ピエロが歩けば
2023年の最初の動画アップ
ピエロが歩けば
アメリカでの演奏を公開しました。英語タイトルはClown March 歌詞の英語訳も載せていますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=TquKG80F00I
今日は降りました、一面銀世界。窓の外、真っ白です。
2023年の最初の動画アップ
ピエロが歩けば
アメリカでの演奏を公開しました。英語タイトルはClown March 歌詞の英語訳も載せていますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=TquKG80F00I
今日は降りました、一面銀世界。窓の外、真っ白です。
関東は暑い秋ですが、台風も心配な季節。いかがお過ごしでしょうか?
いつもブログへお越しくださりありがとうございます。忘備録やお知らせしたいことや、呟きなど、今書き記しておきたいことを基本に続けているブログです。
予想もしないメッセージをいただくこともあるし、長年の友人が見守ってくれることもあるし、時々ふらっと立ち寄って読んでくださる方々も、そして普段お付き合いのない方でも、読んでいただいているのなだーとわかった事件(笑)もあったり、、
どこかでどなたかに届いているのかな〜と思いつつ、しかし、あまり読まれることを意識しすぎないように記している内容です。気負いなどなく書きたいのです。あるがままの文体で、下手くそ。でも今を記しておく楽しみ。後から読み返すことはあまりしないけど、自分の気持ちに向き合うことは、一つの息休め、そして新たなステップでもあると感じつつの緩いブログです。
今日は、自分で動画をアップできるようになったYouTubeチャンネルのこと。まあ、時代の変化たるや、自作を動画で投稿し、紹介できる時代、、若い世代には珍しくもなんともないことでしょう。そういうプロセスの時代に生まれた方々ですものね。でも、カセットテープにテレビからエアで録音していたアナログ育ちの私などは、パソコンで、いやスマホでなんでもできてしまう今のツールは、うーん、便利、即効性、などは優れているけど、なんというか意地悪だな、、なんてこともよぎります。誰にでも優しい時代、でもない。でも目の前に転がる利便さ、楽ちんさを活用したくなる欲望。
そこにきて、自分であげる自分の動画、、、いいのかなって思いながらも、自分のチャンネルというこの「チャンネル」という言葉に弱いものですね。人間って。笑
まだ20本くらいですが、完璧を目指さない。完璧ってつまらないですし。これ音程とか弾き方とかもっと改善点はあると知っても、「この空気感、この時の想い」があると直感なりセンシビリティを自らが感じたら、ブログを書くことと同じようなスタンスで収めてみることにしました。
今年は、恒例のお寺ライブが叶わなかったので、2つの動画を2021年のお寺ライブオープニングで歌った2つを紹介します。
ご覧くだされば嬉しいです。もし今後の動画(未定)にも関心いただけそうなら、ぜひチャンネル登録をお願いします。
今は20本足らずですが、これから整理してもう少し「今」を伝えるものも作りたいと思います。いつって、お約束もできないペースです。悪しからず。
https://www.youtube.com/user/ShokoAraya
Green Field
風の通り道
故郷の景色と共に、、、
サプライズでした。ステンドグラスのピーコック、ホームコンサートに全て通ってくれる友人の手作りです。
私のロゴマークのこの孔雀は人気者で、これまでいろいろな方法で手作りのモデルになってきました。消しゴムハンコ、墨絵、ステンドグラスランプ、手提げ袋、ケーキ、素描、など。
このロゴデザインはデザイナーさんの独創で、こちらからは一切の要望を送っていなかったのに、出来上がった時の感動を思い出します。自分の好きなシルエット、鳥、色合い、、ずっと自分の気持ちに寄り添う孔雀の存在。
自作にも「黄昏ピーコック」という曲があります。弾き歌いファーストアルバム「シンガーソングマリンバ」に収録していますので、ぜひ、聴いていただけると嬉しいです。1枚目のアルバムってやはり作風にも何か勢いがありますね。尊敬するベーシスト吉野弘志さんにご協力いただいて数曲はデュエットで演奏しています。このピーコックの曲も吉野さんのスピード感と温かい低音倍音の制御というか、オシプレイのおかげで、仕上がりの良い1曲であると信じております。最初の弾き歌いということで緊張をほぐしてくれる意味であったか、、吉野さんの言葉は忘れません。
「たかが、マリンバじゃないの。たかが木琴くらいの前で、いいじゃないの、どう弾いたって」
ワハハ、、ですよね。こんなふうに言える方ってそんなにおりません。
いろいろな想いが詰まっていた時期、そして何より1枚目という記念も込めて相当数のプレスをしてしまいましたため、現在も在庫たくさん自宅に控えております。笑
こちらを読んでいただいた方で、どれ聴いてみよう、と思っていただけましたら是非是非、ホームページから、もしくはAmazonから、もしくは
shokoaraya@icloud.comまでご連絡をください。
友人の手作りピーコック紹介が、作品紹介になってしまいました。😅😅
アルバム「Jpurney」への収録曲「手紙」
この曲を作ってからまだ日が浅いのに、ライブ盤として残すかどうかの判断までの迷い。この曲はやめよう、、もう少し先のアルバムに、、とも思えなかった「手紙」
そうです。限りある人生の時間においてこの「先送り」なんてこと、不確か。若い時とは違っている時間価値。今でしょ、今の気持ちに向き合っていいでしょう、、😃と、自分へ回答を送りました。
日が浅くても、ライブで現れ出た自分の率直で純粋な想い、それが薄れないように、今の真っ新な感触で収めておくことも大切だと思いました。
誰にでもありましょうか。大切な人に渡せなかった手紙。文字にはしなかったけど心に置いていた手紙、あまりに関係が近い人への手紙はなかなか難しいものでもあります。迷っているうちに、天国へ旅立ったその人(人たち)へ、この手紙を歌にして送ることしかできない今、いや、文字にしなくとも、声を発して送りたかった言葉を今なお、見つけられずにいるもどかしさ、、その人(人たち)はもう目を閉じているけど、耳はどこかで私を追いかけて、どこかで心の声を聞いているのかもしれない。
28年前の6月、母が旅立ち、あの日は故郷はまだ肌寒くて、、しかし今や、地球も大きな変化に包まれて、、
アルバム「Journery」のユニコーン。この曲はすでに過去のアルバムに収めています。
しばらく時間を置いて、自作を見つめることって大切だなと感じます。あの時に、どうしてこんな歌詞が生まれたのか、今、もう一度、、時が巡ってきたかのように何度も歌っていたい曲となりました。
さまざまなことが、同時に起こっていたんだろうと思う。そしてそのどれもが自分に与えられた時間、降りるべき事象、歌詞にすることで確かめる自分の心、、そういうものは確かにあったんだろうと。
白い馬を見たのは本当のことで、
そして一方では、黒々とした幻想的でこの上なく美しく、赤い土の上で舞うために鍛錬されたそのサーカスの馬も眺めていたことは本当で。
旅したノルウェーの奥の森に立ちすくんで、やせ細った何頭かの、華奢な首を降る馬たちを見ていたことも本当のことで。
幻想的な光景を見ている自分、しかし一方で向き合わなくてはならない現実の重荷、、そのハザマで、どこか心は重たく。
歌うことは自分自身の調べとなる。そしていつか忘れ去れる歌であってもいい、というくらいの思いで書いて、歌って、、
今はあれからもう随分時間がたった。少し冷静な時間にいるからか、この歌はもはや、私の苦しみではない。誰かが「この曲好き」と言ってくれたからである。一人ではなく、、意外にも多くの方から。
その言葉に揺さぶられて、新しい息吹を吹き込んで、原曲とは少しコードを変えた部分もあって、だから、、決してこの曲は絵の中の、空想を歌ってはいないつもりだけど。
そんなこんなで、、以前よりちょっと力強いユニコーン、自分の中で幻想だけにとどめてはいないつもりの曲、になっております。
聴いてくださーーーい。(もし、このブログを訪ねてくれてまだライブ盤を聴いていないという方、、是非ね。♡)
アルバム「Journey」から
未来
収録順不同で書いています。
以前のアルバムにも収録しているけど、ライブ盤はチャボさんのギターとのセッションで収めたかった。
自作を客観的に見つけたいと思うとき、あまり音の数を増やさず、引き算して弾くことが多い。だから結果的にこの曲はギターを聴きながら自分は歌い、打っている。マリンバの音の粒、その意味、その存在がこの曲で一番「ハマって」いたと思い出す。ライブ中に感じた感触がそのまま音になって現れている。と思えているのですが、、、
動きながら歌うってこと、、体力的にはキツイと思うこともあるけど、技術的な甘さであってはいけないと思っているから、もう少し踏ん張らないと!!
その技術っていう意味は、上手に綺麗に形よく、っていう意味でもないのですけれど。
窓を開ける、という言葉からこの曲の発想が生まれています。私が度々感じてきた、そして育まれてきたと思える目の前の「窓」、そしてその向こう側の世界。
どれだけの数の窓を開けていけるだろう。
アルバムの曲から
2021年夏に作った曲。歌詞は、まるで今のウクライナ、ロシアの戦争の悲劇と受け取った方もいらっしゃるようですが、ライブが行われた2022年の1月には、まだこんな酷い戦争は始まっていなかったのです。歌っている歌詞は、確かに人と人が戦う悲惨さは滲みでてはいます。実際に、戦闘機が空を訓練飛行している日本なのですから。その爆音の下にいて、強度の不安を感じることはあります。どこに何を向けてという恐怖ではなく、得体の知れない世情の鬱積でしょうか。
そんな会話を知人と長電話していたとき、テレビには世界中からのアスリートたちがオリンピックという一つの集いの場に笑顔で歩くシーンが流れていました。音を消して知人と話し込んでいたら、映像だけが異次元のような華やかさに見えてきて、それ自体がどうのという話ではなく、この世界のどこで生まれたか、どこの星の下に生命を授かったか、という境界線一つ越えるだけで、肌の色、言語、宗教、思想、、それが与えられていく運命の不思議さを再確認したような瞬間でした。
長い夜、風を浴びに歩く、、(夜は近所だけ)
この風は誰かれを選ばず、、どこに行き着くだろう、、
この風は在りし日の島へ渡るだろうか、、
その島に、私たちは生きている。
ピクニックボーイ
あの子、どうしているかな?
あの日、どうしてやってきたの?
もうすぐ遠くの街へ引っ越すという日に
どうしても会いたい人なら、会いに行く
そのことの愛しさ、大切さを君に教えてもらったよ
地平線も超えて、きっと思い出は続く
そのことを知っていたか、知らなかったか、
そんなことはどうでもいい
同じ足跡を残すこと、その眩しい光がつくる楽園の入り口に
そんなことは大人だけが考える
歌を書いたこの自分だけが
この歌を誰に捧げるかなんて?
そんなことも どうでもいい
あの日の光を
忘れていないよ
と、言いたいだけの歌だった
でも、心にはずしんと君が残るんだ
だから、この歌はきっとあの日の光が導いて作った
ピクニックに行こう
いつかいつか、きっとまた輝くよ
会いたい人には、会いに行こう
(ライブ盤アルバム 「Shoko Araya Journey」に収録したピクニックボーイのこと、、つらつら)
今日も一通のお手紙。アルバムリリースから、こうしてお手紙や葉書で感想などメッセージをいただいております。
涙なしには読めないものもあります。
好きな曲を書いてくれるものがあります。そして歌詞を楽しんでくださっていることがわかる手紙や、具体的にその方の思い出と重ねて綴ってくれるもの、、言葉のある音楽を作るということは、思ってもみなかった感想、人様の人生などにも触れていくことになるのだと気づきました。
1曲ごとに歌の背景を綴ってみたいなと思う反面、それを綴ってしまうと、想像して聴いてくださる方もいらっしゃるから、やはりさまざまな想いで受け止めていただくことがいいような、そう、ロマンにおさめておこう、とも思います。
でも、伝えたいなと思うこともたくさんあって、、、時々、思い出したら書いてみます。
配信ライブをご覧くださった方は、なぜチャボさんカバー曲のホームタウンが小太鼓から始まるのかお分かりだと思います。ライブをご覧いただかなくても、違和感はないと思っていますが、唐突すぎたかな、とも感じます。
まあ、そんなことをポツリポツリ書いたりもいいかな。
では、Green Fieldから少し。
故郷の道はどこまでも続くのです。緑の景色が、、、果てしなく、、、ドライブ中にメロディが浮かんだ曲、そんなシチュエーションはあまりないのですが、これは特別に浮かび上がった旋律が忘れらなくて。でもコロナの時期のこと、ポワーンと心許ない何かに取り憑かれていた私たちは、道の先に見たいものを見つける、そんな憧憬だけがあったように思います。あなたと歩いた道、、それは現実の道なのか、願った道なのか、、
はい、そこまで。笑
気まぐれにこうやって書きたいと思います。アルバムでみなさんが好きだと言ってくれる曲、グリーンフィールド。素直に書くことって楽しい、、そう思えた1曲です。