw?si=V2cSLJ8DgGJKazR_
少し途絶えていた動画投稿、最近は過去の演奏の動画を見直しています。
2015年、ちょっと古い動画になりますが、今はもう存在しない明大前の劇場、キッドアイラックアートホールでの演奏、ご視聴いただければ嬉しいです。新谷祥子YouTubeチャンネル登録もよろしくお願いします。
ライブトークでも話ししましたが、長く聴いてくださる尊敬のお客様から1冊の詩集をいただきました。
茨木のり子詩集、それはもうずっと惹かれていたものがあったから、、でも送られてきたその一冊は少し重たくて、粋で、女性としての視点が自由で、ダイナミックで、、ああ、こんなふうに紡いでいいのだ、という勇気にもつながって、、
時間を経て、、今年の雪解けあたり、ああ、今歌いたい、その気持ちが高まりました。「わたしが一番きれいだったとき」
すでにいくつか作曲されていることも知って、私が選んだのは吉岡しげ美さんの作曲によるもの、ちょっとだけコードの動かし方をアレンジさせていただき、歌いました。
その詩集をくださった人でもあり、このライブレポートのIZUMIさん、、ご許可を得てブログに転載します。最後の1行、IZUMIさんの言いっぱなす潔さみたいな(私には最高の賛辞だけど)、ああ、この人も茨木のり子さんみたいな女性、、こんな言葉、詩のようではないか、、好き。
衝動的な生理を言葉にできる人に書いてもらったように感じる。生きた吐き言葉、私の背中を押してる、、あたりをキョロキョロしないで、あれやこれやと見まわすこともしないで、拾った石ころを投げて転がった方へ、そっちに風は吹く、信じてみよう、つまりは今まで通りやっていけるのではないかと、、錯覚であれなんであれ、満ち満ちた朝。
言葉はこの先の夢のためにもあるはずだから、、ありがたい。
そうそう、、この文中にもありますが、、初日はスリリングなことがステージで起こってしまいました。あまりにも愚かな勘違い新谷ミスが、、、しかもチャボさんの曲中。久々に相当落ち込みました。IZUMIさんは気づいたかもしれない、、ちょっとそんなこともこのレポートから感じます。笑
全部、生き物、、ライブは最高!!!
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5月2日。
久しぶりのMANDALAにて。
新谷祥子さんとチャボのセッションは、いつもスリリング。おそらく入念に練り上げたセットリストと、考え抜かれた演出があるのだと思うけれど、その上で「何が起こるかわからない」スリルに満ちている。
今回のテーマは季節に合わせて「新緑」。
それに相応しい瑞々しいセットリストだった。
中でも、詩人茨木のり子の傑作(中学や高校の国語の教科書にも掲載されている)「わたしが一番きれいだったとき」が新谷さんパートの中盤で演奏されたのには驚いた。
この詩に曲をつけたものがあるというのは聞いたことがあったけれど、演奏されるのを聴いたのは初めてだった。大切にしている詩を、新谷さんのマリンバで聴けたのは至福。
詩の内容も、今の危うい世情に呼応しているようにも感じられた。今、聞くべき1曲。彼女が操るのはマリンバだけではなく、様々な打楽器然とするものたち(それは異国の、名前も知らないものもあったりする)、そして彼女の内にある言葉たちだ。その言葉たちは、音に乗せて、その時々の「新谷祥子」という人を見せてくれる。
あまりに当たり前のことだけれど、「作品」はその作者そのものであることを強く感じさせられるのがこのセッション。
チャボのパートも久しぶりにボサノバ調の「君にNIGHT&DAY」が演奏された。この曲を75歳が歌ってもなんら違和感がない若々しさ
土曜日なので、土曜日にしか演奏しない「映画に行こう」のおまけつき。
2人のセッションが素晴らしいのは、毎回思うけれどお互いへの尊敬と、音楽への信頼が溢れているからだと思う。
この日は奇しくもチャボの盟友、清志郎の命日だったので、「その日」のエピソードが語られた。そのエピソードも、清志郎とチャボが音楽という強い絆で繋がっていることが伝わってくるもので、素敵だった。
エンディングには新谷さんの「未来へ」が流れた。
「窓を開けて一緒に歌おう」という歌詞が私はとても好き。この歌には自分の道を信じて大切に歩もうとする思いだけでなく、同時代を生きる人たちに「一緒に歌おう」と呼びかけていて、そこがとても茨木のり子に通じる、、、と勝手に思っているのだ。
この日のマリンバのマレットに巻かれた糸は緑色だったよう見えたけど、違うかな…?
何はともあれ、新谷祥子さんのマリンバ弾き歌い、全人類一度は見たほうがいい、絶対。
https://note.com/bluespiritblues/n/ncc4812b64e4d
ブルーさんの書いてくれた「緑」嬉しい、、ちょっと涙もろくなっています。
ライブの裏側を少し明かすと、、
ライブの初日と、2日目で曲目は同じですが、どうやら初日には私、大きな勘違いをしていた部分がありました。
チャボさんにはただただ謝るばかり、、、何度やってもこういうことが起こってしまう、、自分の配慮不足でかなりの落ち込みでもありましたが演奏のパッションは両日ともこれまでのライブ以上に高まる内容でした。
猛省もありながら、時間は進むのだ、、そういうプロセスをどうやって自分の血や肉とするか、、この表現が合っているかわからないけれども、、
お客様の声は嬉しいものです。
お客様からの花の贈り物、三浦さんのカメラワーク、ヨーロッパの絵画のよう、、
編集者のYさん、一つ一つ選んでくれた花の種類、、素敵
伊丹アイホールで2月に共演した役者、船戸さん、紅パワーいただきました
春から急に夏のような日差しの1日、、構想してきた森の木霊コンサートの内容は、この空の下で、身体が揺さぶられるまま、予想よりずっとずっとダイナミックに自分を動かしました。
室内ライブならこんなに悠々と楽器を置くことは叶わない、、
のびやかに、空に土に続く場所で奏でること、音響装置も最小限にとどめること、吊るした楽器たちが風とういう共演者に任せて舞うように鳴ってくれること、、瞬間瞬間の呼吸が深くなる体験でした。
ソロパフォーマンスに徹する予定でいたのですが、やはり共演の呼びかけに応じてくれた皆さんのおかげ、、
彩りを添えてくれたのは
パーカッション:末宗憲人、西﨑彩衣
琴:佐藤康子
誠実で音をしっかり考えてくれて、、ダイナミックで広がりのあるセッションとなりました。
開演前
高尾山とんとん昔りの会の吉田さんとの再会は嬉しく、この日も随分早い時間から会場にお越しくださって、、ゆっくりお山を登っていらした、、お元気です。語り部の会の皆さんとの共演を数回、もうだいぶ前のことでしたが、またご一緒したいと思う気持ちが高まりました。
土に還る楽器、、もともとは土中から要素をもらって作られたものがたくさんあります。
銅鑼などは本来余韻を出すように吊るして音を出す楽器ですが、このように土に置いて、私も土に座して演奏すると、人間と道具が一体化する、安定した精神というのかな、、さまざまな材質の楽器を打ったけど、ずっと打っていたくなるのは金属の音でした。
たいのラナートをいう楽器、深草アキさんから譲り受けた2台のうち、1台を運びました。この演奏動画はまだ届いていないのですが、ちょっと楽しみです。
サヌカイトを打ちながら谷川俊太郎を読む
他に、ログドラムで宮沢賢治を読む、歌う
みんな「石」つながりです。
記録したいこと、ブログにて続けます。まずは終演後のの第1弾ブログでした。
1月も早かった、、2月はもっと早く終わってしまう。
あれよあれよと、ぐるぐる思い巡らしては、何をしたのだっけ?というくらいに。
その中でも、2月15日の伊丹アイホール、閉館前の一大イベントにて音楽制作、荷をおろしたばかり、、終演と同時に安堵感、アフタートークのことなどすっかり忘れていて、あ、そうだ、まだちょっと出番あり、と焦った瞬間。
13年ぶりのホールはそれほど古い感じもせず、まだまだ多くの演劇が行われてほしい匂い、空気を漂わせていました。ホール前の公園、樹木はそのまま、それだけが時が止まったかのように懐かしさに満ちました。
北村想さんと並んでのアフタートークは打ち合わせもないままでしたので、何をどう話したか、、もう忘れてしまったものの、なんだか楽しい時間でもあったことを思い出します。
ホール入りは前日で、ホテルから向かう空色を思い出します。これから行われるリハーサルや本番のこともあるけど、それより、自分のことを考えて歩いていました。随分と長い間、音楽に関わって創作して出番をいただいて、長い細い道を歩いているかのような、、それで、今この場所にたどり着いている。
なんでもない1日に過ぎないはずだけど、体は確かにこの地にいて、心身の準備はある、当たり前のことでありながら、この普通と思えることの大きさ、幸せ、道の先に何が起こるかさえわかっていない未知数の時間を生きながら、音楽を任されてそこに立つ、自分の軸とする棒を一本、携えて、ただそれだけの材料を道連れにして、こんな危うい道を歩いてきたものだ。
大袈裟でもその日の朝は、そんなことを考えていました。
この日、立ち上げた音、何処かから繋がって生まれてきたことに変わりはなく、この音をまた私は軸棒にして、いや、一度全て忘れて、、次なる景色を見たいと思うのか、、
そんな感触が湧き起こっていました。一回全てを忘却の彼方へ、、そうしたエネルギーを放つ、そんな瞬間瞬間が音楽にはある。どこかでそのことに救われてきたのかもしれない、、、
世界にこの物語「寿歌」のような荒野があるのか、あってはならないのか、すでにあってしまったのか、、結末を知ることより、希望で繋ぐ演劇、語り、そこに奏でる音楽は、何かにシンクロすることより、台本を尊重しながらも、真っ新な筋書き(音符)で繋ぎたいと思った次第です。
遠方からも多くのお客様、ありがとうございました。
「かたり寿歌とマリンバ」
演者の船戸香里さん(右)、演出の高橋恵さん(左)
ありがとう。刻めたこと、感謝
順番は遅れ遅れですが、1月9日、10日にホームでのライブを終えました。冬のお誘いにも関わらず、また天候も味方となってスムーズにお客様もお運びくださり、予定した曲、予想外の曲、サプライズゲストも迎え、終わってみると、うむ、悩む事なかれ、と胸を撫で下ろす。
こちらは1名様のお客さまがいたら続行は可能、と考えている。ほぼ口コミでの集客で、それでも開催を心から喜んで足を向けてくれる方々に支えられている。誰かが誰かをお誘いし、そしてまた新しいお客さまにも出会えている。何よりはリピートくださる方々の存在、
いい歌を作りたい、、そう思える場所にもなっているホーム。この冬に新しい曲を一つ生みました。
タイトルを悩みますが、このライブで初披露、Ring,,,1月2日の夕刻にみたあの月、そしてその輪っか。タイトルは決まりそうで、なかなか決まらない。名前をつけた途端にイメージが色濃くなるから、サラリと風のように流れるタイトルにしたいと思ってもう何日過ぎただろう、、
私の演奏の背景にこの輪っかの模様の幕。これは六本木の「布」というお店で店員さんに演奏場所の背景に垂らしたいと相談したら、おすすめということで部屋の奥から持ってきて下さったもの。輪っかの模様が大胆で、でも悩まずにこれだっ!と決めて数メールを購入。ずっしりと空間を埋めてくれる。
反対側、つまり私の演奏している立ち位置から向こうに、細長い窓が3つ。(音窓ARAYAの名前はここから)
そこに雪が降ったり、月、星を眺めながら練習する。小さいけど落ち着く窓辺の風景。冬の夜は寂しい風景になるけれど、安まる時間を導いてくれる。この幕はいくつかあって、今回は1面だけを垂らして演奏。
夜のライブをやってみたい。夕刻ではなく「夜」紡がれる言葉に寄り添う暗さも欲しくなる時がある。
昼間よりずっと木の音も研ぎ澄まされるから。
昼間のキャンドルもムードありだけど、、
仙台駅に降り立ったのは何年振りかな。寒さを予想したものの、冬物コートがちょっと熱いと感じる日でした。11月9日
音楽療法学会東北支部での講演
こうした学会からの依頼も久々、今年は大きな講義依頼を一つ一つ、乗り越え中です。
パワポを見つつ、テーブルには仏具や石、手は太鼓を触りながら、
パソコンを見ながらということは得意ではない。できれば、体を使って、呼吸の渡し合いをしながら、というライブ感ある講座がやりたい。
今回は資料を求められていたため、パワポを駆使。しかしそこに目が落ちてしまう、、本来の打楽器講座の理想は100%呼吸、身体でのやり取り。と、これまではほとんどがそうであったのですが、講義依頼とワークショップということから、進行資料の作成をしました。
結果、確かに自分の脳内整理には役立ちました。
用意していただいたドラムセットで新谷式ワークは1日は必要な内容ですが、フレームだけを紹介。
ドラムセットは私のリズム学習の始まり。欠かしたくない楽器。
会場は使いやすく、講座向け、ワーク向け、快適でした。
私は音楽療法士ではない、でも向き合ってきた現場や、講座や、内側に感じ行動する中に、音楽の療法へ行き着くルートは辿っているかもしれない。日々の演奏の中で、自分が音楽に助けられている、そして色彩を探し求め続けている。
そのことから、口述できることを自由に公開した内容にしました。
特に東北が会場ということから、土地性や回帰性という部分にこだわった音の発生について、もう少し時間を割いて、深めていきたい私の今後への課題。
始原、知る、親しむ、そこにもう一つの「し」は色彩、、
これからの思考への導きを自身の中に見つけました。
この講座の翌日には実家、そしてまたも友人たちに助けられるインフラ問題発生、、
インフラ問題に駆けつけてくれる業者さんの存在。
あ〜、ため息の数時間でした。
そんな日でしたが、気づけば一つ齢を重ねる日、感謝の日。友人たちに祝っていただきました。
レストランは、研究熱心な西洋ビストロのシェフによるコース料理が際立っています。私よりずっと年下ですが、吹奏楽の後輩、共通の話題が楽しいお店。
食事会の前は母校での指導もあったので、夜は何がなんだか状態のスーパーハードさを癒すために、ミルト ジャクソンのヴィブラフォンをゆるり。この時間を音量アップで満喫できるのも実家の良さでしょう。
お寺でシンガーソングマリンバ
スペシャルゲスト
〜仲井戸”CABO"麗市を迎えて〜
セットリスト
荒野で
はじまりの鐘
光線
哀しみのソレアード
日傘
うぐいす
ホームタウン
祝祭
新しい友達
夏に続く午後
今はただ
歩く
鐘は鳴る
抱きしめあって眠るだけ
唄
まあ、いずれにせよ
長い旅〜チャボさんの言葉を入れたヴァージョン〜
ブルームーン
風が吹いている
ガルシアの風
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言葉で何かをまとめようと思ってみても、未だそれがうまく運べず、、10年目のお寺ライブ、9回目となるこのシリーズにチャボさんを迎えた会
開演前には会場にBGMを流さない、これはずっと同じままですが、鳥の囀りや葉の揺れ音、時には雨音、開演を待つ人たちの小声、畳と足音、、
それで充分に何かを伝え来る、そこから自分の息をその空間にのせていけたら、、
光の色はこれくらいがいい、そんな日だった6月1日、雨は降りずとも、雨季の始まりのような軽い湿度の中で、思い切り木片に向かっていく身体は意外と軽い、音を出して「もう後戻りはできない」「さ、行くのだ」というくらいに、自分を荒野の中に進ませている、、
チャボさんのカバー曲から始まるのは、最初から決めていたこと、、心が弾んだ。
それからのことは、あまり覚えていないくらいですが、高揚した中で音を冷静に聴けている自分に安堵感と不思議感。笑
あの日、15人くらいにもなったスタッフへの感謝は尽きない。
想いはこの写真にも写していただけたかも、、三浦麻旅子さんの写真に自分を振り返る
チャボさんの登場は感動的でした。お客さまにも、そして何より自分へ



仏具、鳴り物、龍見寺さんからお借りして打つ。やはりその環境に長く佇んでいたからか、とてもいい音がしました。
僥倖、それはまさしく、出会って、奏でて、、年月の一致
チャボさんと出逢っての20年
息子と一緒の誕生日という記号、そこに在る私の中の祝祭
歩く、そこに一歩が刻める今を大切に
お客様と触れ合った会話が、何より自分を励ましたことも事実です。
生きていれば、いろいろな「生」に向き合う、、
私ももう少しやれそうだと、、信じる。
ありがとう、、今を授けられたこと、、
ありがとう
いつだったか、私にある詩集を贈ってくれた女性がおりました。それはもう手放せないほど好きな詩集ですが、自分では買ったことがなかった1冊。彼女のライブレポートや、さりげなく送ってくれるメールの言葉が好きで、以前にもブログに紹介していますが、今回は、以下のようなSNSヘの投稿がありました。
ご本人にご許可を得てこちらに紹介します。お名前もフルネームで紹介したいのですが、そこはイニシャルで失礼、MIさんの言葉、特に後半の文面、「年齢を重ねたからこそ、、、」そう、それは女性の視点としてもぐぐぐっと、自分への労り(ということも必要)をもっと大切に考えていこう、という想いさえいただきました。
読んでいただけたら嬉しいです。
↓
🌷__________🌷
3月22日夜はこちらのライブへ。
フューシャピンクの、大きなフリルのブラウスで新谷祥子さんが登場。野生の芍薬みたいだな、と思う。この日の席はマリンバの至近距離。幸せ。
いつもはチャボの、ギターを弾く指が見える席だとワクワクするのだけれど、このセッションの時は祥子さんの近くが嬉しいのだ。マリンバの上を踊る美しいマレットたち、そして歌いながら、跳ね回りながら奏でられるたくさんの「打楽器」(石などもあったりする…)たちの動き、祥子さんの息遣いを間近でみられる幸せ。
いつもはカヴァーも歌うのに、今回はほぼ自作、それも新曲多め。ここに彼女のこのセッションへの覚悟のようなものが表れていたと思う。そして、その自作曲たちがことごとく、いいのだ…。
1曲目は、細い糸で繋がれている誰かとの出会いの喜びの歌。描かれているのは恋かもしれないし、そうじゃないのかもしれない。私の目にはこの3月初めに別れたばかりの、18歳たちの姿が浮かぶ。マリンバの奏でる音、祥子さんの深く優しく、おおらかな歌声を聞きながら、ああ、私にとって彼らはなんと大切な存在だったことか、と涙が込み上げたりして。歌詞にある「ありがとう」という言葉がこんなにも素直に胸に落ちるとは。
早川さんとのセッションは、ジャズの香りあり、ブルースの香りありで、2人の守備範囲の広さを感じさせる。当たり前か…😅
楽器同士が語り合っているような絶妙な音の絡み合いに聞き惚れる。
チャボを加えてのセッションでは「サイクリング」(実はこれ、大好きな1曲!)を!
この曲の、
「生きてゆくことを/選んでゆく僕達は/若さだけではない美しさ/ いつか知るだろう
君の今日の胸の痛み/誰が知る術もないけど
君の明日の身体の痛み/誰が代われる術はないけど」
という歌詞がしみじみ身に沁みて、胸の奥まで届くようになった…。マリンバがそんな自分の背中を押す風のそよぎのようでもあり、人生を肯定するのが音楽、という言葉を思い出す。
細かいところまで思い出せば、もっともっと色々感想はあるけれど、前回のこの3人のセッションは配信だっで、それもとても素晴らしかったけれど、やはりオーディエンスとの呼吸のようなものが感じられるから「生っていいなあ」。この感想に尽きる。
そして、チャボと新谷祥子といえばこれ!という「お約束」の1曲が「Blue moon」。これを聞くために来ている人もいるだろう。そこに早川岳晴という稀有なベーシストが加わるのだから、これがスゴくないわけがない。唯一無二のセッションなのだ。
それぞれ回を重ねるごとに、息の合い方が深まっているように感じる。そして、そこから紡ぎ出される、信頼に裏付けられた音たちは、間違いなく私を励ましてくれる。
「自分の残された時間」に思いを馳せ、自分だけではなく、家族や教え子や、なんなら世界中の人たちが幸せであってほしい、だってみんな幸せになっていい権利があるんだよ?という気分になるのが最近の私なのだけれど、そんなお人好しな思いも含めて、「生きること」を丸ごと肯定してくれて、「♪もっと遠くへ」(by 「サイクリング」)と後ろからちょっと押してくれるような、そんな気分で満たされる3時間だった。
私自身、年齢を重ねたからこそ手に入れられたものもあれば、手放したもの、手放さざるを得なかったものもある。おそらく、同世代の祥子さんにもそういうことはあるだろうし、70代を生きるチャボと早川さんにもあるだろう。
その変化というか、進化というか、深化というか…。
こういう年齢になっても変われる喜びは確実にある、という3人の実感が溢れていたライブだったように思う。信頼と勇気、そして音楽への愛。これを強く感じられるから、このセッションは見逃せないのだ。
🌷_________🌷
残された時間に思いを馳せる、なんて素敵なことだろう。
生きることを丸ごと構成してくれる、そう、チャボさんの曲ってそういう深さに満ちているのです。もっと遠くへ、そんな気持ちを抱きながら、歌をそばにして生きる、、
MIさんの言葉から見えてくること、たっくさん、、
そう、労って、そしてちょっと楽しくがんばって、刺激的な言葉はいらないけど、望むことを諦めないで、できたら日々、優しく空を見上げる瞬間を作って、、そんな気分にさせてくれるブログでした。感謝投稿です。
好きな1枚
ちょっとキャバレー(アメリカではライブハウス的な意味合いで使う言葉)そうそう、キャバレーシンガーって表現されたことある、、そんな感じがとっても濃く醸し出されています。